第71話 満月


 ──ティナが待ちに待った、満月の日当日。


 大量の料理を作り終えたティナが空を見上げてみると、茜色だった空が紫色から濃い青へと変わっていた。もう間もなく、夜が訪れるだろう。


「あー、間に合ったー! でも、さすがに作りすぎたかな?」


 テーブルには所狭しと料理が並び、焚き火台にも焼き掛けの肉や鍋で煮込まれている料理がある。

 どう考えても五人やそこらで食べられる量ではない。


『大丈夫だよー。僕もいっぱい食べるのねー』


《私たちだっていっぱい食べるわよ》


《とっても美味しそうね》


《早く満月が昇ってくれないかしら》


 ティナの料理を早く食べたそうに、アウルムと精霊たちがうずうずとしているのが伝わってくる。

 そして満月が昇るのを、今か今かと待ち構えている。


「ふふ、たくさん食べてくれたら嬉しいな」


 ティナはお茶を飲みながら、アウルムや精霊たちと一緒に満月を待つ。


 紫と青のグラデーションで彩られた空には、太陽の残滓で金色に染まった雲が浮かんでいる。

 湖にも同じ空模様が広がっていて、どこが境目なのかわからない。まるで空を映す鏡のようだ。

あまりにも神秘的で美しい風景に、胸の奥が熱くなり、感動で涙が出そうになる。


ティナは刻一刻と変わっていく空を眺めながら、この光景を忘れないよう大切に胸の奥にしまう。


 それからしばらくして、太陽が完全に沈み、空に星が瞬く頃、金色に輝く月が姿を現した。


《満月よ!!》


《やっと満月だわ!!》


《こんなに待ち侘びたのは初めて!!》


 ようやく訪れた満月の到来に、精霊たちが歓喜の声を上げる。

 そして月明かりを浴びながら、まるで踊るようにくるくると飛び回ると、精鋭たちの放つ光がだんだん大きくなっていった。


「え? ええっ? ば、爆発しちゃうっ!!」


 どんどん膨れ上がっていく光にティナは恐れ慄いた。

 そして大きくなった三つの光が弾け、強烈な光が迸りティナは咄嗟に目を閉じる。


「め、目が……っ!! うっ、チカチカする……っ」


 目を咄嗟に閉じたものの、光の爆発をモロに見てしまったティナの目の網膜には点滅する光が星のように飛び交っている。


《やったわ! 人の姿になったわ!》


《力が溢れるみたいだわ!》


《やっと望みが叶うのね!!》


 精霊たちの喜ぶ声を聞いたティナがそちらに目を向けると、そこには淡い光を纏う小さな子供たちがいた。


「うわぁあああっ!! せ、精霊さんたちだよねっ?! すっごく可愛いっ!!」


 精霊たちには属性があるのか、三人が持つ色はそれぞれ緑色・黄色・橙色と違っていた。これなら見分けがつきそうだ。


《きゃー! 褒められたわ!》


《ホント? 可愛い?》


《うふふ! 嬉しい!》


 精霊たちはティナに褒められ、きゃっきゃと喜んでいる。

 ティナがそんな様子を微笑ましく見ていると、周りを飛んでいた小さい精霊たちの光が、”ぽぽぽんっ!”と音を立て、次々と弾けた。


「わっ?! な、何……っ?! ──あ……っ!」


 ティナが驚いている間にも、光はあちこちで弾けていく。

 そうして弾けた光の後には、人型へと変化した手のひらサイズの小さい精霊がいた。


「──っ!? う、うわぁあああっ!! すごい……っ!!」


 湖にいたすべての精霊が、まるで生まれ変わるかのように、次から次へと姿を変えていく。

 いつもティナと話す三人の精霊とは違い、輪郭はぼんやりとしているが、嬉しそうな表情をしているのがわかる。


 そして精霊たちが放つ光が湖を照らし、幻想的な光景を作り出す。


「綺麗……っ!」


 ティナはあまりの美しさと、待ちに待った瞬間を迎え、喜びで胸がいっぱいになる。


「……すごいっ!! すごいよっ!! みんな力が戻ったんだね!!」


 月を司る大精霊、ルーアシェイアの力が最大となる満月の光を浴びたからだろう、精霊たちはキラキラと光の粒子を放ちながら、代わる代わるティナの周りを飛び回っている。

 言葉は発していないが、ティナに挨拶をしていることはよくわかった。


「ふふっ、みんな可愛い……っ!! 挨拶してくれて有難うね!」


 精霊たちから伝わってくる優しさに、ティナの胸はポカポカと温かくなる。


「あれ? そういえばアウルムが……」


 精霊たちに夢中になっていたティナは、ふと、アウルムが静かなことに気がついた。

 アウルムはどこだろう、と見渡せば、子供の姿になった三人の精霊たちが何やら騒いでいる。


《きゃー! もふもふよー!!》


《すごいわっ!! ふわっふわよっ!!》


《くせになるわね!!》


 ティナが精霊たちの方を見てみると、アウルムがもみくちゃにされていた。


「あっ! アウルム!」


『…………』


 精霊たちに盛大にもみくちゃにされながら、アウルムは全てを諦めたような目をしている。


「ちょ、ちょっと! 精霊さんたち落ち着いて!!」


 慌てて駆けつけたティナがアウルムを抱き上げると、精霊たちはすごく残念そうに言った。


《あら、もう終わり?》


《この子、すっごく気持ちいい毛並みね!》


《もっと撫でたいわ!》


「ごめんなさい、アウルムが疲れているみたいなので、今日は休ませてあげてください。あ、とりあえず料理を食べませんか? みんなのために頑張って作ったんですよ!」


《あっ! そうだったわ!》


《ずっと食べてみたかったのよ!》


《早く食べましょう!》


 ティナは精霊たちの興味を、見事アウルムから逸らすことに成功した。


 精霊たちはテーブルに群がって、あれこれと料理を食べている。マナーなど一切知らない精霊たちは手掴みで食べているが、零さないよう丁寧に味わっているようだ。


《美味しい!! これが美味しいってことなのね!》


《こんな感覚初めて!》


《色んな味がするわ! 不思議ね!》


 初めて食事をする精霊たちが甘味以外の味覚に驚いている。いつもはアシェルの実のような果物ばかり食べていたから、塩味や辛味などは新鮮なのかもしれない。


 ちなみに周りを飛んでいる小さい精霊たちも料理の周りをふわふわと飛び回っている。


「あ、小さい精霊さんたちは料理を食べられないのかな?」


《あの子たちも食べているわよ?》


《すっごく美味しいって言っているわ!》


《とても喜んでいるわよ!》


 ティナが精霊に聞いたところ、小さい精霊たちは料理から出る香りや湯気を吸い込むことで食事の代わりになるのだそうだ。

 精霊たちの説明にティナはなるほど、と感心する。


「アウルム大丈夫? ご飯食べる?」


『…………ごはん……? 食べるー!』


 ティナに抱っこされて落ち着いたのか、ご飯と聞いたアウルムの目に再び光が宿り始めた。

 どうやらティナの料理を食べたいという欲望が、精霊たちのモフり攻撃で受けたダメージを回復させたようだ。


「よかった。たくさん食べてね」


 ティナはお皿に料理をてんこ盛りにしてアウルムに渡した。どれもアウルムの好物ばかりだ。


『おいしいー! ティナおいしいよー!』


 すっかり元通り元気になったアウルムが、ティナの料理を美味しそうに食べている。


 そうしているうちに、夜はどんどん深まって、月の光も一層強くなっていく。


《あ! ルーアシェイア様だわ!》


《ルーアシェイア様がおいでになるわ!》


《久しぶりに起きられたのね!》


 ルーアシェイアの気配を感じ取ったらしい精霊たちが、一斉に湖へと集まった。


 湖面には大きな月が映り込んでいて、まるで二つの月が浮かんでいるように見える。


「ふわぁああ……っ!!」


 湖面に映った月の光が大きくなり、どんどん輝きを増していった。以前見た時とは比べ物にならないほど光が大きくなっていく。


 ティナは目の前で繰り広げられる光の乱舞に感動した。今日何度目の感動なのかわからない。

 きっとこんなに深く感動したのは、ティナの人生において初めてかもしれない。


《今宵は皆、随分と楽しそうだな》


 月の光が集まって、人の形を成した大精霊ルーアシェイアが、ほぼ一ヶ月ぶりに姿を現した。

 前回見たぼんやりとした姿ではなく、はっきりとした美しい姿だ。


 ルーアシェイアが持つ長い髪は光り輝く白金色で、瞳は宵闇を映すような深い銀灰色をしている。


 ティナはルーアシェイアを見て、その美しさに胸を打たれた。


 以前会った時とは比べ物にならないほどの、威圧に似た圧倒的存在感を全身に感じ、ティナの身体が無意識に震えてしまう。


 その姿も、声も、何もかもが美しいのだ。

 ルーアシェイアが少し動くだけで、その一コマ一コマすべての瞬間が非現実的に感じるほどに。


《ルーアシェイア様!》


《目が醒められたのですね!》


《心配していたんですよ!》


 すべての精霊たちが、ルーアシェイアの目覚めに喜んでいるのが伝わってくる。

 ティナも精霊たちと一緒に、ルーアシェイアの目覚めを心の底から喜んだ。


《ラーシャルード様の寵愛を受ける者──ティナよ》


「…………ふあっ?! あ、あわゎ、は、はいっ!!」


 ルーアシェイアの美しい声が、自分の名前を呼んだことに、一瞬ティナは気づかなかった。ルーアシェイアが出す声の響きの美しさに、思わず聞き惚れていたのだ。


《我が眷属たちが世話になった。其方の尽力により、精霊樹も無事息を吹き返した。皆を代表して礼を言う。──有難う》


「……っ! ……っ、そ、そんな……っ!! お、恐れ多いですっ!!」


《ふふ、そう謙遜するでない。其方が精霊樹に神聖力を分け与えてくれたおかげで、私の力も回復したのだ》


「──えぇっ?!」


 ルーアシェイアから意外な事実が知らされ、ティナはひどく驚いた。


《精霊樹と私は繋がっていてな。弱まっていく精霊樹の維持に、私は力の大半を使っていたのだよ》


 そうしてルーアシェイアは、ティナにこれまでのことを教えてくれた。

 何故、自分の力が弱まっていったのかを──。

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