第8話 cobalt blue-1

「っはー・・・・・・」


溜息を吐いて、文字を追っていた目線を図書室の高い天井へと移動させる。


頑張って字面を追って理解しようと努めたが、専門用語が多すぎて何一つ頭に入ってこない。


有名な建築家がデザインした近代的な雰囲気の図書館は、開設当初かなり話題を呼んだ。


地域貢献と社会還元を企業理念としている西園寺の援助を受けて建てられた図書館は、西園寺メディカルセンターと並んでこの町のシンボルである。


家で読んだら絶対に眠ってしまう自信があったので、こうして自習用の席を確保して読書をし始めたわけだが、専門書を読むのなんて大学生以来のことで、目はチカチカするし肩はガチガチだし、やっぱり慣れないことはするものではない。


欠伸まで出そうになって口を閉じようとしたところで、視界の隅に見知った男の姿が入って来て思わず声を上げてしまった。


「あ、理汰」


「あれ、智咲さん?図書館に居るなんて珍しいな」


呼び声に振り返った理汰が、珍しく眼鏡をかけている智咲を確かめて相好を崩した。


研究者の理汰とは違い、智咲は専門書にも図書館にもあまり縁がない。


流行りの小説くらいならたまには読むけれど、読書はもっぱら漫画派だ。


文字を追っていると自動的に眠たくなるという習性を持っているので、ちっとも本を読み進めることが出来ないので、話題作を購入しても、読了する頃にはブームが過ぎ去っていることも珍しくない。


「珍しいのよ。私もずいぶん久しぶりに来たわここ。理汰はしょっちゅう来てるの?」


「んー・・・そうだね。時間が出来たらたまに。買うほどでもないけど、目を通しておきたい文献がここ結構揃ってるから」


西園寺グループと行政が共同で運営している市民図書館はかなりの蔵書量なのだ。


専門書の類も、他の図書館よりかなり多く揃っているらしい。


本好きにしてみれば、ここはまさに宝の山のような場所だろう。


その感動を味わうことが出来ないのがほんのちょっと悲しい。


「ほー・・・さすが研究者さまは言うことが違うわぁ」


理汰とこの図書館の組み合わせはしっくりくるのに、そこに自分が混ざると途端違和感を覚えてしまう。


これが知識豊富な研究者と凡人との違いだろうか。


「なにそれ、嫌味?」


「違うわよ、純粋に褒めてんのよ。どんどん成長して立派な研究者になんなさいよ。私も誇らしいわよ」


「ほんと保護者目線なんだから・・・」


「しょうがないでしょう」


肩をすくめて、あんたも好きな本探しに行きなさいよと視線で促せば、頷いた彼が改めて智咲の手元を確かめて来た。


読んでいる本が気になったらしい。


一歩近づいて、背後から智咲の席を覗き込んだ理汰が、机の上に広げてある専門書を見て目を丸くした。


「なんでまたオメガバース?どうしたの、智咲さん」


この年齢まで発情期ヒートが来ないという事は、検査を受けていない智咲はやっぱり大多数のベータという事だ。


そんな智咲がわざわざオメガバースの知識を入れようとしていることが不思議でならないとその顔に書いてある。


「んー・・・まあ、そうなるよねぇ」


彼の表情がそうなるのも無理はない。


数年前から世界各地で報告されるようになった症例を、日本では最初”突発性発情型特異体質”と呼んでいた。


ある日突然発情状態に陥って、周りの人間をフェロモンで誘惑する特殊体質。


のちに世界規模で”オメガバース”という名前が付けられて、日本でもその症例に対する研究が行われるようになったのは数年前のこと。


アルファやベータを誘惑するフェロモンを放つオメガの発情を抑えるための抑制剤を、国内で最初に販売してから、一気に西園寺製薬と、開発研究に携わった西園寺メディカルセンターの名前は全国に知れ渡った。


いまではオメガバースと西園寺はセットで認識されている。


数年前に、オメガの発情期ヒートを長期的に治療するための施設として、オメガ療養所コクーンが県内に建設されて以降、ますます西園寺グループはオメガバースの第一人者という印象が強くなった。


その為、他のどの土地よりもオメガバースに関する資料や情報が多いのがこの都市である。


社会的弱者として認識されているオメガの受け入れを積極的に行っているこの町では、他の地域と比べても格段にオメガに対する偏見が少ない。


中学校と高校での第二性別の検査が義務化されてから数年、若年層を中心としてオメガバースに関する正しい教育は進んでいるが、現在経済を回している大人の大半はオメガバースに関する知識をほとんど持っていなかった。


これはまずいとまずは行政が主体となってこの症例を浸透させていこうと国が動き始めたのはここ最近の話である。


智咲よりはオメガバースが身近にある理汰に、苦手な本を探しにわざわざ天気の良い休日を利用して図書館まで足を運んだ理由を語って聞かせる。


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