4・気になる2頭とふたり


 


 パドックに移動すると、ちょうど厩務員(きゅうむいん)に引かれて馬が出てくるところだった。


 レース中とは違い、静寂に近い。その中で馬の呼吸、馬具の擦れる音と足音、時折シャッターの切る音が場を圧しているように思えた。


 ここにいるみんなが息を押し殺して観察している。特定の馬のファンらしく、目を輝かせて手を振っている人。自分なりに調子を見定めようとしているのか、眉間にシワを寄せてつぶやきながら観察している人。生活がかかっているのか、殺し屋のような目つきで見ている人など様々だ。


 それに対していろんな動きをしている馬たち。テンションが抑えられず頭を振ったり。走るのが嫌なのかうなだれていたり。かたわらの厩務員に顔を寄せてベッタリ甘えていたり。


 馬は音を始めとした刺激に敏感な生き物で、レースの前から感情を高ぶらせたくない。テンションを上げるにしても徐々に高めていき、レースの中でそれを爆発させたいのだ。


 どう? と言いたげに真弥がわたしに目で聞いてくる。よくわからない。みんな毛艶が良くて、筋肉の付き具合も抜群に見える。そうなると、物怖じせずに堂々と前を向いて歩いていそうな馬になるのかな。


「とーまーれ!」


 の合図でピタッと止まる。控え室から騎手たちが出てきてお客さんたちに一礼する。その中でものすごく小柄な女性騎手と、対象的に大柄な女性騎手に目を奪われた。


 真弥が売り出し中の女性騎手がいるって言ってたね。あの娘たちで間違いなさそう。


 気づけば目で追っていた。厩務員の手を借りて跨っていく。ストレートラインとラピッドファイア。


 この2頭で悩んでみよう。




「ふー、何枚か無駄にしたけどなんとか塗りつぶせた」

「慣れるまでなかなか大変かもね」

「マークシートなんて自動車学校の試験以来かも」


 わたしは女性騎手を応援したかったのでふたりが乗る馬を選んだ。それが直感でピンと来たストレートラインとラピッドファイアだった。


 ストレートラインは、3歳の牡馬(ぼば)。毛の色は鹿毛(かげ)で、額から鼻まである作――白斑――が目立っていた。485キロもあるのだけど、引き締まった体で少し小さいようにも思えた。


 ラピッドファイアは4歳の牝馬。毛の色は栗毛(くりげ)で、小流星と言われる白斑が、額から少し鼻のほうに流れている。525キロもあって、間近で見たときの迫力が群を抜いていた。


 ストレートラインは8枠17番、ラピッドファイアは7枠14番。くしくも千直で有利と言われている外枠からの発走だ。前者が4番人気で後者が2番人気。 


 わたしの買い目は2頭の応援馬券――単勝と複勝が一緒になっているもの――とワイドに100円ずつで計500円。


 真弥の買い目はストレートラインの単勝500円と、ラピッドファイアとの馬連とワイドに200円と300円の計1000円。


「ストレートラインは勝ち上がるよ。パドックでのオーラが今までともう全然が違う。直夏が導いてくれる! だって先月の中山のダートで走ったレース、1着とアタマ差だったんだよ! 3頭並んでのゴールだったんだから、もう3頭とも1着でも良かったぐらい!」


 馬場へ行く道すがら真弥の熱弁が止まらない。何しろなかなか勝ち上がれず、枠順にも恵まれず、ダートに芝に行ったり来たりの迷走状態だった。


 そこにきて黒金直夏に騎乗依頼が回って来る。初コンビ初戦で念願の初勝利を収めてからは、騎乗継続で2勝目が遠いものの状態が良くなっていったのだから。


 私はうなずきながらもう1頭の本命馬の話を振った。


「ラピッドファイアも輝いて見えたよ。大きな馬体が全体的に引き締まった感じがして」

「そう! だからラピッドファイアこそ本命にしたかったんだけどね。でも、ダート後の馬が来る可能性が高いのよ。今年は千直に適性を見つけたみたいで、年内は千直しか走らせないって言ってたから。ちょっと本命にはしづらかったかな。陣営としては連闘してでもオープン入りに近づきたいんだろうね」


 デビューが遅れ、3歳の5月の未勝利で鮮やかな勝利を挙げるも、その後は勝ちに恵まれず。芝で様々な距離を試すも、イマイチ結果を残せなかったみたい。


 マイル・中距離路線を諦め、短距離路線に変更したことで安定して掲示板を狙える馬にまでなったのだ。ちなみに連闘したのは5月の話で、今月は連闘していない。


「背の高い子は結構強いの?」

「若手の中ではまだまだ勝ちきれないけど、女子騎手の中では直夏の次に強いかな。後ろから追える力は若手で5本の指に入るけど……でも最近光利(ひかり)は、前目の競馬もどんどん上手くなってきたからね。馬込みにも怯まなくなってきたし。密集しがちな短距離戦も成長してるよ、ホントに」


 まるで親しい友人を応援するかのようなテンションに、正直少し気おくれしてしまう。それでも構わず真弥は小幡(おばた)光利の説明を続けた。


「だけど、それを差し引いても同期の直夏の活躍に、光利も燃え盛ってると思うから、3着以内には来そうな気がするんだよね。何しろ直夏はG1騎乗にリーチがかかってるから」


 有馬記念や日本ダービーなどのG1と格付けされているレースは、通算で31勝を上げていなければならない。2年目の黒金直夏は今日までに30勝上げている。つまり、今のレースを勝てば、最高峰のレースに参加できる権利を得られるのだ

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