第66話 大精霊


 よくよく確認してみれば、精霊王の湖の周りは貴重な素材の宝庫だった。


 森のあちらこちらに珍しい薬草が群生していたのは、前人未到の地だからとばかり思っていたが、それはティナの勘違いだったらしい。

 森の奥に進めば進むほど生えている薬草の効果が高いのも、きっと同じ理由なのだろう。


「幻のエフェリーンがたくさん……! 絶滅した花だって本に書いていたのに!」


 ティナは花や草を見るたびに感動の声を上げる。本の挿絵でしか見たことがない植物が目の前に溢れかえっているからだ。


「森の外では見られない植物がこんなに元気に育っているのって、やっぱり……」


《そうよ。ここにはルーアシェイア様の聖気が溢れているからよ》


《ふふ、神聖で清浄な場所でもあるしね》


《外は瘴気が濃いから育たないのよ》


 ティナの予想通り、湖の周りはルーアシェイアの影響を強く受けていたようだ。


 精霊王ルーアシェイアは月を司っていると精霊たちが言っていた。月は植物の成長に大きく関係しているらしいので、清浄な場所との相乗効果で希少な植物でも元気に育つのだと、ティナは予想する。

 それにここまでやってくる人間がいないので、乱獲されることなくそのまま残っているのも理由の一つだろう。


 気が付けば、太陽は完全に沈み夜の気配が濃く漂ってきた。

 そして静かだった湖面に大きく欠けた月が映ったかと思うと、光が集まるかのようにどんどん輝きが大きくなっていく。


《あら、ルーアシェイア様が目覚めたようよ》


「ルーアシェイア様が……っ」


 集まった光は人の形を成していく。しかし全体の輪郭はぼんやりとしていて、顔の判別は出来ない。それでもとても美しい姿なのだということは何故かわかる。


《珍しい気配がすると思ったら……人間、とフローズヴィトニルの子か》


 女性の美しい声がティナの頭に響く。

 少女のような可愛い声の精霊たちとは違う、深く澄んだ水のような、透明感がある声だ。


「初めまして、私はティナと申します。ルーアシェイア様が御座すこの地に立ち入った無礼をお許しください」


 ティナはルーアシェイアに向かって恭しく頭を下げた。その姿は冒険者というより聖女だった頃の名残がある。


《ふむ……ティナか。これほど神聖力に溢れた人間は珍しいな。ラーシャルード様の寵愛を受ける者よ歓迎しよう》


「有難うございます。ルーアシェイア様のご慈悲に感謝します」


 ルーアシェイアから歓迎すると言ってもらい、ティナはほっと胸を撫で下ろす。何がルーアシェイアの怒りに触れるかわからなかったので、ずっと気が抜けなかったのだ。


《許可がもらえて良かったわね》


《しばらくここにいるんでしょう?》


《外の話が聞きたいわ!》


「精霊さんたち有難う。私もそうしたいんですけど……。あの、ルーアシェイア様。もしよろしければ次の満月までここに滞在する許可をいただけないでしょうか……?」


《構わん。皆も喜ぶだろうからな》


「……っ! 有難うございます!」


 滞在の許可を得たティナはとても喜んだ。月下草を栽培するための大きな一歩を踏み出した気がするからだ。


《私は眠る。ティナ、また話そう》


「あ、はい! 楽しみにしています!」


 目覚めてまだそう時間は経っていないものの、ルーアシェイアはもう眠るという。もしかするとティナとアウルムの気配を感じ、確認するために起きたのかもしれない。


 ルーアシェイアの身体から発せられていた光が小さくなり、空気に溶けるように消えていった。

 湖には細くなった月が映り、再び静寂が訪れる。


「──ふぅ……。あの方が精霊王……! すごい……!」


 ルーアシェイアが消えた後、緊張が解けたティナはその場にヘナヘナと座り込む。

 人智を超えた偉大な存在がすぐそこにいたのだ。普通の人間なら威圧だけで気を失っていたかもしれない。

 ティナも平気なふりをしていたがその実、自我を保とうと必死であった。


《まだ月が細いから、ルーアシェイア様の力も弱いわね》


《すぐ眠っちゃったもんね》


《早く月が満ちたらいいのに》


「えっ……! あれでも弱いんですか……?!」


 気を抜けば気絶しそうなほどの威圧感だったのに、ルーアシェイアの力はまだ弱いと言う。もし全快したらどうなるのか、ティナには想像もつかない。


《月の光が強ければ強いほど力も漲るの》


《それでも全盛期には程遠いけどね》


《最近ずっとこうなのよ》


 ルーアシェイアの力が弱まっていることに精霊たちも不安そうだ。

 ティナはそんな精霊たちをどうにかして安心させてあげたい、と思う。


「私に何かお手伝いできることはありませんか? どんなことでもいいです!」


 だからティナはルーアシェイアや精霊が元気になる方法があるのなら、教えて欲しいとお願いする。


《まぁ! 本当?》


《本当に手伝ってくれるの?》


《じゃあ、あなたのその神聖力を分けてくれる?》


「はい! もちろんです!」


《じゃあ、こっちに来て!》


 精霊はティナにそう言うと、道を案内するようにふわふわと飛んで行く。


「あ、待って!」


 ティナは精霊を慌てて追いかける。

 どこに行くのだろう、と思っていると、精霊は湖の上を飛んで行く。


「えぇええっ?! ちょ、ちょっと待ってっ!! まさか泳ぐのっ?!」


 流石に普段着のまま湖に飛び込むのは憚れる。せめて装備を外さなければうまく泳ぐことが出来ないだろう。


《大丈夫よ。こっちにいらっしゃい》


《溺れたりしないわよ》


《ここを真っ直ぐ行った方が近いからね》


 湖に入るのを躊躇っていたティナに、精霊たちが安心させるように言った。


「……っ、はい!」


 ティナは精霊の言葉を信じ、思い切って湖に足を踏み入れた。


「わぁ……! すごい! 沈まない! すごく不思議……!」


 ティナが歩くたびに波紋が湖面に広がっていく。その光景は幻想的で、まるで夢の中のようだと、ティナは感動する。


 しかも自身が羽根になったかのように、体が軽やかだ。


『ティナー。どこ行くのー? 僕も行くよー』


 湖を歩いていくティナにアウルムも付いて来た。アウルムが跳ねるたびに波紋が広がる様は、水遊びではしゃいでいる子犬のようでとても愛らしい。


「ふふっ、アウルム可愛い! あのね、精霊さんのお手伝いに行くんだよ」


『精霊のー? 僕もお手伝いするのねー!』


《まあ! フローズヴィトニルの子も手伝ってくれるの?》


《とても嬉しいわ!》


《優しい子ね!》


 精霊たちが嬉しそうにくるくると飛び回る。もし人の姿だったら踊っているように見えるかもしれない。


 ティナは精霊たちが舞う光景と、湖やその湖を取り囲むように聳える山々の美しさに感動する。

 今は新月に近い三日月だが、これが満月になったらきっと、さらに素晴らしい光景となるだろう。


 湖を縦断しているとはいえ、そもそもが大きいので渡り切るのにかなりの時間を要した。それでも美しい風景を見ながらだとあっという間に感じる。


《こっちよ》


《この森の奥を進むの》


《もうすぐ到着よ》


 湖の反対側へと続いている森は、ティナが通って来た森とはまた違う雰囲気を醸し出していた。

 神聖で静謐な空気が流れていて、まるで別世界のような錯覚を覚える。


「ここってまるで<神域>みたい……。いや、違う。もっと……」


 大神殿の奥の<神域>は、聖女や大神官が祈祷を捧げる祭壇がある場所だ。ティナはこの場所に<神域>と似た雰囲気を感じ取る。


 しかしこの奥から感じるのは、もっともっと強い<聖気>だ。


《ほら、到着したわ!》


《これは精霊樹よ》


《精霊が生まれる場所なの》


「……っ! ……す、すごい……綺麗……」


 ティナは目の前に広がる光景に絶句する。


 大きな木にいくつもの実がなっていて、その全てが淡く光を放っているのだ。


 暗闇に覆われた森の中で、温かい光を灯す大樹はまるで、希望のようだとティナは感じた。

 暗い夜空に光を追い求めてしまう人間の本能が、そう思わせたのかもしれない。


 ティナは美しすぎる光景を見て、無意識に涙を流す。感動で胸が詰まって泣くなんて、生まれて初めてだ。


《この実の一つ一つに精霊が宿っているわ》


《光が満ちたら精霊が生まれるのよ》


《ルーアシェイア様が力を分け与えているの》


 ティナは泣いてばかりではいられないと涙を拭うと、自分の気を引き締めた。

 精霊たちが手伝って欲しいと言うのだから、この精霊樹に何か問題があるのだろう。


「もしかして、ルーアシェイア様の力が弱まっていることが、精霊樹にも影響しているんですか?」


 ティナは精霊たちが置かれている状況を理解した。これまでの話をまとめてみると、自ずと答えは見えてくるのだ。


《そうよ。精霊がなかなか生まれてこなくなっちゃったの》


《このままでは精霊の数が減り過ぎちゃうわ》


《そうなると世界中に瘴気が溢れちゃう》


「えっ……?!」


 精霊と瘴気が関係あると知ったティナは衝撃を受ける。

 何故なら精霊を否定しているラーシャルード教の教えは、瘴気を溢れさせることと同義だからだ。


 それはすなわち、人々を救うための信仰が逆に人々を苦しめていることに他ならない。


(一体どういうことなのっ?! どうしてアコンニエミ聖国は精霊を否定するの……?!)


 精霊の話を聞けば聞くほどアコンニエミ聖国に対する疑念が強くなっていく。

 しかも知らなかったとはいえ、ティナ自身聖女としてラーシャルード教の布教を手伝って来た。それは間接的に精霊たちを苦しめて来たことに変わりないのだ。


「私は何をすればいいですか? 何でも言ってくださいっ!!」


 ティナは全身全霊をかけて精霊たちに協力しようと心に決める。

 それで自分の罪が許されるとは思わない。だけど精霊たちを救えるのなら、何を差し出しても構わないと心から思ったのだ。

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