第70話 聖霊降臨祭
セーデルルンド王国の王都にある、ラーシャルード神を崇拝する大神殿で今、聖霊降臨祭が行われようとしていた。
聖霊降臨祭は、王都を張り巡らしている結界を維持するために、年に一度行われる神事である。
神に身を捧げた聖女がその神聖力を以って、人々を守るよう神に願い、祈りを捧げるのだ。
普段は門を閉じている大神殿も、年に一度のこの日だけは門を開放していた。
そのこともあり、大神殿は神の奇跡を一目見ようとする民衆で一杯になっている。
「今回神事を行うのはクリスティナ様じゃないんだって?」
「ああ、何故か新しい聖女様に交代したとか」
「でもその場合、お披露目の儀式をする筈だよなぁ? 俺、全然知らなかったぜ」
いつもは聖霊降臨祭の開催に湧き上がっている民衆も、どこか落ち着かない様子だ。
無名の聖女が重要な儀式を執り行うことに不安なのかもしれない。
「大丈夫なのかねぇ……。まあ、大神官様がいらっしゃるから、心配ないと思うけどよ」
「でも、最近辺境の森で瘴気が発生してるって噂だぜ?」
「じゃあ、ここにも魔物が来るかもしれないのか?」
「いやいや、いくら何でもこの王都まで魔物が来ることはないだろうが……不吉だよな」
瘴気が発生する場所には、凶暴な魔物が現れるというのがこの世界の常識だ。
だから人々は瘴気が出ている場所を見つけるたびにすぐ浄化して来たのだ。
しかし今の王国は未曾有の事態に陥っていた。
国中のあちらこちらで瘴気が発生しているのだ。
そんなことはここ五十年以上起こっておらず、王宮の文官や大神殿の神官たちも原因を究明するために奔走しているという。
人々の期待と不安が入り混じる中、聖霊降臨祭の始まりを知らせる鐘が、大神殿中に響き渡る。
「おっ! 始まるぞ!」
「新しい聖女様はどんな方だろうな!」
「噂によると、貴族のご令嬢らしいぜ?」
「へぇ! 貴族のご令嬢がねぇ! それは殊勝な心がけだ!」
新しい聖女に対して、さまざまな憶測が飛び交う中、大神官が姿を現した。
その後ろから、まるで姿を隠すように身体を長いベールで覆った人物が付いてくる。
細かい模様が編まれている絨毯の上を、大神官と聖女らしき人物、その次に神官たちが列をなして歩く。
これから大神官たちは大聖堂に入り、中にある結界を維持するための大魔法陣に神聖力を注ぐ儀式を行うのだ。
ちなみに大聖堂の中に入れるのは神官と王族だけだ。
中でどんな儀式が行われるのか、詳しいことは民衆にはわからない。しかし儀式が終わると、大聖堂から光の柱が立ち上り、結界の光が王都中を包み込むという。
その光景は幻想的で、誰もが神の存在を固く信じ、無神論者でも信仰を胸に抱くほどだ。
「……今回は随分たくさんの神官がいるな」
「いつもは10人ぐらいだよな?」
「大神殿中の神官が集まってるみたいだな」
「それだけこの聖霊降臨祭が重要ってことだろ」
大聖堂へ向かう行列を民衆が見守る中、歓声が徐々に止み、今度は周りから戸惑う声が聞こえ始めた。
「……お、おい……っ。なんか変じゃねぇか?」
「どうしたのかしら……。あのベールを被っている人って聖女様よね?」
「ああ、いつもはあの位置にクリスティナ様がいらしたからな。彼の方が新しい聖女様なんだろうが……」
人々の不安がどんどん大きくなっていく。何故なら、聖女らしき人物の歩みが徐々に遅くなっていき、さらにふらふらと足元がおぼつかなくなって来たからだ。
「おいおい、大丈夫なのか?! 今にも倒れそうだぞ!」
「もしかして病気なんじゃ……?!」
「え、でも病気なら大神官様が治癒してくださるんじゃ?」
そうこうしている内に、聖女らしき人物はついに転倒してしまう。その拍子に被っていたベールが脱げ落ち、聖女の姿を曝け出す。
「────…………?!」
一抹の静寂が流れた後、人々の驚く声が大神殿中に響き渡った。
「えええええぇっ?!」
「え、嘘だろ……っ?!」
「ちょ、ちょっと待てよ!! あの老女?が聖女様だって?!」
「一体どういうことなのっ!!」
「聖女様……? あれが……?」
「どうして老年の女性がそこにいるんだ?!」
人々が驚くのも無理はなかった。
過去、高齢の聖女は存在していたし、実際他国にいる聖女も高齢だという噂だ。
しかし、今人々の目の前にいる聖女は月日を経て歳をとった老女とは違う、異質な姿をしていたのだ。
元々は金色をしていたらしい髪はくすみ、白髪が混じっている。そして灰色に濁った瞳は虚ろで、顔にはひび割れたような皺が刻まれていた。
その姿に生気は全くなく、今にも寿命が尽きようとしているようだ。
まるで美しかった少女が干からびたらこんな姿になるのでは──? そんな感想を人々に抱かせた。
驚愕する人々をよそに、倒れた聖女を神官たちが担ぎ、大聖堂へと運んでいく。
ここにいる誰もが、聖女を心配そうに見送った。
予想外の出来事に人々がざわめき、大神殿中が重苦しい空気に包まれる。誰もが聖霊降臨祭が無事終わるのかと不安そうだ。
「──静粛に」
喧騒に満ちた大神殿に、重く威厳がある大神官の声が響いた。
先ほどまで騒いでいた人々が、その声を聞いてしん、と静まり返る。
「ここにいるほとんどの者が、此度の聖霊降臨祭に不安を抱いているであろう。見ての通り、聖女交代の弊害は出ているが、ラーシャルード神のご慈悲によりこの聖霊降臨祭は無事終了する、と大神官オスカリウスの名にかけてここに誓おう」
大神官がそう宣言すると、不安そうだった人々の顔が明るくなっていき、重苦しかった雰囲気が一転した。
大神官オスカリウスの名声は王国の外にも知れ渡っている。
次期教皇候補と言われるだけあり、誰もが彼を信頼しているため、彼の言葉が人々の憂いを晴らし、安心させたのだ。
「大神官様が仰るなら心配いらないな!」
「どうなることかと思ったぜ」
「あの聖女様、大丈夫かしら」
「聖霊降臨祭が終わったら、ゆっくり休めるんじゃないか?」
「神聖力ですぐ元気になられるだろ」
聖女の本当の役目を知らない人々が気楽に言う。
今の平和が少女たちの犠牲の上に成り立っているということを、彼らは理解していない──いや、理解しようとしなかった。
聖女は神に選ばれた人間だから、自分たちを救うのは当然だと思っている。
それは言い換えれば、救われて当然という傲慢な考えで、目の前の現実から目を背けているのだ。
人々はこの状況の異常さを感じながら、”今回は無事終わったとしても、来年は大丈夫なのか?”とは思わない。大神官や神官たちがなんとかしてくれるだろう、と呑気に考えている。
たった一人の聖女が齎した幸運が、永遠に続くと錯覚しているのだ。
運良く与えられた平和を享受するだけで、自分たちで平和を守ろうとしてこなかった代償がどうなるのか──その答えを、人々はその後、思い知らされることになる。
* * * * * *
大聖堂に運び込まれた聖女──アンネマリーは息も絶え絶えで、生きているのが不思議なほどだった。
彼女は<聖女の腕輪>を身につけた日から、常に腕輪の魔石に魔力を吸収され続けていた。
アンネマリー自身、魔力は多いと自負していたのだが、予想よりもはるかに魔力の消費が多く、供給が追いついていない状態であった。
もし、正式な手順を踏んで腕輪を継承していたなら、状況は変わっていたかもしれない。
しかしアンネマリーはティナを貶め、その座を奪うことに頭がいっぱいで、その先に待つ困難も、フレードリクがその権力でどうにかしてくれる、と思っていた。
そんな邪心を持った者が聖女の腕輪を身につけたからなのか、腕輪は大神官の予想よりも多くの魔力をアンネマリーから奪っているのだ。
それはまるで、ティナから聖女の地位を奪おうとしたアンネマリーから、若さや美貌を奪おうとする腕輪の意志──もしくは、愛し子を貶められた神からの罰のようであった。
大神官オスカリウスは、アンネマリーが付けている腕輪に腕を伸ばす。
そして魔石の状態を確認し、魔力が満たされていることを確認すると、呪文を唱え始めた。
オスカリウスが呪文を唱え終わると、腕輪が”カチリ”と外れ、オスカリウスの手の中に落ちる。
幸い、腕輪の魔力は規定値に達していた。そのほとんどがティナの魔力であるが、それでもアンネマリーも一応役目を果たしたことになる。
本来なら、腕輪を祭壇に捧げるのは聖女の役目だが、これ以上アンネマリーを酷使すると、本当に生命の危機に瀕してしまうだろう。
オスカリウスは神官にアンネマリーを休ませるように伝えると、聖霊降臨祭の開始を告げた。
「これより最後の聖霊降臨祭を執り行う。神官たちは前へ」
聖女不在の今、神に祈るのは神官たちの役目となった。
結界を発動させる術式に必要な神聖力も膨大なため、大神殿中の神官をかき集める事態となったのだ。
今までティナ一人で行ってきた聖霊降臨祭が、実際は神官が100人以上いてようやく成し遂げられるレベルだという事実に直面し、大神殿の人々はその事実を重く受け止めた。
そうして、さまざまな意見が飛び交い混迷しながらも、大神殿は大きな決断を下したのだ。
──今後、聖霊降臨祭を行わない、と。
大神官を始めとした神官たちの祈りの声が、大聖堂に響き渡る。
参列を許された王族たちも神官たちと同じように、神に祈りを捧げていた。
ちなみに王族たちの中にフレードリクの姿はない。
彼は国を危険に晒す事態を引き起こしたとして王位継承権を剥奪、王族からは名前を排除され、身一つで辺境の地に送られたのである。
大聖堂中の人間が神に祈りを捧げる中、大神官が腕輪の魔石を祭壇に捧げ、結界発動の術式を展開すると、大魔法陣から放たれた光が王都を包み込んだ。
大聖堂の外から、人々の喜ぶ声がこだまして、儀式が成功したことがわかる。
これで一年間は結界が王都を守ってくれるだろう。
──だがしかし、とオスカリウスは思う。
きっと今日から大神殿と王宮は慌ただしくなるはずだ。
あとたった一年の間に、聖女の力無しでこの国を守る方法を模索しなければならないのだ。
しかし、その一年という時間は、傲慢な人間に対して神が与える、最後の慈悲のようにも思えた。
これから王国は苦難の道を歩むだろう。
それでも誰かを犠牲にする上で得られる平穏は砂上の楼閣だと、今回のことで気付くことが出来たのだ。
その教訓を生かすためにも、この国に住むすべての人が一致団結する必要がある。
「……クリスティナに情けない姿を見せられんからな」
大神官は10年以上もの間、王国のために全てを捧げてくれた少女を思い出す。
そして、少女が守ってくれたこの国を、自分たちの力で守り続けよう──と、ラーシャルード神に誓ったのであった。
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