第18話 hydrangea blue-2

それなのに、理汰と来たら全くいつも通りの穏やかな空気感で全力でこの空間を楽しんでいる。


私はあんたの名誉を守るために他にもう出番のないだろう流行りの洋服を買って、使っていなかったハンドバックを取り出して、ヒールを履いてやって来たのに。


アクアリウムを満喫するというよりは、彼の周辺警備のような心持ちでいる智咲とは打って変わった爽やかな笑顔で理汰が答えた。


「え?いないよ。今日のチケットは智咲さんと行く為に取ったから。俺に彼女いないの知ってるでしょ」


羽柴家を訪れるたび手料理を振る舞ってくれる理汰の休日は、教授のお供で地方出張か、図書館か、はたまた永子と智咲の相手で埋め尽くされている。


「それはそうだけど・・・・・・ねえ、あんた永子さんになんか言われた?」


「え?」


「だからほら、枯れ果てた私に優しくしてやれーとかさ」


「ないよ、そんなの。なに、智咲さん枯れ果ててるの?」


眉を下げて俯いて笑った理汰の声が耳元でこだまする。


あんたもアラフォーになったら分かるわよ、と言ってやりたい気もするが理汰はその気になればいつだって誰だって選び放題だから、7年後の彼は智咲の数倍幸せな私生活を送っている事だろう。


目立とうとしていないだけで、理汰の持つ素材の良さや優しい性格はちゃんと見ればすぐに伝わるはずなのに、世の中の妙齢の女性たちは何をしているのだろうと歯がゆくなる。


「デートなんてかれこれ何年・・・・・・あ、いや、これはデートじゃないか」


一番最近デートしたのは何年前だと指を折りかけて、固まった。


正直記憶にない。


「え、これってデートじゃないの?」


心外だとでもいうように言い返されて、毅然と胸を張って言い返す。


「ないでしょう」


「でも休日に男女二人で話題の水族館だよ?これって何処からどう見てもデートでしょ」


「そ、そりゃ傍から見たらそうかもだけど・・・理汰、あんたね、私とデートしてるなんて思われたら女の趣味悪いって思われるよ」


「待って誰がそんなこと言うのよ」


珍しく冷たい声を出した理汰に、一気に居心地が悪くなった。


「誰っていうか・・・」


理汰が真新しいアートアクアリウムに連れて来るべきなのは、もっと若くて可愛らしい年頃の女性だ。


間違っても智咲のような、すでに崖っぷちを通り越して飛び降りた後の女ではない。


「私もさ、今日は理汰の名誉を守れるようにそれなりに気合を入れたつもりなんだけど・・・勘違いはしてないから、安心して」


年下のイケメンとデートだひゃっほー!と浮かれてはしゃいだりは絶対にしない。


永子と理汰のためにも。


「なにそれ・・・・・・デートだからお洒落したわけじゃないの?」


不満たっぷりの声が聞こえて来て、なんでそこで怒るのよと頭を抱えたくなった。


「あんたの隣に並んで、理汰が恥ずかしいと思わない格好を目指した、つもり・・・だけど」


普段よりは明るめのミルク色のニットに、身体のラインを拾わない控えめなプリーツスカートは、落ち着きのある雰囲気で、好感度を重視して選んだ。


無難に悪目立ちせず、品よくがテーマである。


「それ、論点ずれてない?」


「いや合ってるでしょ」


「俺にどう見られるかはそこには含まれてないんだ」


「え?いや、含まれてるよ」


だから理汰が恥ずかしくない格好を精一杯選んだつもりだ。


一瞬難しい顔になった理汰が、じいっと視線を合わせて来た。


「俺べつに普段の智咲さんも、今日の智咲さんも、恥ずかしいなんて思ったこと無いよ」


「うん・・・それは・・・ありがとう」


この返事が正解なのかはわからないけれど、それ以外に返せる言葉がなかった。


だって彼にとっての師岡智咲は母親の元部下で今は友人。


ほとんど身内のようなものだから、そういう観点で智咲を見ていないのは当然のことだ。


智咲だって彼には遠い親戚のような感覚を覚えていた。


それなのに。


「俺は、ちょっと期待した」


「・・・・・・え?」


「デートだと思って来たから」


「ええ?ちょ・・・理汰、そんなサービスいらないよ」


「サービスってなに?ほんとにあの人からは何にも言われてないよ。でも、俺が誘ったら智咲さん行くって言ってくれたから」


「そりゃあ行くよ、当然でしょ」


「・・・・・・だから、嬉しかった」


照れたように笑った彼の心から、と咄嗟に目を逸らしてしまった。


「水族館、来たかった?」


無意識にそんな風に投げたのは、そういう理由付けをしないとマズいと本能が訴えて来たから。


理汰の気まぐれの優しさにときめいている場合ではない。


こんなところにキュンは落ちていないのだ。


年下の知り合いに不意打ちを突かれて狼狽えてしまうくらい、乙女回路は錆び付いているのだ。


ほとんど死にかけといっても過言ではない。


恋愛経験自体乏しいのに、こういう免疫の無さを身近な理汰の前で晒すのは物凄く恥ずかしいし情けない。


ここに居ても恥ずかしくない師岡智咲を全力で全うするぞと踏ん張れば。


「・・・・・・そうだね」


目を伏せた理汰が小さく笑った。


「そういえば、大学の頃古いほうの水族館にゼミメンバーで行った事があってね、あ、こないだ挨拶した雪村くんも一緒だったんだけど、まあ女子が集まる集まる。イルカショーの間も彼の周りだけ女の子ぎっしりよ」


「雪村さんと仲良かったんだね。あの人社内でもかなり人気みたいだよ。智咲さんが学生の頃の友人といまも続いてるのは知らなかったな。ほぼ全員と疎遠って言ってたのに」


「雪村くんは特別なのよ。私が役所入ってから就活生向けのイベントにも何度か参加しても貰ってね、そのつながりでたまーに連絡取るくらい。まあ昔から言う事もやる事も憎らしいくらいそつなくて可愛げはないけど、頼りがいはめちゃめちゃあるの。男女問わずモテるくせにちっとも鼻にかけないし、いい人よ」


「智咲さんがそんな風に誰かを褒めるの初めてじゃない?・・・・・・いい人なんだ」


「うん。だから、今回のシンポジウムを一緒に担当して貰うのが雪村くんで、助かってる。あとね、理汰のおかげでオメガバースの基礎知識ばっちり頭に叩き込めたから、打ち合わせもめちゃくちゃスムーズでさ。雪村くんびっくりしてたのよ。もっと質問攻めに合うと思ってましたって、目ぇ丸くしてたわ。ちょっと見返してやった気になって嬉しくなっちゃった」


それもこれもすべて理汰の協力のおかげだ。


二人分胸を張りたい気持ちで彼を見上げたら、珍しく微妙な表情の理汰がこちらを見下ろして来た。

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