第67話 精霊樹
精霊たちに導かれたティナとアウルムは、湖の奥にある精霊樹へと辿り着いた。
精霊樹は神々しく、たくさんの実が光る幻想的な光景は、見るもの全てを魅了すると同時に畏怖の念を抱かせる美しさがあった。
しかし今、この精霊樹は力の源であるルーアシェイアの弱体化の影響を受け、精霊が生まれにくくなっているという。
《あなたの神聖力を精霊樹に分けて欲しいの》
《幹に手を当てて、力を流し込むのよ》
《もし反発されたらすぐ離れてね》
「はいっ、やってみます!」
ティナは精霊たちに言われた通り、精霊樹に近づくとその幹に手を当てる。
すると、まるで包み込むような優しい気がティナの身体を駆け巡った。
《精霊樹が受け入れたわ!》
ティナは精霊樹から流れて来た気と自身の魔力を馴染ませる。誰にも言われていないのに、そうすることが正解だと何故か理解できたのだ。
そうして、ティナは自分が持ちうる神聖力を全て精霊樹に捧げるつもりで流し込んで行く。
身体中からごっそりと何かが抜けていくような感覚に襲われるが、ティナは構わずに神聖力を流し続けた。
セーデルルンド王国で行われる聖霊降臨祭でも、毎回同じように魔力が抜かれていたのだ。それに比べればまだ神聖力に余裕はある。
──何より、精霊樹を助けたいという想いが、ティナを突き動かしているのだ。
《す、すごい……!》
《人の子でここまで神聖力を持っているなんて!》
《エーレンフリートでもここまでしゃなかったわ!》
精霊たちが感嘆の声を上げる中、ティナは神聖力を注ぎ続けた。すると、力の流れがゆっくりになる感覚に気がついた。
(あ……! アウルム……!)
ふと下を見ると、アウルムの身体から魔力が精霊樹に流れていく光景が見えた。アウルムも先ほどの言葉通り、手伝ってくれているのだ。
《フローズヴィトニルの子も頑張ってくれているわ!》
《この子もすごく魔力が多いのね!》
《彼女とよく似た波長ね》
ティナとアウルムが協力しながら力を流し込んでいると、突然繋がっていた
「えっ……どうして……」
流していた神聖力の供給が断ち切られたような感覚に、ティナは戸惑ってしまう。
《精霊樹があなたを守ろうとしたのね》
《これ以上力を注ぐと倒れてしまうわ》
《今日はここまでにしましょう。無理は良くないわ》
どうやら精霊樹がティナを心配してくれたらしい。
自身も弱っているのに、ティナを気遣ってくれる精霊樹の優しさにティナは嬉しくなる。
「精霊樹さん、心配してくれて有難うございます」
ティナの言葉を精霊樹が理解できたのかはわからない。けれど、精霊樹の光が温かくて優しいから、ティナの想いはちゃんと伝わっているだろう。
「アウルムも手伝ってくれて有難うね。おかげでとても楽だったよ」
『ほんとー? 次も一緒に手伝うよー!』
ティナを手伝えたのが嬉しかったのだろう、アウルムが尻尾をぶんぶんと振り回している。
「アウルムは本当に可愛いなぁ……!」
アウルムの可愛さに、ティナは思わずアウルムを抱き上げると、頬をすりすりとすり寄せた。ふわふわの毛がとても気持ちいい。
《気持ちよさそうね……》
《私も撫でてみたいわ……》
《しばらくは我慢ね……》
精霊たちの目から見ても、アウルムの毛並みは気持ちよさそうらしい。
きっと満月の夜が来たら人型になって、アウルムをモフるつもりなのだろう。
アウルムは大変だろうけれど、ティナは満月の日を待ち遠しく思う。
そうして、ティナが精霊王の湖に到着して初めての夜は、こうして更けていったのだった。
* * * * * *
精霊王の湖に来た日の夜から、ティナは毎日日課のように精霊樹の元に訪れては神聖力を分け与えていた。
元々ティナの神聖力は一日寝ると回復していたが、湖で過ごしてみるとさらに回復スピードが速くなっていることに気がついたのだ。
ここが清浄な地というのもあるが、アシェルの実を始めとした希少で幻とされている果物を食べていることも原因ではないか、とティナは考えている。
「う〜ん、贅沢だなぁ……」
ティナは鍋をかき混ぜながら呟いた。
ちなみに鍋の中はアシェルの実を煮詰めたもの──ジャムだ。
ティナは鈴なりに実っているアシェルの実を摘み取りながら、自分の価値観がおかしくなっていくのを実感する。
世の錬金術師や薬師が見たら発狂しそうだな、と思いつつ、その手は止まらない。
きっとこのジャムを売れば、小さい瓶一つで城が買えてしまうほどの価値があるだろう。しかしティナはその価値を気にすることなくジャムを煮詰めていく。
「パンケーキにはジャムだもんねぇ……」
『僕もジャム好きー!』
普通の動物では食べられないものでも、問題なく食べられるアウルムは、アシェルの実のジャムをいたく気に入っていた。
今もティナが焼いたパンケーキにたっぷりとジャムをのせてもらい、美味しそうに食べている。
ある意味ティナは、アウルムのためにジャムを作っている。アウルムもティナと一緒に精霊樹に魔力を分けてくれているので、回復が早まるように、という意味合いもあるからだ。
そしてティナたちが神聖力を分けてから、精霊樹に新しい実が実り始めたと精霊たちが騒いでいた。このままいけば、すでに実っていた実から無事精霊たちが生まれそうだとも。
《次の満月には新しい精霊たちがたくさん生まれるかも!》
《今からとても楽しみだわ!》
《ルーアシェイア様もお喜びになるわ!》
精霊たちは精霊樹が徐々に回復していく様子を見て大喜びだ。彼女たち自身、日に日に元気になっていると思う。
こうして、精霊たちや精霊樹が元気になっていく様子を見て、ティナ自身とても嬉しく思っている。
しかし、いまいちティナの気分は晴れていない。
「ルーアシェイア様、今日は会えるかな……」
ティナが寂しそうに呟いた。
何故なら、ティナがルーアシェイアに会えたのは一回だけで、それ以降ルーアシェイアは姿を現していないのだ。
《こんなに起きてこないのは珍しいわね》
《でもルーアシェイア様の聖気は落ち着いているから、心配はいらないわ》
《もうすぐ満月だから、もう少し待ってみましょ》
正直、ティナはあの時ルーアシェイアに月下草のことを詳しく聞いてみたかった。しかし今は、ルーアシェイアの力が戻るまで待つつもりでいる。
それに満月になれば、何かしらの情報が手に入るかも、という予感もあった。
ティナは本人の姿を見ないと心配になるタイプだ。だけど精霊たちが問題ないと言ってくれるから、その言葉を信じようと思う。
「……そうですよね。もうすぐ満月になるし、きっと姿を見せてくれますよね」
空を見上げると、月はかなり満ちていた。後三日ほどで満月になるだろう。
ティナは月を眺めながらこれからのことを考える。
もし、三日後の満月でルーアシェイアが目覚め、彼女と話せるのなら、月下草のことを質問しよう。そして一刻も早く月下草の栽培を始めたい。
そうすればきっと、胸を張ってトールに会いに行ける──その想いはもうすでに、ティナの原動力になっている。
たくさんの期待と少しの不安を胸に抱きながら、ティナはずっとトールとの再会を夢見ているのだ。
アウルムや精霊たちがそばにいてくれるから、ティナの周りはいつも賑やかだ。だけど、ふとした瞬間トールの顔が浮かんでは、頭から離れず困ってしまう。
何度も自分に言い聞かせ、トールを諦めようとしているものの、今だにティナはトールを想い続けている。
その想いは、どうすればトールを諦められるのか、誰かに教えて欲しいと願ってしまうほどだ。
《そろそろ精霊樹の様子を見に行かなきゃ》
《日に日に輝きが増しているわよね》
《きっと精霊樹が私たちを待っているわ》
精霊たちの言葉を聞いて、ティナはハッと我に帰る。
トールのことは隅に置いて、今は精霊樹の回復に集中だ。
「わかりました! ほら、アウルム行こう!」
『はーい!』
ティナたちは昨日よりもさらに明るく光る湖面の上を歩いていく。
毎日歩いているが、その日によって景色は変化していて、全く見飽きることがない。
それからしばらく歩くと、月の光に照らされた精霊樹が見えて来た。
淡く輝く精霊樹から、ティナたちを歓迎し、温かく迎え入れている──そんな意思のようなものが伝わってくる。
《精霊樹が喜んでいるわ!》
《元気になって嬉しいのね!》
《私たちを待ってくれていたみたいだわ!》
精霊たちが精霊樹の気持ちを教えてくれた。元気になって喜んでいる様子が伝わって来て、ティナも嬉しくなる。
「じゃあ、今日もよろしくお願いしますね」
ティナは精霊樹にそう言うと、幹に手を置いた。そうして、意識を集中させ精霊樹に神聖力を注いでいく。
『僕もよろしくねー』
ティナの真似をしたアウルムも精霊樹に声をかけ、魔力を注いでいる。
《何だか二人ともさらに魔力量が増えた気がするわ》
《そうよね。初めの頃より随分増えていると思う》
《毎日限界まで力を注いだ結果かしら》
二人が力を注ぐ光景を見ていた精霊たちが驚きの声を上げる。
ただでさえ多かったティナたちの魔力量がまた増えていたからだ。
──それから時間は流れて、ついに満月の日を迎えた。
当日の朝、ティナは早く起きて料理の仕込みを頑張っている。精霊たちが実体化した時に備えて、料理をたくさん作っておこうと思ったのだ。
煮込み料理を作っている間にアウルムをブラッシングし、いつモフられても大丈夫な状態にしておいた。
料理の仕込みも終わり、軽く火を通せばすぐ食べられるだろう。
あとは日が沈み、月が出る時を待つばかりだ。
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