第20話 hydrangea blue-4

ばつが悪くなって視線を逸らせば、智咲がにやあっと目で追いかけて来た。


どうせ追いかけてくるのなら、からかう視線ではなくて、焦がれる視線の方を貰いたい。


「なんだ、照れてるの?もう、素直じゃないなぁ・・・」


ぺしんといつものように軽口と共に腕を叩かれて、やっと智咲がいつものペースを取り戻したことに気づいた。


使命感とか、責任とか余計なこと考えなくていいから、この時間を楽しんでよ。


全力で俺とデートしてよと言えればどんなに良いか。


結局ここまでずるずる元上司の息子を続けているのは、これ以上智咲との距離が離れることが怖いからだ。


異性の枠に入って意識されて距離を置かれるよりも、気の置けない永子の息子で居続けるほうが、ずっと智咲のそばにいられるからだ。


でも、もうそれは嫌だと思ってしまった。


雪村と楽しそうに話をする智咲を見て、自分の気持ちをはっきりと自覚した。


気安い身内の立場に甘んじている場合ではないのだ。


智咲の緊張が緩んだことにホッとして良いはずなのに、なんだか虚しい気持ちになる。


そういう緊張は、欲しくは無かった。


最近の理汰はずっとないものねだりばかりを続けている。







・・・・・・・・・・








晩酌の最中に、智咲と日曜日出かけることを永子に告げると、にやあと三日月型に目元を緩めて言われた。



『しっかりね』


『しっかりってなんだよ。けしかけたの母さんだろ』


『智咲はねぇ・・・難しいわよぉ・・・・・・もう自分の人生選んじゃってるからね、頑固だし。だから、適当に手ぇ出すんじゃないよ』


『・・・・・・・・・知ってたの?』


『29年あんたの母親やってんのよ。そんなもんこっち戻って来てすぐ気づいたわよ。いつ言うのかなーと思って見守ってたら随分グズグズダラダラしてるから、そろそろお尻叩いてやろうと思ってね・・・・・・まあ、あの時の智咲見てたら、気安く告白できない気持ちも分かったし・・・・・・』


『・・・・・・ちゃんと俺の事見てたなら分かるだろ・・・・・・適当になんか出来ないよ』


『ならいいけど・・・・・・くれぐれも、責任取れないことはしないでよ』


いい加減な気持ちで智咲を好きになったわけでは無い。


この歳でずるずる片思いを続けているのだから、当然その先も見据えて彼女と付き合いたいと思っている。


というか、もういっそのこと結婚したい。


ここまで思える相手にはもう二度と出会えないだろうという確信もあった。


だから、責任の取り方としては十分なはずだ。


『それどういう意味?』


まさか息子が軽はずみで自分の元部下にちょっかいを掛けているとでも思っているのだろうか。


険しい表情で永子を見つめ返せば、母親がけろりとした顔で言い放った。


『私、デキ婚なのよ』


『は・・・?』


『盛り上がった勢いでそのまま寝ちゃったの。で出来たのがあんた。二人とも大人だし、そりゃあ孫の顔見れたら私は嬉しいけど、あの子の年齢のこともあるし、無理はしないように。嫌がられたらちゃんと引け』


いきなり告げられた新事実に唖然とする理汰に、永子は応援してるわよーとひらひら手を振ってみせた。


知ってたのならもうちょっと分かりやすく早くから息子を応援して欲しいものだ。






・・・・・・・







「あのさ、智咲さん・・・」


「ん?」


「俺、母さんの息子だけどさ、智咲さんの友人でもあるよね?」


「うん、そうね」


「友達の息子と出かけるのはデートじゃないけど、友達と出かけるのはデートにならない?」


「・・・・・・」


ひとまず永子のことは枠外に追い出して、友人の範囲に入れて貰おうとなぞかけのように尋ねれば、智咲が難しい顔になった。


「いや、でも私が理汰にデートして貰うのはなんか・・・」


「デートはして貰うもんじゃなくて、するもんでしょ」


どうしてこうも自己肯定感が低いのか。


自分が彼女にとっての異性の範囲に入れて貰えないのは、この辺りの所に原因があるような気もする。


ぱちぱちと瞬きをした智咲が、目から鱗が落ちたような表情になった途端。


「あれ・・・羽柴?」


背中から聞こえて来た男の声に、理汰よりも先に智咲が反応した。


さっと理汰から距離を取って赤の他人のふりを決め込んだ彼女にイラっとして慌てて手を伸ばすも、その手は空を切った。


振り向くと、そこに立っていたのは今日のチケットを取るに当たって協力してくれたセキュリティチームの椎名とその恋人だった。


羨ましいくらい仲睦まじい様子で手を繋いでいる彼らにうっかり舌打ちしそうになる。


頬を染めて小さく会釈をして来る椎名の恋人は可愛らしい女性で、付き合い始めて間もないという話の通り初々しさが全開だ。


久しぶりにランチ時にカフェテリアで顔を合わせた同僚の槙から、椎名に恋人が出来た事、その彼女と初デートでアートアクアリウムに行くつもりらしいことを聞いて、それならついでに俺の分も、とチケットの用意を依頼した。


まさか同じ日に予約を取っているとは思わなかったのだが。


「ここで会うとは思いませんでしたね」


「ホントだよ。お目当ての女性とは上手く行ってる?」


「・・・・・・早速逃げられたところです。こんにちは。椎名さんにはいつもお世話になってます」


「あ・・・こんにちは・・・こ、こちらこそ・・・」


慌てた様子で頭を下げる彼女を微笑ましい表情で見つめる椎名の眼差しが砂糖菓子のように甘ったるい。


仕事人間の彼が選ぶのはいったいどんな女性なのだろうと思っていたが、なるほど、癒し系がお好みらしい。


「羽柴は、槙の学生時代の友人でもあるんだよ」


「あ、そうなんですね。槙さん以外の同僚の方とご挨拶させて頂くの初めてです」


「そのうち嫌でも色んな人に挨拶して貰うことになるから、懲りないでね」


目尻を垂れ下げたまま紡がれた未来予告を真っすぐ受け取った彼女が破顔する。


「はい、頑張ります!」


「教えたID使えば、いつでも予約入れられるから有効活用してくれて構わないよ。でも、女性を口説くなら平日の夜のほうがいいじゃないかな?」


休日の混雑ぶりを視線で示した椎名が、健闘を祈るよ、と笑って彼女を伴って離れていく。


まさにいま理汰が理想として掲げている関係性を具現化したような二人の後ろ姿が隣のゾーンに移るのを待って、智咲を探せば、少し離れた熱帯魚の水槽の影から困り顔の彼女が歩いて来た。


「なんで隠れるの」


「だって色々不味いかと思って」


「今日のチケット融通してくれた人だったから、きちんと紹介させて欲しかったのに」


「あ、そうなの?それは申し訳ないことしたわ。いやほら、友達とかだと・・・ね?」


気まずそうに笑った智咲の指先を捕まえかけて、思いとどまる。


この手を握る為には、あと何センチくらい近づけばいいんだろう。


そんな疑問が頭を過った。












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