第73話 開花


 ティナは精霊王ルーアシェイアから月下草の育て方を見せてもらった。


(……これは……人間が育てるのは不可能なんじゃ……?)


 ところが、普通の植物の育て方と全く違っていたため、ティナは困惑してしまう。


「あの、ルーアシェイア様……。せっかく教えていただいたのに申し訳ないのですが、私に栽培は無理だと思います……」


《何故だ?》


「あ、いや、私はルーアシェイア様のような不思議な力もありませんし……」


 ティナは正直に考えていることをルーアシェイアに伝えた。

 精霊王であるルーアシェイアが持つような特別な力が、自分には無いからだ。


《うーむ。おかしなことを言うな。私の力も其方の力も同じだろう?》


「へ?」


 しかし、ティナの考えとルーアシェイアの考えは違うらしい。


《私の力も其方の力も、ラーシャルード様から与えられた力なんだ。其方にも種を芽吹かせることが出来るはずだ》


「あっ……!」


 ルーアシェイアの話を聞いたティナの頭に、ノアから教えられた言葉が甦った。


『──魔力も神聖力も元は同じものじゃて。ただ、大切な人を救いたいという想いが神聖力となる場合があるでな』


 魔力も神聖力も、ルーアシェイアが言うように元は同じラーシャルード神から与えられたものなのだ。

 その力は人の心の持ちよう次第で、その性質は変化する。

 ならば、ティナが強く願えば、その力は月下草を開花させる力になるだろう。


「有難うございます……。やってみます!」


 ティナは気付かせてくれたルーアシェイアに感謝した。


 何事も出来ないと決めつけたら先には進めない。

 ティナは両親の夢を叶えるためにも──そして、堂々とトールに会いに行くためにも、ここで立ち止まってはいられないのだ。


 ティナは袋から種を一つ取り出すと、祈るように両手でぎゅっと握り締めた。


(──どうか芽吹きますように……!)


 ティナはただ一言、その言葉に万感の思いを乗せて祈った。

 それは神官たちが神に捧げる義務の祈りとは違う、かたちを持たない、けれど心からの祈りだった。


「──あ」


 種を握りしめていた手のひらが熱くなった感覚がして、ティナはきつく閉じていた目を開いて見る。

 すると、ルーアシェイアの時と同じように、虹色の光がティナの手から溢れていた。


 ティナが思わず手を広げると、まるで種に吸い込まれていくかのように、虹色の光が収まっていく。


《ほら、種を地に落としてごらん》


「は、はいっ!」


 ルーアシェイアに促され、ティナが月下草の種を地面にそっと置くと、月の光を浴びた種から小さい芽が顔を出した。


「あっ! 芽が出ました!」


 ティナが見守る中、発芽した種は葉を茂らせながらどんどん成長していく。

 そして茎が伸び、蕾をつけ、透き通るような純白の花びらが徐々に開いていった。


「うわぁ……っ」


 月明かりに照らされた月下草の花には、儚い美しさがあった。

 開花すると同時に漂う芳香は甘くて優しくて、心が洗われるような清々しさを醸し出している。


《成功したな。美しい花だ》


「……っ、はい……っ!! 本当に綺麗……!!」


 月の光を受けた月下草は、花弁自体が淡く光っているように見えた。


 綺麗に咲いた月下草を眺めていたティナの目から、涙がぽろぽろと零れ落ちた。ずっと張っていた緊張が解けたのかもしれない。

 その涙には神秘的な花の美しさへの感動と、念願だった月下草の開花を叶えた喜びも混ざっているのだろう。


 ティナは涙をぐっと拭うと、気持ちを切り替えるかのように月を見上げた。


 ここへ来て、ようやく大きな一歩を踏み出すことが出来た。しかしまだまだやらなければならないことはたくさんある。


 開花を成功させた次は、栽培場所を見つけなければならない。


 だがルーアシェイアが挙げた条件はかなり厳しく、探すのに時間がかかりそうだ。

 もはやここでしか月下草は育てられないのでは、と思ってしまう。


 それでもこの場所は街まで遠すぎて、たとえアウルムに乗せてもらったとしても、街まで往復で一ヶ月はかかるだろう。


「あの、ルーアシェイア様は月下草が育ちそうな場所に心あたりはありませんか?」 


 ティナはノアが住む小屋からも、そう離れていないぐらいの距離で月下草を栽培するつもりでいた。

 出来るのなら、街の外れの静かな場所で、のんびりとスローライフを楽しみながら、時々はノアと一緒にご飯を食べたりして、悠々自適に月下草を育てようと思っていた。

 そして、普通の薬草と同じような値段で月下草を必要としている人たちに売り、売上金を孤児院に寄付しよう──など、色々と計画を立てていたのだ。


 自分が生きていけるだけのお金は、両親が残してくれた遺産だけで十分すぎるほどある。

 ティナは聖女の座を失った今でも、何かの形でこの世界に貢献したかった。

 だからルーアシェイアならこの世界をよく知っているだろうし、適した場所を知っていると、ティナは思っていたのだが……。


《それは私ではなく、エーレンフリートの系譜に連なる者に聞いた方が良いだろうな》


 ルーアシェイアから返ってきた答えは、ティナの予想とはまったく違っていた。


「え? それは、どういう……」 


《……ああ、とても良いタイミングだな》


 ティナがルーアシェイアの言葉の意味を理解する前に、湖の周りを包んでいた空気が変化した。


 まるで、固く閉じていた扉が開いたような、そんな感覚がした。と同時に──


「ティナっ!!」


 ──聞き覚えがある声が聞こえ、咄嗟に振り向いたティナの目に、ずっと恋焦がれていた人の姿が映る。


「……っ、トール……?」


 ティナは一瞬、自分に都合が良い夢を見ているのでは、と思う。

 トールに会いたくて会いたくて、毎日祈るように願っていた望みを、ルーアシェイアが幻を見せることで叶えてくれたのだと思い込もうとした、けれど。


「ティナ!! 会いたかった……っ!!」


 切羽詰まった、余裕がない言葉と同時に、ティナはトールに抱きしめられていた。


 きつく抱きしめられる感覚と温もり、そして伝わってくる心臓の音に、ティナは夢や幻じゃない、本物のトールがここにいる、とようやく実感出来た。


「……え、トール……? 本当に……?」


 きっと今頃、トールは煌びやかな王宮で美しい婚約者の令嬢と共に、優雅にダンスでも踊っているのだろう、とティナは思っていたのだ。

 それなのに、目の前にいるトールは王子どころか貴族にも見えないぐらい、ボロボロになっている。

 顔を隠すために敢えてボサボサにしていた髪は、強風に煽られたかのように乱れ、羽織っているコートもところどころ汚れていて、まるで戦闘後のようだ。


 しばらくして、慌てたトールがティナを抱きしめていた腕を解いた。


「あっ! こんな格好でごめん! ずっとティナに会うことしか考えてなかったから……!」


 我に返ったのだろう、トールが薄汚れた自分の服装に気付き、恥ずかしそうに言う。


 そんなトールの様子に、自分と再会するために彼がなりふり構わず険しい道のりを移動して来たことがわかってしまう。


「……どうして……っ、私、トールに酷いことを言ったのに……!」


 ──あの時、ティナはトールに酷い言葉を投げつけただけでなく、彼の言葉に耳を傾けようとしなかった。そればかりか暗殺者ごと結界に閉じ込めてしまったのだ。

 自分勝手な奴だと、トールに見限られても仕方がないことをしてしまった自覚がティナにはあった。


 だから強がってはいたものの、本当はトールに嫌われたと思っていたし、彼に会いたくないと拒絶されるのが怖くて、月下草の栽培を言い訳に再会を先延ばしにしていた、それなのに──。


 おそらく、トールはティナと別れてからすぐ追いかけて来てくれたのだろう。そうでなければこんなに早く再会出来るはずがない。


「それは俺が弱かったからだよ。いつまでも過去に囚われていて、これからのことを俺がちゃんと考えていなかったから……。ティナに怒られるまで気付かなかった俺が悪いんだ。だから気付かせてくれたティナには感謝してる……有難う」


 やっぱりトールは優しくて、ティナに怒るどころか自分が悪かったのだと言う。それどころか、感謝の言葉まで言ってくれたのだ。


 そんなトールの優しさと懐の広さに触れたティナは、如何に自分が狭量か思い知らされ、情けなくなる。


「ちがっ、違うの……っ!! トールは約束を守ってくれたのにっ、私が……っ! 全部忘れたくせに、トールの気持ちを考えずに責めた私が悪いのっ!!」


 自分の不甲斐なさと、トールに申し訳ない気持ちが入り混じり、今までずっと溜め込んでいたティナの感情が爆発する。

 泣かないように我慢していた涙がティナの頬を伝い、ぽたぽたと地面に吸い込まれていく。

 トールと再会したことで箍が外れ、涙が溢れ出して止まってくれないのだ。


「ごめん、ごめんなさい……っ! 辛い記憶を押し付けて……っ、それなのに会いに来てなんて我儘を言ってごめんなさい……っ!」


 真面目なトールは必ず約束を守ろうとしたはずだ。

 だから自分が「会いに来て」と言わなければ、トールは過去を忘れて前向きに生きていたかもしれない。

 結局、トールを”約束”で過去に縛り付けていたのは、自分自身だったのだ。


 後悔と自責の念で泣きじゃくるティナを慰めるように、再びティナを抱きしめたトールが優しい声で言った。


「ティナが我儘を言ったんじゃない。それは俺の望みでもあったんだ。ティナと約束していなかったとしても、絶対に俺は君に会いに行ったよ」


「……っ!」


 トールの言葉を聞いたティナが顔を上げると、優しい金色の瞳があった。


「だから自分を責めないで欲しい。それに辛い記憶だけじゃなかったよ。それ以上に、楽しい思い出もいっぱいあったから」


 ──そう言って優しく微笑むトールの笑顔は、今がとても幸せだと伝えてくるようで。


 きっとトールは自分が幸せだと伝えることで、ティナの罪悪感を洗い流してくれているのだろう。


「……、うん……っ!」


 トールの笑顔に応えるように、ティナも満面の笑みを浮かべた。


 もう何度目かわからない涙がティナの頬をつたうけれど、それは今この瞬間を喜ぶ、幸せの涙だった。



 * * * * * *



お読みいただき有難うございました!


あと二話で完結です。


次回もどうぞよろしくお願いいたします!( ´ ▽ ` )ノ

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