第63話 精霊
ノアの小屋から出発したティナは、アウルムの背に乗って森の中を進んでいた。
精霊王がいるらしい湖はまだまだ遠い。
実際、ノアの小屋があった場所も森の入口辺りだというから驚きだ。
それでも、ティナはアウルムのおかげで随分速く森の中を進めている。
「アウルム、疲れたらすぐ言ってね。無理はしないでね」
『大丈夫ー。何だか全然疲れないのねー』
森の奥に進むにつれ、アウルムはだんだん元気になっていった。
まるで森から不思議な力を貰っているかのようだ。
そして、その不思議な力は森の植物にも影響を及ぼしているらしく、森の入口にある薬草と同じ品種でも、奥に行けば行くほどその効果は段違いに高い。
もしかすると、精霊王が何かしらの影響を及ぼしているのではないか、とティナは考察する。
ちなみにティナはこの森の中で凶暴な魔物を見たことがない。
普通の森なら人間に襲いかかってくる魔物があちこちにいるのに、この森に足を踏み込んだ時から、危険な気配を感じたことがないのだ。
「うーん、不思議な森だなぁ……」
ティナは不思議に思いながらも、深く考えないことにした。
いくら人間が考えても、人智を超えた存在のことなどわかるはずもないからだ。
そうしてノアの小屋から出発してから、幾つもの日が流れた。
夜になると野宿をし、朝が来ると湖を目指して走っていく。
ティナは走りっぱなしのアウルムの身体を労わろうと、回復魔法を掛けようとするが、その必要がないぐらいアウルムは元気だった。
今も楽しそうに、まるでこれが本来の姿だというように、森の中を元気に駆けている。
ちなみにティナはティナで、澱んでいる魔力を元に戻すため、休息をとる度に魔力を全身に循環させる練習を行なっていた。
以前ノアに指摘され、魔力の澱みを改善する方法を教えてもらったのだ。
そして夜になると星を眺め、木々の息吹や風のざわめきを聞き、自然を感じながら眠りについていた。アデラが教えてくれた自然に触れるという意味を、ティナなりに実践しているのだ。
そしてさらに幾つもの朝と夜を迎えたある日、突然目の前に開けた空間が現れた。
「うわぁ……っ!!」
ティナは目の前の光景に感動する。
視界いっぱいに広がる湖は、吸い込まれそうなほど深く美しい青色で、太陽に照らされた湖面はキラキラと輝いている。
そして何より、ティナを感動させたのは湖やその周りを飛んでいる光の塊たちだ。
光の塊たちはふわふわとあちこちを飛び回り、とても生き生きしているように見える。
よく周りを見渡してみれば、鮮やかな花が四季関係なく咲き誇っており、そこにも光がたくさん舞うように飛んでいる。
満開の花弁に光の塊が止まっている姿は、まるで花のベッドでお昼寝をしているかのようだ。
「ア、アウルム……っ! こ、この光たちって……!!」
『精霊なのねー。こんなにたくさんいるのは初めて見るよー』
「や、やっぱり……!!」
ティナは嬉しさのあまり叫びそうになる。ようやくこの目で精霊を見ることが出来たのだ。それはティナの魔力が安定したことに他ならない。
「すごい……っ!! すごいすごいっ!! すっごく綺麗!!」
ティナは「すごい」を連発する。もうすご過ぎてそれ以外の言葉が出てこないのだ。
《あらー? お客さまー?》
「ふぁっ?!」
ティナがおとぎ話のような幻想的な光景に見惚れていると、突然頭の中に誰かの声が響いた。
《まあ、本当だわ。フローズヴィトニルの子も一緒ね》
「え? え? なになに?!」
また新しい声が聞こえてきた。初めの声と違うから別の人物の声なのだろう。
「あ。もしかして、精霊さんの声……?」
《ふふふ。久しぶりのお客様は可愛い女の子ね。それに魔力の量がすごく多いわ》
好奇心旺盛なのか、ティナの周りにどんどん光が増えてきた。
光の数は多いのに、聞こえてくる声は三人分だ。どうやら全部の光が話している訳じゃなさそうだ。
「あ、あのっ! こんにちはっ!! 突然お邪魔してすみません! あ、私はティナと言います。冒険者やってます」
とりあえずティナは精霊たちに挨拶をした。怪しい者ではないと知って欲しかったのだ。
『こんにちはー』
ティナを倣ってアウルムも挨拶をした。とてもお利口さんである。
《あらあら。冒険者? 愛し子じゃなく?》
「え? 愛し子……?」
ティナは初めて聞く言葉に首を傾げる。
《この魔力はラーシャルード様の寵愛を得た人間が持つものなんだけど……あら?》
精霊の言葉が間違っていないのなら、ティナはラーシャルード神から愛された人間、ということになる。しかし、精霊はティナに何かを感じ取ったようだ。
《まあまあ! あなた、たくさん持っているのね!》
《あらら、本当ね。ラーシャルード様の寵愛とフローズヴィトニルからの親愛、それに……》
《精霊の祝福まで! こんな人間を見たのは初めてね! すごく珍しいわ!》
「え? え?」
ティナは精霊たちの会話に付いていけず、困惑してしまう。どれも初めて聞くことばかりなのだ。
「あの、フローズヴィトニルって……」
《あら、知らなかったの? あなたと一緒にいる小さい子よ》
《本当なら太古の森にいるはずよね。どうしてこんなところにいるのかしら?》
《フローズヴィトニルは私たち精霊の仲間のようなものよ》
「えっ?! アウルムがっ?!」
ティナは驚きながら、思わずアウルムを見た。
アウルムは金色の瞳をきょとん、とさせてティナを見上げている。
ノアに教えられるまでずっと魔物だと思っていたアウルムは<聖獣>で、しかもその性質は精霊に近いらしい。
だからアウルムは精霊が見えたし、不思議な力を持っていたのだ。
「そっかー。アウルムは精霊さんたちの仲間だったんだ」
ティナはアウルムの頭をよしよしと撫でる。精霊の仲間といっても、アウルムはちゃんと身体があるし、もふもふだ。
《フローズヴィトニルの子はアウルムって名前なのね。人間に懐くなんて珍しいわ》
《とても可愛い子ね。それに大人しいわ》
精霊たちはティナやアウルムに興味津々だ。久しぶりのお客様と言っていたし、ここに辿り着く人間もそういないだろうから、珍しいのかもしれない。
「あの、お聞きしたいんですけど、私精霊さんに祝福されるようなことはしていないのに、どうして祝福されたのでしょう?」
ティナはずっと疑問に思っていたことを質問した。
精霊が見えず、会うことも叶わなかったのに、いつの間に祝福を受けていたのか、全く心当たりがなかったからだ。
《あら、おかしいわね。あなたの近くにわたしたちの仲間がいたはずよ》
《わたしたちは気に入った人間に祝福をあげるのよ》
《でも、あなたが持つ祝福は”感謝”と”友愛”ね》
《とてもあなたに感謝しているわ》
「感謝……?」
以前ティナが泊まった「踊る子牛亭」に、精霊がいたことは知っている。しかし、いくら考えても思い当たらない。ティナは宿にいた時の記憶を一生懸命思い出してみる。
『──ティナから精霊の匂いがするよー?』
「……あ」
記憶を遡っていたティナは、ふとアウルムから告げられた言葉を思い出す。
そしてうたた寝した時に見た夢の記憶も同時に思い出したのだ。
(もしかしてあの夢で見た光が、精霊さんだった……?)
そういえばアウルムはその後、精霊が元気になったと言っていた。もしかすると、そのことが<祝福>と関係があるのかもしれない。
《思い当たることがあったみたいね》
「はい、てっきり夢だと思っていたんですけど……」
どうして夢の内容を忘れてしまっていたのかティナにもわからないが、ずっと引っかかっていた疑問が解けてスッキリする。
《きっと”居眠り精霊”だわ。夢を覚えていないのはあの子だからよ》
《最近姿を見ていないわね》
《遊びに行ったきり帰って来ていないわね》
《そのうち帰って来るでしょ》
ティナは精霊たちの会話になるほど、納得した。
宿の主人が言っていたことは間違っていなかったようだ。
(それにしても最近って……。精霊さんの時間感覚もノアさんと同じなのかな?)
確か宿の主人によれば、彼の祖母の時代に精霊がいたと言っていた。やっぱり最近じゃないよね、とティナは思う。
「あっ! あの、ここに月下草は咲いていますか?!」
ティナはここに来た目的である月下草のことを精霊たちに質問した。
本物の精霊に会えた嬉しさで頭から抜け落ちていたのだ。
《あら、あなた月下草を探しているの?》
《残念だけど、今は咲いていないわよ》
《月下草は満月の日にしか咲かないのよ》
「えっ?! そうなんですか?」
月下草が月の光を浴びないと咲かないのは知っていたが、それが満月の光に限られるとティナは知らなかった。
確かノアの小屋から出発する三日前が満月だったから、森の中を移動した日数を考えると、次の満月まで半月ほどかかるだろう。
《ルーアシェイア様の許可もいるけど、あなたなら大丈夫ね》
「ルーアシェイア様、ですか?」
《そうよ。わたしたちを統べるお方よ》
「あっ! 精霊王様のお名前がルーアシェイア様なんですね!」
《そうよ。ルーアシェイア様はラーシャルード様がお生みになられた、わたしたちの王の一人なのよ》
「──え……?」
ティナは精霊の言葉に絶句する。何故なら、ラーシャルード教は精霊信仰を否定しているからだ。
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