第72話 誕生


 満月の夜、月の光を浴びて本来の姿になった精霊たちが喜ぶ中、長らく眠りについていた精霊王ルーアシェイアがついに目覚め、ティナの前に姿を現した。


《私の力が弱まったのは、世界中にある精霊の住処が、いつからか荒れ果ててきたからなんだ》


 ルーアシェイア曰く、以前はこの湖のように聖気溢れる清浄な場所が世界中に幾つもあり、精霊たちもたくさん暮らしていたという。


「荒れ果てて……? それはどうしてですか?」


《瘴気だよ。聖気に溢れていた場所が、大量に発生した瘴気のせいで荒れてしまったんだ》


「瘴気が……」


 ティナはルーアシェイアの話を聞いて疑問に思う。普通、聖気が溢れていた場所に属性が全く正反対な瘴気が自然発生することはあり得ないのだ。


《私はすべての精霊と繋がっているからね。だから離れた場所にいる精霊が受けた瘴気の影響も受けてしまうんだ》


 ルーアシェイアが弱っていたのは、瘴気の影響を間接的に受けていたからだった。


「あの……っ、それは、こことは違う場所に弱っている精霊さんがたくさんいるってことですかっ?!」


 弱っている精霊たちを想像するだけで、ティナの胸がひどく痛む。この湖にいる精霊は今日、月の光を浴びてとても元気な姿を見せてくれた。

 だからすっかり安心していたのに、ティナが知らない場所で苦しんでいる精霊たちがいると思うと、居ても立っても居られない。


《大丈夫だよ。こうして私の力が回復したんだ。私と繋がっている精霊たちも徐々に回復していくはずだ》


「……っ、よかった……っ!!」


 精霊たちが無事だと聞いたティナは、心の底から安堵した。

 もし苦しんでいる精霊がいたら、すぐにでも駆けつけようと本気で思っていたのだ。


 そんなティナの意気込みを感じたのか、ルーアシェイアがふわり、と微笑んだ。

 輝くような美しさに、ティナは夜なのに眩しさを感じてしまう。


《其方のおかげで今宵、新しい眷属たちが誕生する。一緒に見届けてくれるか?》


「え? 精霊さんが生まれるんですか……? うわぁ……っ!! 是非! 是非ご一緒させてくださいっ!!」


《うむ》


 ティナが了承した次の瞬間、ティナたちは精霊樹の前に転移していた。


「──っ、あれ? あれれっ?!」


 転移魔法の詠唱も魔法陣もなく、ルーアシェイアは空間移動を実現した。

 大精霊ともなると、世界の法則とは関係なく理を曲げることが出来るらしい。


《ほら、間もなくだ》


「え──……」


 ルーアシェイアの言葉にティナが見上げると、精霊樹自体が淡く光っていた。

 そして実っていた何百もの実の光がぱあっと強くなったかと思うと、光が一斉に弾けた。


 精霊の実が放つ光が、暗闇を明るく照らし出す。

 弾けた光は粒子となって、精霊樹の周りに降り注いだ。

 その光はまるで、この世界の闇を払拭するかのような、聖浄な光だった。


「──……っ」


《美しい光景だろう?》


 あまりにも美しいものを見ると、言葉なんて全く出てこなくて、ただその光景に魅入ることしか出来ない。


 だからティナは、ルーアシェイアの問いかけにただ一言、「──はい……っ!」としか答えられなかった。


 しかしルーアシェイアはその一言で、全てを察してくれたようだ。


《再びこの光景を見ることが出来て本当に嬉しい。私だけの力では無理だったからな》


 今、目の前に広がる美しい光景は、ティナたちが精霊たちに協力した結果だとルーアシェイアは言う。


 ──ティナが毎日、欠かすことなく限界まで神聖力を分け与え、起こした奇跡なのだと。


 生まれたばかりの精霊たちは、まだ人の形を成すことは出来ないらしく、光の塊の姿だった。

 もちろん言葉も聞こえないけれど、この世界に生まれ喜んでいることは、すごく伝わってくる。


 精霊たちの喜びが、まるで歌のように森中に響き渡ると、その歌に呼応するように空気が震える感覚がした。

 きっと、この森に存在するすべての生きとし生けるものが、精霊の誕生を祝福しているのだろう。


《其方には感謝している。礼をしたいのだが、望むものはないか?》


 無事精霊の誕生を見届けたルーアシェイアは、ティナにお礼がしたいと言う。


「あっ!! あります!! 望むものあります!!」


 ここへ来てようやく、ティナは本来の目的と、自分が望んでいるものを思い出した。


 ティナの望み──それは、月下草の栽培方法を知り、両親が残した種を育てることだ。


「私、月下草を育てたいんです! どうすれば育てられるのか教えていただけませんか?!」


 ティナはルーアシェイアにここへ来た理由と目的を説明した。両親が月下草を探していたこと、そして種を手に入れ、栽培しようとしていたこと──。


《……なるほど。其方の両親は善良な心を持っていたのだな。しかし、其方の両親が月下草を育てることは叶わなかっただろうな》


「え……っ!? どうしてですか……っ?」


《月下草はここのように聖気に満ちた場所で、聖なる力と月の光を受けて始めて育つのだよ》


「聖気……聖なる力……」


 月下草は精霊が暮らせるような聖浄な場所で、聖なる力を受け月の光を浴びないと花を咲かせないと言う。


 月下草の話を聞いて、ティナは何かが頭に引っ掛かった。


「……あれ? ……そういえば……」


 何に引っ掛かったのか、頭の中を整理したティナに、ある疑問が浮かび上がる。


 月下草は昔から”幻の花”として、万病を治す薬の素材に使われていた。しかし年々、収穫量が減っていて、今ではほとんど手に入らないと記憶している。

 よく考えてみれば、それは精霊たちが住む場所に人間が入り、月下草を採取したということだ。


(もしかして、精霊の祝福を受けた人間が、採取した月下草を売っている──?)


 そう考えたティナの胸がどくん、と跳ねる。と同時に、ひどく嫌な予感がする。


「あの、ルーアシェイア様は月下草の採取を誰かに許されたことはありますか?」


《私は今も昔もそんなことを許した覚えはない。何故そんなことを聞く?》


「えっと、実は──」


 ティナは月下草が外の世界でどのように扱われているのか、そして祝福された者が、許可なく月下草を持ち出している可能性があることを説明した。


《──なるほど。精霊の住処が荒れ果てたのも、瘴気が大量に発生したのも、月下草が盗まれたことが原因か》


「……あれ? 瘴気の発生と月下草には関係があるんですか?」


《ああ、説明がまだだったな。月下草には瘴気を浄化する効果があるんだ。そうして聖浄な地を守っているんだよ》


「えっ?! そうなんですか……?!」


 月下草を希少な治療薬の素材だとばかり思っていたティナは、月下草の本来の効果に驚いた。


「あっ、じゃあ、月下草がまたたくさん咲いてくれたら、瘴気が浄化されて精霊さんが住めるようになるんですね!」


《そうだな。今は力が回復したとはいえ、月下草の力がないとまた精霊たちは弱ってしまうだろう。早々に月下草を咲かさなければならないな》


 月下草が増えれば、世界各地で起こる瘴気溜まりの発生を抑えられるだろう。

 瘴気は病気になる原因の一つだと言われている。その瘴気を浄化するということは、病気の人間を救うことにも繋がっていくはずだ。


 きっとそれこそが、両親が人生を捧げて探し求め、叶えたかった望みそのものなのではないか──と、ティナは思う。


「あのっ、私にも月下草を植えるお手伝いをさせてください! それに両親が持っていた種を自分で咲かせてみたいんです!」


《ああ、其方の望みはそれであったな。──よかろう。種は持っているか?》


「えっ! あ、すみません! 種はテントの中なんですっ!!」


《そうか。では戻ろう》


「へっ?! ──……、っ?!」


 ルーアシェイアが頷いたと思った次の瞬間、ティナたちは設営地に戻っていた。

 今だに無詠唱の転移魔法に慣れていないティナは、突然変わった景色に一瞬狼狽えたものの、急いで種を取りにテントへ向かう。


「種を持ってきますので、少しお待ちください!」


 ティナはテントに置いていた魔法鞄から、月下草の種が入った小さい袋を取り出した。

 袋の中には両親の希望である小さい種が入っている。


 ──ようやく二人の願いが叶うのかと思うと、感慨深い想いでティナの胸がいっぱいになる。

 

「お父さん、お母さん……もうすぐだよ」


 ティナは袋をギュッと握ると、キリッと気を引き締め、ルーアシェイアの元へ向かう。


「すみません、お待たせしました!」


 ルーアシェイアが待つ場所に戻ったティナは、袋に入っていた種を差し出した。


《確かに月下草の種だな。其方の両親はどうやってこれを手に入れたのだ?》


 ティナから受け取った種を見て、ルーアシェイアは不思議そうな顔をしている。


「種の入手方法は私も知らないんです」


《そうか、まあいいだろう。ではこれから月下草を咲かせるから、よく見ているのだよ》


「はいっ!!」


 ティナが月下草の種を握ったルーアシェイアの手を見ていると、握ったところから虹色の光が溢れてきた。

 しばらくして光が収まると、ルーアシェイアはそのまま地面にぽとり、と種を落とす。


 ルーアシェイアの一挙手一投足を見ていたティナの瞳が、落とされた種を見て大きく見開かれた。


「──え……っ?!」


 地面に落ちた種が月の光を浴びて発芽したかと思うと、どんどん茎が伸びて葉が茂っていく。そして蕾をつけたかと思うと、幾重にも重なった純白で繊細な花びらがゆっくりと開いた。


「……綺麗……」


 月下草の花が満開になると、上品で柔らかい芳香が漂ってきて、ティナの鼻をくすぐった。


《花は三日間咲き続け、花が終わった後に実をつけるんだ。その中に月下草の種が入っているんだよ》


 花が咲いた後、ついた実は三週間ほどで大きくなるという。

 大きくなった実は地面に落ちて種を蒔き、聖なる力で花を咲かせ、次の満月の光を浴びて成長するのだそうだ。


 月下草の花が咲くと、聖気を纏った芳香が溢れ瘴気を浄化する。

 そうして月に一度開花することで瘴気を浄化し、凶暴な魔物の発生を抑えてくれるのだ。


 世界中で頻発している瘴気溜りも、元はといえば月下草が減少したために起こっている現象のようだ。

 ほとんどの人々はティナのように、月下草を希少な治療薬の素材としか認識していないはずだ。だから自分達の首を絞めることになるとは思わずに、月下草を求めてしまったのだろう。

 

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