第69話 時空間魔法
ノアがトールに振る舞ってくれたティナの手料理は、とても優しい味がした。
ただそれだけで、ティナがノアをすごく気遣っていることが感じ取れる。
ティナとノアが共に過ごした一ヶ月と言う時間は、人によって短いと感じるかもしれない。だけど二人にとっては、お互いを大事な存在として位置付けるには十分な時間だったようだ。
トールはティナの大事な存在となったノアをとても羨ましく思うと同時に、心から尊敬した。彼は警戒心が強いティナの心を一ヶ月で開いたのだ。自分は再会してから半年近くもかかったというのに。
しかしティナがノアに懐いたのも納得だ。ノアは器の大きさを感じさせる何かと、独特の雰囲気を持っているのだ。
ちなみにトールもノアが持つ巨大倉庫に驚かされている。
そこは時間の干渉を受けないから、いつでも当時のままの状態で取り出せるようになっていた。
だからティナの手料理も、トールは出来立てを美味しく食べることが出来たのだ。
「時空間魔法……本当に便利ですね」
「ふぉっふぉっふぉ。そうじゃろうそうじゃろう。使えて損はないからのう。坊ちゃんも練習してみるがええ」
「いやいや、時空間魔法はそう簡単に取得できるようなものじゃないですよ」
トールとしても、時空間魔法が使えるのなら是非とも使ってみたいと思う。トールが使える転移魔法も時空間魔法の一種だが、難易度が全く違うのだ。
しかもクロンクヴィスト王国で最高の権威を誇る宮廷魔術師のフェダールでさえ、転移魔法までしか使えなかった。
それほど難解な時空間魔法は、今では先天的な才能が必要不可欠だ、という認識が世界共通になっている。
「そうか? ワシゃ研究してるうちに使えるようになったでな」
「いや、それはきっとノアさんが天才的頭脳を持っていて、しかも人間より時間があったからじゃないですか?」
時空間魔法は研究者が自身の人生を捧げる覚悟で挑む魔法だ。きっとノアが極められたのも、ハーフエルフの寿命の長さと優れた頭脳が奇跡的に合致したからだろう。
「坊ちゃんも学んでみんか? ワシの論文を見せてやるぞい」
ワインを飲んでいたノアが、超貴重な論文をトールに見せてくれると言う。ほろ酔い気分なのか、随分機嫌が良さそうだ。
ちなみにノアが倉庫から持って来たワインは、500年以上前に滅亡した王国で作られた伝説のワインだったと、トールは記憶している。おそらく一本で白金貨一枚は下らないはずだ。
「えっ! そんな貴重なものを!? …………あ、いや、でも俺には難しいかと思います」
トールは慌てて自分を抑えつけた。思わず論文を見せて欲しいと言いかけてしまったのだ。ただでさえノアの論文は内容が難解だと有名だ。きっと読むだけでも何ヶ月もかかってしまうだろう。
「ふーむ? 坊ちゃんの才能もかなりのモンじゃがなぁ。まあ、気が向いたらいつでもここへ来るがええ。ワシが坊ちゃんに教えてやるでな」
「えっ?! 本当ですかっ!? 有り難うございます! 大魔導士に師事できるなんて光栄です!」
トールは昔から時空間魔法にすごく興味があった。しかし今優先すべきは何よりもティナとの再会だ。早く彼女に逢いたくて仕方がないのだ。
だから今回は諦めようと思ったのだが、ノアからの申し出はトールにとってはとても有り難かった。
魔法オタクなところがある彼にとって「魔法学の父」と呼ばれているノアに魔法を教わる機会が得られたのは僥倖だろう。
「ふぉっふぉっふぉ。まあ、まずは嬢ちゃんと仲直りせんとな。坊ちゃんも気掛かりじゃろて」
「……はい」
トールはノアの昔話を聞き終わった後、ノアに促されてティナとの関係を洗いざらい吐かされていた。
話を聞き出すのも大魔導士級のノアに誘導されたトールは、それぞれの身分以外のほとんどのことをノアに知られることになったのだ。
だからティナがトールから離れて、ここに一人で来た理由も知っている。
「嬢ちゃんは精霊王の湖を目指しとるでな。少なくとも満月の夜まではそこにおるじゃろ」
空を見れば、満月が少し欠けていた。次の満月まであと三週間と少しだろう。
「精霊王の湖……。それはどこにあるんですか?」
湖といっても、この広大な森の中で見つけるのは至難の業かもしれない。この森は小国ほどの広さがあるのだ。
「ワシもその場所は知らんのじゃよ。湖は『死の壁』と呼ばれる登攀が困難な絶壁に囲まれとるでな。歩いて行くような普通の方法じゃ辿り着けんのじゃ」
「え……『死の壁』、ですか……?」
「うむ。ちなみに飛行魔法で行こうと思っても無駄じゃよ。過去に湖の噂を聞いた金持ちが、優秀な魔術師や冒険者を集めて湖を見つけようとしたらしいんじゃがの。目に見えない何か──おそらく結界じゃろな。それに阻まれて、ことごとく失敗しとるでな」
確かに登れないような絶壁なら、飛行魔法で乗り越える方法が最善だ。だからその金持ちも優秀な魔術師を雇ったのだろうが、結局湖の捜索は失敗に終わってしまったらしい。
「そんな場所にどうやって行けば……っ。ティナは大丈夫でしょうか?」
ティナはノアでさえ辿り着けない場所を目指しているという。
きっとティナのことだから、怪我はしていないと思う。しかし、心配なことに変わり無い。
「嬢ちゃんには聖獣が付いとるでな。聖獣の主なんじゃから、なんも心配はいらん」
確かにアウルムなら、結界なんてあっさり突破できそうだ。
それに聖獣であるアウルムほど、ティナに相応しい護衛はいないだろう。きっと精霊王の湖までティナを導いてくれるはずだ。
「それなら良かったです。問題は俺ですね。場所がわかっても辿り着けない可能性が……」
「んん? 何が問題なんじゃ?」
「え?」
「坊ちゃんには精霊が付いとるでな。ちょっと変わっとるが、問題なく行けるじゃろ」
精霊王に会うには精霊の祝福が必要だが、ノアはすでにトールがその条件を満たしていると言う。
「……あ、確かに。以前ルシオラが俺を祝福したって言ってました」
てっきり湖に行くにはアウルムのような聖獣の導きが必要だと思っていたが、精霊の祝福があれば大丈夫と聞いて、トールは安心する。
実際、探せと言われても聖獣なんて存在がそこら辺にいるはずもない。アウルムとの出会いが特殊過ぎたのだ。
ちなみに精霊の祝福もそう簡単にもらえるものではない。そもそも精霊に会うことすら難しいのだが、トールは全く自覚していない。
「そうじゃ。精霊ならこの森の奥から発せられる<聖気>を感じるじゃろ? それを目指して行けば、道は開かれるじゃろうて」
《何かよくわかんないけど、わたし頑張るよ!》
ルシオラから、気合いのようなものが伝わってくる。
精霊王に会えるかどうかは自分にかかっているのだとノアに諭され、責任感が湧いて来たのかもしれない。
「んん〜〜? 変わっちょると思っとったが、よく見るとその精霊は普通の生まれ方ではないようじゃな。うーむ。これは興味深いのう……ちょっと調べさせてくれんか?」
《えっ!? むっ、無理!! 無理無理無理ぃーーーーっ!!》
「すみません、それはちょっと……。本人も嫌がってますんで……」
「ふぉっふぉっふぉ。冗談じゃよ。ワシもこれ以上精霊に嫌われとうないでな」
《え〜? 本当かなぁ……。さっきの目は本気だったよ……!》
「それにしてもノアさんはそんなことまでわかるんですか? すごいですね!」
怯えるルシオラをヨシヨシしながら、トールはノアの観察力を賞賛する。
魔力の波長を視覚として認識しているのか……ノアの潜在能力は計り知れないな、とトールは思う。
「そうか? 嬢ちゃんと一緒で坊ちゃんも褒め上手じゃのう! ふぉっふぉっふぉ!」
褒められたノアは嬉しさでくねくねしている。褒められるとくねくねするのは彼の癖なのかもしれない。
* * * * * *
トールたちがノアの小屋に辿り着いた次の日、朝早くからトールは出発の準備をしていた。
昨日の夜、散々ワインを飲んでいたノアだったが、朝が早いにも関わらずトールを見送るために起きて来てくれたのだ。
「ノアさん、お世話になりました。とても楽しかったです」
「ふぉっふぉっふぉ。こんなに客人が来るのは初めてじゃったからのう。ワシも楽しくてつい、はしゃぎすぎたわい」
トールは、ただでさえ人が訪れることがない森の奥で、ノアは寂しくないのだろうか、と少し心配になる。
「えっと……今度はティナと一緒に来ますから。だからそれまで待っていてください」
しかし何百年もこの森で過ごしているノアに、そんな心配は無用だろう。彼は自分の意思でこの環境を選んだのだと思うから。
それに、ノアが心配ならティナと一緒に何度でも会いに来ればいいのだ。きっと彼は喜んで迎え入れてくれるはずだ。
「そうさな。嬢ちゃんと坊ちゃんが一緒に来てくれるなら、こんなに嬉しいことはないわいな」
ノアは笑顔でそう言うと、懐から魔石が付いたメダルのようなものを取り出した。
「これはこの小屋に転移出来る魔道具じゃ。転移の術式と座標を刻んどるでな。魔石に魔力を流せば発動するからの。これを持って行くがええ」
「えっ?! そんな魔道具が存在するんですか?!」
「うむ。この森の中では転移魔法は使えんからの。ワシが研究がてら作ってみたんじゃよ」
<迷いの森>と呼ばれるように、この森の中では飛行や転移など一切の移動魔法が使えない。精霊王の結界が原因のようだが、ノアはその結界を無効化する方法を持っているということになる。
小屋と近くの街を繋ぐ転移陣は固定座標なのでそう難しくないらしい。しかしトールたちのように移動する場合、特殊な術式が必要なため、製作はかなり難しくなる。
「こんな貴重なものをいただいて良いんですか?」
ノアから手渡されたメダル型魔道具には、緻密な術式がびっしりと書き込まれている。この術式を解析出来れば、世界の魔道具事情が変わるかもしれない。
「ふぉっふぉっふぉ。本当は嬢ちゃんに渡そうと思っとったんじゃよ。じゃがうっかり忘れておってのう。坊ちゃんから嬢ちゃんに渡してくれんか」
ノアは「うっかり」というが、それはきっと嘘なのだろう、とトールは思う。
もしかするとノアはトールの来訪に気づいていて──ティナを追いかける口実を作ってくれたに違いない。
「──はい、必ずティナに渡します……!」
「うむうむ。頼んだぞい」
トールはノアと別れると、馬に乗って精霊王の湖へと向かった。
ルシオラの案内のもと、最短距離で馬を走らせているが、ノアの小屋から出発して既に三週間が経過していた。
──そうして、とうとう満月の日の当日。
トールの目の前に、突然開けた空間が現れた。
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