第2話 aqua-2
智咲の言葉に理汰が呆れたような顔で笑った。
その昔出会った頃から一向に成長して無いなこの人と思われたに違いない。
けれど、敢えて言いたい。
そう簡単に人の価値観は変わったりしないものなのだ。
大人になればなるほどに。
「交際範囲狭すぎでしょ・・・・・・入り口こっち」
「ほんと分かりにくいわねこの施設」
「一応ね、漏れると不味い機密情報大量にあるから防犯対策でそういう作りにしてるみたい。慣れるとそうでもないんだけど・・・あ、名刺とか持ってるよね?身分証無いと内部はパス出せないから」
施設見学で行政を受け入れしたことはあっても、共同プロジェクトを興すのは初めてなので、入館予定者の事前情報の提出義務については何度も説明を受けていた。
こちらとしても、行政が入った途端情報漏洩があったなんて騒がれては困るのできちんと手順を踏んで事前申請を行っている。
嫌でも数年単位のお付き合いになる企業様なのだ。
「はいはい。セキュリティが厳しいことは聞いてるから安心して。うちの子たち到着してる?」
「田村さんと井元さんね、来てるよ。さっきカフェテリア案内した」
「へーそんなのあんの?」
「うちのコーヒー美味いよ。バリスタが常駐してるから」
「さすが天下の西園寺グループ様ねぇ・・・・・・それにしても・・・」
誘導するように少し前を歩く理汰の背中を見上げて目を細める。
眩しいと思ってしまうのは、それだけ歳を重ねたせいだ。
「うん?なに?あ、階段あるよ、気を付けて」
「はーい。すっかり白衣が似合うようになっちゃって」
「・・・やめてよ。俺29だよ?一応部下もいるし、子ども扱いは勘弁して」
「うーわ。いっちょ前に部下居るんだ?」
「それなりに実績を積んだ研究者なので」
「んー立派立派!あんたが出世していくと鼻が高いわ」
「いやだからなんで母親目線なのよ」
「高校生の頃から知ってるんだもん、しみじみしちゃうわよ。自分が年取るのは嫌だけど、人の子供が成長していくのはなんか嬉しいわー」
「・・・・・・俺もいい大人だよ。師岡さん」
「失礼しました、羽柴くん」
自動ドアをくぐり抜けながら顔を見合わせて笑い合う。
大学の研究室に残っていた理汰が、地元に戻って西園寺メディカルセンターの
理汰が小学生の時に夫と離婚して以降独身を貫いている永子は、九州の大学に進学してからずっと離れて暮らしていた一人息子が実家に舞い戻って未だに居着いていることを鬱陶しそうに語るものの内心とても喜んでいる事を智咲は知っていた。
いい年した大人なんだから独りで暮らせってのよ!と酔っぱらうたび文句を言いながらもちゃっかり息子の分のビールを残しておく優しさを持っている永子は、愛すべき年上の友人である。
「理汰、白衣似合ってるしあんたモテるでしょ?社内でいい子いないの?」
「残念ながらうちの
「ふーん・・・そうなの。あ、井元さん彼氏いないらしいからどうよ?気の利くいい子よー」
「身近で宛がおうとするのやめてよ。智咲さんは?そろそろ恋愛する気になった?新しい部署で心機一転とかないの?」
投げた話題がそっくりそのまま返って来て、智咲は肩をすくめた。
結婚まで至らなかった最後の恋を終えてから数年、すっかり一人に慣れてしまった心は他の誰かを受け入れる余裕を失くしてしまった。
そして着実に歳を重ねてきた身体は、誰かと出会う為に動く時間があるのなら、家でダラダラゴロゴロして休養を取りたいと訴えてくる。
「あのね、理汰。アラフォー女子舐めんじゃないよ。仕事回すので精一杯よ。そこまで体力がない」
まさかこんなところでアラフォーを武器に使うことになるなんて。
二十代後半はもっと色々と恥じらっていたけれど、三十路を過ぎて、35も超えたらそんなものは塵となって消えてしまった。
「体力ないのは昔からでしょ。運動嫌いだしね。ウォーキングも三日坊主じゃなかったっけ?」
「痛いところ突くわね。そうよ。でもね、36って全然違うのよ。去年までより色んな事が億劫になるし、尚更動きたくなくなるのよ。老いって怖いわ・・・」
えいやと一歩踏み出せていたことが、だんだん出来なくなってきて、現状維持に努めるようになった。
冒険する年齢を過ぎたということなのかもしれない。
だって同世代の友達はみんな誰かを守る為に保守的に生きている。
子供だったり、夫だったり、家族の未来だったり。
年齢と共に勝手にそういうものは増えてくるかと思っていたけれど、そうではないらしい。
手を伸ばし損ねた色んなものが、きっと沢山あるのだろう。
まあ、それも人生、と思えるのは、たぶんこの年齢になったから。
いい意味で諦めのついた今だからこそ、穏やかでいられる。
変に若作りしようとも思わないし、無理もしようと思わない。
「それ、母さんの前で言うとどやされるよ」
「言わないから大丈夫よ。あ、来週お邪魔させていただきます」
永子との飲み会は、彼女の家もしくは自宅近くの大衆居酒屋が会場になる事が多い。
最近は飲むとすぐ眠たくなる永子が自宅で飲みたがる事が多いので、羽柴家にお邪魔してばかりだ。
「あ、そうなの?はい、お待ちしてます」
「いや、あんた居なくていいんだけどね」
「うわひど。休日家でダラダラすることも許されないの?」
「若いんだから外に飲みに行きなさいよ。私がお邪魔する時理汰大抵家に居るでしょ?出会いを求めなさいってば、折角見た目も中身もいいんだから」
高校生の頃からすくすく伸びた身長と、母親似の整った顔立ちは女性受けが良いし、研究職で所得だって安定している。
それこそ結婚相談所にでも登録したらあっという間に引く手あまたになりそうなものなのに、どういうわけかこっちに戻って来てから理汰はずっと一人のままだ。
意外と研究職は出会いの場が少ないのかもしれない。
これでも10年以上の付き合いなので、正しく理汰を評価しているつもりなのに、なぜだか本人は物凄く不満顔でこちらを見下ろして来た。
「・・・・・・・・・そりゃどうも」
「なんで不機嫌なのよ?」
「べつに・・・・・・あ、佐古井さん、こっちこっち」
制服姿の女性がにこやかに微笑む受付カウンターの手前で、白衣姿の女子社員が困り顔で立ち尽くしている。
「あ、羽柴補佐!もう、どこ行ってたんですかー!?お迎えなら私が行くって・・・・・・あ、ようこそ!西園寺メディカルセンターへ!」
どうやらこの子が智咲を迎えに来てくれる予定だったらしい。
「こんにちはー・・・・・・医療都市推進機構の師岡です。やだー羽柴補佐、だってー」
知り合いの息子が役職付きになっている事実に、なんとも面映ゆい気持ちになりながら肘で理汰の脇腹を突いてやる。
「俺も役職付きの会社員なんだけどね」
疲れたように理汰がぼやいた。
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