第19話 hydrangea blue-3

もうすぐ三十路の息子の恋路に母親が首を突っ込んで来るはずもないし、これまで理汰は一切そういう態度を見せて来なかった。


してきた事と言えば、実家に戻ってから一人暮らしをせずにそのまま居座っていることと、智咲が家に来る時は出かけないようにしていた事くらいだ。


母と息子の二人暮らしの食卓で、今では共通の友人である智咲のことが話題に上がることは少なくないが、それ以上突っ込んだことは訊かれたこともないし、当然言ったことも無い。


だから、永子がほろ酔いで、水族館デートしろと提案して来た時には本気でただの気まぐれだと思っていたのだ。


そして、それに上手く乗っかって友人の息子の立ち位置をどうにかして脱却してやろうと踏んでいた。


それなのに。


「理汰、理汰。見てみてなんか可愛いのがいるよ。これのぬいぐるみとか永子さんへのお土産にどう?」


水中世界を抜けて、樹海の森に進むと、一気に世界は青から緑と黄色に変わった。


日差しが降り注ぐ明るい室内には、魚たちのほかにワラビーやゾウガメの姿も見える。


「ウッドチャックだって。可愛いね」


耳元で揺れるのは明らかに休日仕様のパールチェーンのピアス。


普段の彼女なら絶対に選ばないプリーツスカートが軽やかに揺れてほっそりとした足首に纏わりつく。


どこからどう見てもデート服のそれ。


これで期待しない方がどうかしている。


いつもより少しだけ高いヒールでゆっくりと歩く智咲は、理汰の言葉を飲み込んで、すぐに動揺を押し隠してしまった。


ちょっと揺さぶって反応を見ようと思ったのが間違いだったのかもしれない。


今日の格好は、智咲が理汰のために選んだ洋服であることに違いは無いが、肝心のところが見事にずれてしまっていた。


理汰が他の人からどう見られるかではなくて、理汰が智咲をどんな風に見つめるのかを気にして欲しかったのに。


彼女の中で今日の水族館デートは、永子の提案を真に受けた理汰が気を遣って智咲を誘ったという結論に至っているらしい。


その誤解を紐解こうとすれば、一番最初からやり直すことになる。


智咲のなかでは未だに理汰は永子の息子で、デートの相手にはなり得ない。


なぜなら智咲は理汰に相応しくないから。


誰が言ったそんなこと。


自分の隣に居て欲しい相手は自分で選ぶし、これまでだってそうしてきた。


この容姿がそれなりに女性受けすることは経験から知っているが、肝心の相手に使えないのなら意味がない。


駐車場に車を停めて館内に向かう時もソワソワと落ち着かなかったのは、純粋に自分を意識してくれているせいだと思ったのに。


智咲のなかにいつからか根付いている独身主義はそう簡単には覆せそうにない。


生活に困窮しているわけでもなく、平穏無事な人生さえ送れればそれ以上のものは何一つ望まないという彼女のシンプルな考え方は分かりやすいけれど、どこにも付け入る隙が無い。


やっとメディカルセンターで会社員をしている自分を見せることができて、同じ土俵に上げて貰えたかと思ったのに。


どこまでも智咲と理汰の間には、歳の差と立場が横たわり続ける。


学生と社会人ならいざ知らず、二十代と三十代と考えれば大した差ではないと思うし、それくらいの年齢差で付き合ったり結婚したりしているカップルだって沢山いる。


けれど、智咲にとって理汰は、やっぱり恋愛を考えられる相手ではないのだ。


悔しいくらい明確に線引きされたその境界線を飛び越えるために、社会人として立派にやっているところを見せようと思ったのに、それをしても智咲は、理汰すごいね!とまるで親戚の子供を褒めるように理汰を誇らしげに見上げてくる。


そして、向けられるその誇らしげな眼差しも嫌いじゃないから困るのだ。


「母さんにお土産とかいいよ別に」


「でもさー、次にいつ来るか分かんないのに、なんか買っとかないと勿体なくない?」


もう二度とここには来られないような言い方をされて、苛立ちが募った。


彼女にそんなつもりはなくても、もう理汰と二人で会わないと言われたように思えてしまったのだ。


実際、知り合ってから二人きりでどこかに出かけたのはこれが初めてのことだった。


これまで二人はそういう間柄ではなかったのだから当然だが、理汰としてはもういい加減そういう間柄になりたいし、なれなくとも可能性のある場所に行きたい。


「いつでも来れるでしょ。近いし」


アートアクアリウムは市内にあるし、高速を降りてすぐの場所にあるので利便性も良い。


自宅から1時間もかからず来る事が出来るのだ。


生まれ育った地元に戻って、片田舎の町で西園寺の名前がどれくらいの力を持っているのか嫌というほど実感している理汰である。


その名前と自分の立場を上手く使えば何処に行ってもそれなりの待遇を得られる。


これまでは使い道のない肩書だと思っていたが、こういう有効活用も出来るのだと知ったので、今後は大いに使わせてもらうつもりだ。


立場や働きに見合った対価を、という西園寺の考えには大いに賛同できる。


リニューアルオープン以降ネットの抽選予約方式を続けているアートアクアリウムにいつでも遊びに来ることが出来る程度の働きはしている。


言外にいつでも連れて来られるよ、と告げれば。


「・・・・・・今度は三人で来ようか。永子さん仲間はずれにしないで」


「いい歳の親子が一緒に水族館とか・・・勘弁してよ」


「なんでよ。いいじゃん。若いうちから親孝行しとくのが大事なんだからね・・・ああ、でも、その点理汰はもうすでに親孝行してるよね」


偉いよね、と智咲が誇らしげに呟いた。


「いや・・・大してなにもしてないけど」


「永子さん、理汰と一緒に暮らせて嬉しそうだったよ。自分も歳取って来たら不安も沢山出て来るし、家に息子が居てくれるのってやっぱり頼もしいはずだから」


一時帰宅のつもりで戻った実家から未だに出ていない理由は、母一人子一人というのも勿論だが、智咲との接点が無くなる事を防ぐためだ。


どちらかといえばそっちの理由の方が大きい。


福利厚生が手厚い西園寺グループは、メディカルセンターの近くにいくつもの社宅や独身寮を持っている。


いつでも家を出ようと思えば出られるのだ。


嬉しそうな智咲の顔を真っすぐ見つめ返すことが出来ない。


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