第17話 hydrangea blue-1

「こんなすごいところだったとは・・・」


大盛況のアートアクアリウムの広々とした館内には沢山の笑顔が溢れていた。


地味でショボくて古臭いというイメージを完全に払拭したリニューアルオープンの水族館は、アクアリウムを核に、舞台美術やデジタルアートを融合させた、エンタメ性の強い劇場型アートアクアリウムとして生まれ変わっている。


リニューアルオープン直後から入場チケットが入手困難になっている今話題の超人気スポットを、高倍率を勝ち抜いたカップルや家族連れが行き交う中、彼らとは若干異なる温度感でここに居る智咲は、目の前の大きな水槽の中を優雅に泳ぐウシバナトビエイを間近から見上げた。


ゾーンごとに別れた4階建ての大型水族館は、深海からスタートして少しずつ陸に近づいていく作りになっており、そこかしこでデジタルアートのきらめきが泳いでいて少しも飽きることがない。


これは人気が出るはずである。


デートスポットとしてかなり注目を集めていることは知っていたが、ここ何年も恋どころか誰も好きになっていない智咲にはもう縁のない場所だろうと決めつけていた。


こんな素敵な場所に、わざわざ智咲を連れて来ることになった理汰が気の毒で仕方ない。


「役所にパンフレット置いてあるでしょ?見たことなかった?」


「チラッとは見たけど、どうせ行かないだろうからちゃんとは見てなかったのよ」


カップルもしくは家族向けのスポットから足が遠のいてもう随分たつ。


周りの空気に馴染めていない自分を実感するのが嫌だから、出かける先は一人でも居心地が良い場所に限定されていた。


美術館しかり、博物館しかり。


だから、この場に理汰と並んで立っている自分に違和感しか覚えない。


海中探索ゾーンの為、足元から水の泡のようなデジタルアートが浮かんできて、時折プリズムをきらめかせる。


静かに流れる水の音とヒーリングミュージックはなんとも心地よい。


雰囲気たっぷりの暗がりはカップルの気分を最高に盛り上げてくれるに違いない。


隣に並んだ理汰が、他の見物客の邪魔にならないように身を寄せながら声を潜めて尋ねて来る。


「なんでそうやってなんでも枠外に押し出すかなぁ?」


「決まってるでしょ、自分を守るためよ」


もう誰も守ってくれないのだから、保守的になるのは仕方ないことだ。


理汰に他意はないとは分かっているけれど、カップルだと誤解されては申し訳ないと思って身体を引いたら、隣のカップルにぶつかってしまった。


「あっ、すみま」


「すみません。失礼しました」


智咲より先に謝罪を口にした理汰が、離れた距離を埋めるようにやんわりと手首を掴んで引き戻して来る。


「ごめん・・・」


こういうそつのなさは彼の魅力だが、発揮する場所を思い切り間違えている。


今日は休日で入館者も多いので、もっと慎重にならなくてはいけないのに、そこかしこを行き交うカップルが視界に入って来るたび落ち着かない気持ちになった。


「なんでそんなにぎこちないの?・・・もしかして、智咲さん緊張してる?」


「ええ、物凄く」


「えっ」


驚いたように目を見張った理汰が、掴んでいた手首を握る指に力を込めた。


確かに、彼と二人でいて緊張するなんて初めての事だ。


「当たり前でしょ!考えてもみなさいよ。ここは今超人気のデートスポットで、ほんとはラブラブなカップルが来る場所なのよ。そこに思いっきり場違いのアラフォーが混ざってるのがなんかもう・・・」


いたたまれない。


出来ることなら壁になりたい。


なんで永子じゃなくて理汰と此処に来ることになってしまったのか。


「またそういう事言う」


「だってあんたにも申し訳ないわ」


「俺はそんな風に思ってないよ」


「お気遣いありがとう。理汰の優しさに泣けてきそうよ」


「なんでだよ泣かないでよ」


「ほかに誘いたい相手、いたんじゃないの?」


ほろ酔いの永子の口から出た”デートの提案”が、まさか現実になるなんて思ってもみなかった。


智咲としては当然その場のノリで彼女が適当なことを言ったのだと思ったし、理汰も同じように冗談として受け取るだろうと踏んで、それもいいね、なんて答えたのに。


数日後、永子、理汰、智咲のグループトークではなく、智咲一人だけに送られてきたメッセージは、アクアリウムのチケット取れたけど、という報告だった。


最初はふーん、と思って、次の瞬間誘われているのだと気づいて慌てた。


そして慌てた自分にまた慌てて、いやでも相手は理汰だしな、と思い直して、異性とのお出かけ自体が相当ご無沙汰だったのだ、と自分のプライベートのすっからかん具合にげんなりした。


こんなところでときめきを補充されては彼も迷惑するだろうに。


空っぽの休日のスケジュールを念のため確かめて、忙しいだろうからそっちの予定に合わせるよ、と返事を送ったら数秒後には来週の日曜日に、とメッセージが届いた。


相手は永子の息子で、よく知る男。


特別意識するような相手ではない。


が、学生の頃の彼ならいざ知らず、いまや彼は西園寺メディカルセンターの立派な研究者である。


大学生の彼をちょっとそこまで飲みに連れ出すのとは勝手が違う。


休日のデートスポットに、男女二人連れが現れたらまあ大抵はデートだと認識される。


当人たちにそのつもりがなくてもだ。


雪村のような独特の色気はないが、理汰だってそれなりに目立つ容姿をしている。


永子の息子という贔屓目を差し引いても、魅力的な男性である。


自分が隣を歩く事でそんな彼の株を下げるわけにはいかない。


今まで考えた事も無かったような使命感に囚われた智咲が真っ先にした事は、ネット検索だった。


アラフォー女性おでかけ服。


いつもは三着のパンツスーツをルーティーンしているが、今回はそうはいかない。


表示された文言は、大人可愛いデート服、彼ウケ、合コン必勝服。


いやいやいや、これは絶対にデートじゃない。


デートではない、が、仕事でもない。


彼が永子の言葉を真に受けて律儀に智咲を誘ってくれたのが、気まぐれでも枯れたアラフォーへの気遣いでも、何でもいい。


与えられたミッションを確実にこなして理汰の名誉を守って無事に帰宅するのが今日の役割だという結論に至った。


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