第16話 gentian blue
「はい。ご所望の照り焼きチキンピザと、山盛りネギマヨのピザ」
智咲の到着時間に合わせて焼き上げてくれたアツアツのそれに早速手を伸ばす。
大学で自炊を覚えた彼の料理の腕前はかなりのもので、こちらに戻ってからも休日は大抵キッチンに立っているらしい。
一人暮らしの智咲は、手早くパパっと後片付けも楽ちんな料理しか作らないので、当然オーブン機能もIHのグリルも使ったことがない。
手の込んだ料理は外で食べるか羽柴家で食べるかのどちらかで十分である。
「待ってましたぁ!!いただきまーす」
薄めのハイボールを智咲の傍らに置いて、サラダを取り分けながら理汰が壁掛け時計を確かめる。
「母さんもうすぐ帰るらしいからのんびり飲んでてよ」
「はーい。役職付きはほんと大変ねぇ」
問い合わせが入った時の為の電話番を進んでやりたがる役職付きなんて永子くらいのものだ。
子供はすでに成人済みで休日の予定もない暇な課長が溜まった決裁を捌きつつ鳴らない電話のお供をするのが一番効率が良いという考えはごもっともだが。
「本人が望んで出世してるからいいんじゃない?」
「それもそうね。最終目標教育局の局長らしいから」
「それ昔から言ってるもんなー」
「初の女性局長、永子さんならやれると思うわ」
「そういや智咲さん、出世欲ないの?」
「ないない。このままずーっと平で定年迎えるつもりだもん。昇進試験も面接も面倒だし」
係長の松本は、同期の中で2番手の出世頭だったが、そんな彼でも一度は昇進試験を落ちているのだ。
自分の実力を正しく理解していて、出世願望のない智咲は無駄な努力はしたくない派である。
「あ、そうだ。理汰。持ってきた野菜、玄関置きっぱなしだから見といてね」
「さっきピザ出す前にチラッと見てきたよ。今回も凄い量だね」
「80サイズの段ボールにぎゅうぎゅう詰めよ。同期の松本くんのところは家族居るからもう一回り大きい段ボールが毎回届くらしいわ。すごいよね」
思えば、松本と仲良くなったきっかけも元カレだった。
当時交際中だった彼と同じ部署で働いていた松本と智咲の三人で飲みに行って、入庁研修以降ほとんど接点のなかった同期の彼と打ち解けることが出来たのだ。
そしていまは同じ部署の直属の上司である。
「ほんとに公平な人だな・・・」
理汰が感心したように呟いた。
本当にどこまでも善良で公平な人だった。
「私が知る限りでも四人は定期便受け取ってるから、ほんと律儀な人だったのよ・・・別れてからもう何年も経つのに毎年欠かさず送ってくれてさ」
一度も拗れることなく円満に別れたから、恨みつらみをぶつけることもぶつけられることもなかった。
お互いのこの先の未来を祈って笑顔で別れられたのは間違いなく彼のおかげだ。
もちろん、その後それなりに凹んだけれど。
今思うとあの恋愛は、友愛に近かったのだと思う。
「惜しい事したって思ってる?」
「ん?それはないよ。私がお嫁に行っても足引っ張ってたか、逃げ帰ってただろうから、地元でいい人と出会ってくれて感謝してるわ」
「そうなんだ・・・・・・でも、もう恋愛も結婚もしたくないと」
「向いてないと思うからね。相手を巻き込むのは申し訳ないわよ。幸い私には永子さんと理汰がいるし。私が描けなかった未来はあんたに託すわ。しっかりやれよ」
「託されても困るよ・・・・・・あ、帰って来た」
玄関の施錠が開けられる音に気づいた理汰が、廊下を振り向くと同時に、永子のただいまが聞こえた。
「あー智咲もう来てるのねー。やだ、また野菜?野田くんほんっとマメだなぁー・・・うわ、綺麗なキャベツ!ちょっとー理汰ぁ、これポトフにしなさいよー」
一気ににぎやかになった羽柴家に頬を緩めると、ソファーの端に放り出していたスマホに気づいた理汰が声を上げた。
「智咲さん、メッセージ来てるよ」
智咲が既読しかつけないグループトークは、ほとんど若手の情報交換の場になっている。
井元や田村はしょっちゅう美味しいお店を見つけた、だの、話題のスポットに出かけただのと写真と共に報告してくるのだ。
「ん?あーほんとだ・・・・・・田村くんだわ。彼女とデート中みたい」
「いらっしゃーい智咲ぃ。お裾分けありがとねー。ほーらお土産ぇ」
コンビニ袋を揺らした母親に向かって、理汰が肩をすくめた。
「ビールも冷えてるのにまた買ったの?」
「ピザには黒ビールかなと思って。なに飲んでるの?」
「ハイボール。お帰りなさい、永子さん。お邪魔してます、飲んでます」
「はいはいどーぞー・・・はい、理汰、これ冷やしといてー。あら珍しい、スマホなんて見て」
隣に腰を下ろした永子が、智咲のハイボールを横取りしながら顔を近づけて来た。
「見てこれ。たぶんリニューアルオープンした水族館よね?」
水族館のエントランスらしき場所を写した写真を永子に見せる。
「あー・・・そうねぇ。へー綺麗なとこじゃないの。宝来市いま一押しのデートスポットだもんねぇ」
「え?どこ?」
気になったらしい理汰まで智咲のスマホを覗き込んできた。
「湾岸線沿いにリニューアルオープンした、アクアリウムよ」
「ああ。うちの
「入場券が取れないことで有名なのよ。抽選予約制で、休日は半年先までいっぱいとかなんとか・・・それにしても写真多いな・・・」
どうして最近の若者はこうも色んなプライベートを共有したがるのか。
共有できるもののない智咲からしてみれば、へえーとほおー以外に反応のしようがない。
市民に寄り添う立場の公務員としては、彼らの共感能力はきっと役に立つのだろうけれど。
次から次へと送られてくる様々な写真は、ひたすらに鮮やかで眩しい。
「一緒に見て楽しんで欲しいのよ。ほら、イイネが欲しいお年頃なんでしょ今の子たちは」
「イイネを貰える材料すらない大人はどうすりゃいいのかしらね・・・」
酔いが回った頭でぼやいたら、ハイボールを空にした永子が何言ってんのよと言い返して来た。
「あんたも行けばいいじゃないの、水族館」
「あのね永子さん、美術館ならともかく、水族館よ?それも超話題のデートスポットよ!?一人で行けるわけないでしょ。場違いすぎて5秒もいられないよ」
「じゃあデートすればいいじゃない」
「誰と?」
そもそもそんな当てがないわと言い返せば、永子が自分の息子を笑顔で指さして来た。
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