第15話 frosty blue
”
イノベーションチームの課長をしている彼の名前はメディカルセンター内外でかなり有名だ。
飲み会で、西園寺メディカルセンターの”高嶺の雪”と言われているイケメンがいると部下たちが騒いでいたのだ。
雪村の同僚で同期でもある施設管理の
けれど、黄月が赤松の学生時代の友人と結婚したことにより、今度は高嶺の雪を捕まえたのは赤松だという噂が出回ったが、赤松を知っている理汰からしてみれば、彼女ほど男っ気のない女性を知らない。
けれどまさか、智咲と雪村が繋がっていたなんて。
あまり交友関係が広くない彼女が気安く笑って話しかける異性の後輩なんて初めて見た。
雪村が女性受け抜群の面を柔らかくして智咲を見つめる表情は至極穏やかだった。
大学の一つ後輩で同じゼミ仲間だったという智咲と雪村は、卒業してからも飲み会などで顔を合わせていたらしい。
一度も彼女の口から彼の名前を聞いた事が無かったので、それほど深い仲ではない、と信じるよりほかにない。
気持ちは少しも晴れないけれど。
「佐古井さん、雪村さんってやっぱり人気なの?」
週報を持ってきた佐古井にサインを入れながらそれとなく尋ねれば、彼女が興味津々の表情で身を乗り出して来た。
「イノベーションチームの氷雪コンビは、事業補佐の市成さんと並んで大人気ですよ~!」
「氷雪コンビ・・・・・・ああ、氷室くんか」
雪村と氷室で氷雪コンビとはよくいったものである。
事業部長の西園寺の補佐を務めている市成は、フリーのアルファとして有名だ。
現在固定の秘書を持たない西園寺の手足となってサポートを行いつつ、運営周りも見ている彼の手腕は疑うまでもない。
誰が言いだしたのかさっぱり謎だが、メディカルセンター内のアルファの序列第一位を独占中らしい。
「ほかのセクションの事なんて全く興味なかったのに、どうされました?羽柴補佐」
「え?いや、ちょっと・・・気になって・・・・・・あのさぁ、雪村さんて彼女いるの?」
「さあ、どうでしょう?赤松さんと付かず離れずってのはずーっと言われてますけど、特定の人はいないんじゃないですかね?イノベーションチームって年中無休だし・・・まあ、あの雪村さんなんで、プライベートと仕事上手く両立してるのかもしれないですけど・・・・・・一時期は女っ気なさすぎて、そっちなんじゃないかって疑惑もあったらしいですよ?でもあの顔ならアリですよねー・・・・・・あ、もしかして?」
にたりと笑った佐古井が食い入るようにこちらを見つめてくる。
じっとりと粘っこい視線には嫌な予感しか覚えない。
「え・・・・・・なに?」
「羽柴補佐も、ぜーんぜん女っ気ありませんよねぇ・・・?私が頼まれた紹介もぜーんぶ断られちゃったしぃ・・・・・・・・・もしかして・・・?」
「期待に沿えなくて申し訳ないけど、俺は完全にノーマルだから。勝手な妄想しないように」
「ええーそうなんですか?残念。白衣の研究者とスーツのサラリーマンって物凄く素敵なのに」
「勝手に組み合わせないでよ」
そりゃあそういう嗜好の人間もいるのだろうが、理汰の恋愛対象は常に女性だけだったし、こっちに戻って来てからはずっと智咲のことしか見えていないだけだ。
どうせ誰と付き合っても戻ってくるんだろうなと思ってしまったから、誰とも付き合うことなく今日まで来た。
仕事が忙しかったせいもあって、恋人がいなくてもとくに不便を感じることはなかった。
だって休日には智咲に会えるのだ。
基本放任主義で仕事命でそれ以外はいい加減な母親だが、智咲を可愛がってくれたことだけは心底感謝している。
上司と部下の関係でなくなってからも、智咲が羽柴家を訪れてくれるのは、偏に永子の人望のおかげだ。
自席に戻っていく佐古井を見送って、もう一度パソコン画面に向きなおろうとしたら、視界の隅にスマホが見えた。
母親抜きではなかなか羽柴家を訪れてくれない智咲をどうにかして呼び寄せたくて、ちょっといい大吟醸でも仕入れようかと考えながらスマホを掴んだ途端、メッセージが表示された。
”週末お邪魔してもいい?”
まるでこちらの気持ちを読んだかのような絶妙のタイミングで送られてきたメッセージに、動揺してスマホが手から滑り落ちた。
慌てて拾い上げてもう一度メッセージを確かめる。
”野菜沢山頂いたからお裾分けしたくて”
そのメッセージですぐにピンときた。
智咲の別れた恋人は現在地元に戻って農家を継いでおり、元同僚たちに定期的に野菜を送ってくれているのだ。
そしてそれは、円満に別れた元カノも例外ではない。
地元に戻ってすぐに農協勤務の女性と知り合って結婚した彼は現在二児の父親らしい。
永子いわく、どこまでも人が良くて公平な家庭的な男だったという元カレ。
きっと結婚したら幸せになれただろうに、智咲はその未来を選ばなかった。
今の環境を変える勇気なんて一ミリも出せなかった、とあの日智咲は泣きながら言った。
それを分かっていたから、彼は智咲にどうしたいか尋ねたのだと言って泣いた彼女は、あの日以来一度も理汰の前で涙を見せていない。
あんなに感情的になった智咲を見たのは初めてで、大人の女性もわんわん泣くんだと驚いた記憶がある。
母親は嫌なことは飲んで忘れるタイプだったので、箱ティッシュ抱えながら泣くのはドラマのヒロインだけだと思っていた理汰には、ちょっとしたカルチャーショックだった。
今の自分は、智咲の内側のどこまで入り込めているんだろう。
彼女が気まぐれを起こしてまた恋がしたいと思った時には、一番近い場所に陣取っていたいのに。
楽しそうに雪村と話す智咲の横顔が頭に浮かんで苦くなった。
その場所は自分一人だけのものだと勝手に思い込んでのほほんと過ごしていた過去の自分を叱責したくなる。
智咲が永子や理汰に見せているのは、彼女の世界すべてではなかったのに。
焦りを覚えた心はどうにかして智咲を捕まえようと勝手に走り始める。
”迎えに行こうか?”
”それほどの量じゃないからいいよ。無理そうだったら連絡するね。理汰の手作りピザ食べたいんだけど”
ここ最近理汰が作る料理は智咲の好物ばかりだ。
適当に作ったお摘みを智咲が手放しで褒めてくれてから、料理は理汰の趣味になった。
こんなに影響与えといて今更知らん顔なんて絶対させるものかと自分を鼓舞する。
”作るよ。大吟醸、適当に選んでいい?”
”任せるわ。じゃあいつも通り土曜日の夕方にお邪魔します”
智咲からの来訪予告に自然と頬が緩んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます