第65話 疑惑


「あの、ラーシャルード神がルーアシェイア様──精霊王様をお生みになられたお話は本当なんですか……?」


 精霊たちが嘘をついていないことはティナにもわかっている。そもそも精霊がそんな嘘をつく理由がない。

 しかしティナが敢えて質問したのは、明確な答えを聞きたかったからだ。


《あら。あなた知らなかったの?》


《嘘じゃないわ。誰でも知っていることじゃないの?》


《もしかして、昔の話だから誰も知らないのかしら?》


 精霊たちにとって、ラーシャルード神が精霊王ルーアシェイアを生んだという話は常識で、覆しようのない事実のようだ。


 やはりラーシャルード教は何かの理由があって、この事実を秘匿しているのだろう。


 しかしティナにはラーシャルード教──この場合はアコンニエミ聖国だろう──の考えがわからない。どうして精霊を否定するのかも。


 初めは強制で聖女になったものの、それでも神殿に世話になったことに変わりはない。信仰心が強くないティナでも神殿の人々には感謝している。

 一部の上位聖職者はどうしようもない人間だったが、それでも大神官を始めとして真面目な信徒はたくさんいた。

 そんな彼らをアコンニエミ聖国が、ラーシャルード教の名を以って欺いている可能性があるのなら、元関係者として真偽を確認する必要がある。


(大神官様はこの事を知っているのかな……? でも……っ)


 ティナは自分の中で、アコンニエミ聖国への不信感が高まるのを感じていた。しかし今優先するべきは月下草だ。どっちにしろ森の奥深くにいる時点で、すぐに神殿へは戻れないのだ。


(とにかく今は月下草に集中しよう! どうにかしてルーアシェイア様にお会いしないと!)


 湖にいると聞いていたものの、湖はかなり大きくて広い。もし今いる位置の反対方向にいるのなら、移動に半日はかかるだろう。

 それに精霊王はそう簡単に会える存在ではないはずだ。きっと会うための条件があるのかもしれない。


「あの! ルーアシェイア様にお会いするには、どうすれば良いのでしょうか?!」


《ルーアシェイア様にお会いできるのは夜よ》


《今は眠っていらっしゃるのよ》


《目覚めるまでここで待っていたらいいわ》


「……あっ、はい。有難うございます。そうさせていただきます」


 どんな無理難題が出るのかと身構えたティナだったが、そんな条件は無いらしい。夜になれば会えると精霊たちから聞かされ安堵する。


<ティナー。僕お腹がすいたよー>


「あ、そっか。お昼ご飯まだだもんね」


 精霊との話が落ち着いたところで、アウルムが空腹を訴えてきた。思わず話に夢中になっていたが、昼の時間はとっくに過ぎている。


「あの、すみません。ここに設営して料理するのはご迷惑ですよね……?」


 ティナはダメ元で精霊たちに聞いてみた。


 ここは湖がすぐ側にあるし、開けた場所なので設営するにはもってこいの場所だ。綺麗な湖面と花が咲く光景も絶景だし、ここで食事が出来たらいつもの数倍は美味しく感じると思う。

 しかし花の良い香りに混じって煙や肉を焼く匂いがするのは何となく忍びないし、きっと精霊たちも嫌がると思ったのだ。


《別に迷惑じゃないわよ》


《散らかさなければ良いのよ》


《どんな料理を作るか見てみたいわ!》


 てっきり断られると思っていたのに、精霊たちはすんなりと許可してくれた。

 何となく制約が多いのでは、と思っていたのは考え過ぎだったらしい。予想以上に精霊たちは好奇心旺盛で気さくなようだ。


「有難うございます! お言葉に甘えさせていただきます!」


 善は急げと、ティナはささっと行動することにした。


「アウルム、ちょっと待っててね」


 ティナは魔法鞄から道具を出すとテキパキと組み立てる。薪に火をつけ湯を沸かしながら野菜を切り、その間にアウルム用の肉を焼いていく。


 それからしばらくして、ティナは完成した野菜スープと程よく焼けた肉にパンを添えてアウルムに出してあげた。


 ティナは焼いた肉を薄切りにすると、野菜と一緒にパンに挟んでサンドイッチを作る。


『おいしいー! ティナありがとー!』


「ふふ、アウルムも有難うね。ずっと走ってくれて。晩御飯はアウルムが好きなものを作るからね」


『ほんとー? でも僕、ティナの料理はどれも好きなのねー!』


 ティナとアウルムは仲睦まじそうに料理を食べている。その姿は微笑ましく、見る者の心をほっこりとさせてくれる。


《へぇ〜。フローズヴィトニルの子は人間が作ったものでも食べられるのね》


《すごく喜んでるわね。食べるってどんな感じなのかしら?》


《あの料理、すごく神聖力が籠っているみたいね。食べてみたいわ!》


 ティナたちが料理を食べる姿に、精霊たちは興味津々だ。よほど美味しそうなのか、食べてみたいと言い出した。


「えっと、私の料理でよければご馳走させていただきますけど……。どうやって召し上がるんですか?」


 見たところ精霊たちは光の塊だ。ティナやアウルムのように咀嚼することが出来るとは思えない。

 もしかすると、お供えする感じになるのかな……と、ティナは考える。


《次の満月が来たら食べられるわよ!》


《早く人間の姿になりたいわ!》


《すごく楽しみね!》


「えぇっ?! 精霊さんって人間の姿になれるんですか?!」


 精霊たちの言葉にティナはすごく驚いた。


《そうよ。満月の日だけだけどね》


《満月の光が一番力が出るの》


《昔は夜になったら人の姿になれたけれど、今は無理なの》


「……え、無理って……どうしてですか?」


 昔は夜になると人の姿になれた精霊が、今は満月の夜だけしか人間になれないと言う。もしかして昔より精霊たちの力が弱まっているのだろうか、と思うと心配になる。


《最近、ルーアシェイア様がお疲れなの》


《私たちはルーアシェイア様の眷属だから》


《ルーアシェイア様が元気になったら良いけれど》


「最近、お疲れ……」


 最近と言っても精霊の時間感覚は人間のそれと違うので、きっと百年以上も前の話なのだろう。


 精霊たちの話をまとめると、百年以上前からルーアシェイアの力が弱まっていると言う。しかし精霊たちはその理由を知らないらしい。

 詳しい話はルーアシェイア本人に聞くしかない。そんな弱みを精霊王が人間に教えてくれるのかは、わからないけれど。




 とりあえずティナは、精霊王ルーアシェイアが目を覚ます夜まで待つことにした。

 その間に食後の片付けをし、生活拠点を決め、テントを設営する。

 今回は長く滞在することになるだろうから、快適に過ごせるようにレイアウトを考えなければならない。


 ティナは焚き火台から少し離れた場所にテントを立てると、タープを張ってその下にテーブルや椅子を設置した。こう言う時、ベルトルドから貰った装備はとても役に立ってくれる。


「よし! こんな感じかな?」


 いつもは閉じているテントの入り口を今回は広げてタープと繋がるようにした。開放感がありながらもプライベート空間が確保できるレイアウトだ。

 さらにティナはノアから貰った部屋にあった可愛いクッションを寝床に並べてランプを吊るした。まるで秘密基地のようでワクワクする。


 そうしてふと気が付けば、もう日が沈みかけていた。青かった空がだんだん茜色に染まっていき、輝いていた湖面が静かになっていく。

 どうやら設営に夢中になっていて、すっかり時間を忘れていたらしい。


「あらら。もうこんな時間。アウルムごめんね、ご飯作るからね」


『大丈夫よー。甘いの食べたからー』


「え? 甘いの?」


『ティナの分もあるよー』


 そう言ってアウルムが差し出したのは、紫色をした丸くて小さい実だった。


『すごく美味しいのー。精霊が教えてくれたのー』


「わぁ! すごく美味しそう! アウルムも精霊さんも有難う!」


 ティナはアウルムがくれた実を食べてみた。皮がプチッと弾けると甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに広がってとても美味しい。


「ホントだ! すっごく美味しい! 何の実だろ?」


 ティナは紫色の実の美味しさに感動した。しかも実を食べた後、設営で疲れた体が軽くなった気がする。


《それはアシェルの実よ。食べると元気になるのよ》


「アシェルの実っ?! それって貴重なポーションの素材なんじゃ……!?」


 アシェルの実は一粒で金貨一枚の価値があると言われている、状態異常を回復させるポーションに使われる素材だ。

 こんなふうにほいほいと食べて良いものではない。


《別に貴重じゃないわよ》


《そうよ。いくらでも採れるもの》


「ひぇええ〜〜。ホントだ……めっちゃ実ってる!」


 精霊がくるくると回っている場所を見ると、紫色の小さい実がこれでもか!と実っていた。錬金術師がこの光景を見たら確実に気絶するだろう。


 ここに来るまでにも感じたことだが、この森は貴重な素材の宝庫らしい。

 まるで雑草のように生えている草ですら、誰もが欲しがる薬草なのだ。


 神殿や冒険者ギルドで、貴重な薬草や素材などの収穫量が年々減っていると心配される中、この森はまるで時間が止まったかのように──もしくは別世界のようだと、ティナは思う。

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