第62話 決意


 訪れた人間の感覚を迷わすといわれる<迷いの森>で、大魔導士であるデュノアイエ──ノアと出会ったティナは、ノアの勧めもあり、小屋に部屋を追加で拡張してもらい、そこでしばらくお世話になることになった。


「えっ?! ええ〜〜?!」


 ティナはあまりのことに驚愕する。


 ノアが魔法で追加した部屋は、貴族の屋敷並みに広かった。しかもいつの間にか内装も整っていて、まるで貴族令嬢の部屋のようだ。


「どどど、どうしてこんなに部屋が可愛いんですかっ?!」


 てっきり宿に泊まる時のような小さい部屋に、野営で使うマットや毛布を敷いて寝床を作るのかと思っていた。

 それなのに、部屋の中を見てみれば天蓋付きのベッドに高級そうなソファーや、調度品がセンスよく配置されているのだ。


 しかもクッションやカーテンなどのファブリックも妙に可愛らしい。

 アウルム用のベッドまで用意されていて、至れり尽くせりだ。


「ふぉっふぉっふぉ。ワシは大魔導師じゃからのう」


「いやいやいや。だからって一瞬でこんな部屋を完成させるなんて、あり得ませんって」


 ノアはインテリアのセンスまで大魔導士級なのだろうか……。ティナはだんだん規格外のノアの行動に慣れていく自分を自覚する。


「まあ、しばらくはここで我慢しておくれ。必要なものがあれば用意するでな」


「我慢どころか私にはすっごく勿体無いです! 本当にここをお借りしてもいいんですか?」


「ふぉっふぉっふぉ。もうここは嬢ちゃんの部屋じゃからの。好きに使って貰って構わんよ」


「あ、有難うございます……!」


 どうやらノアは部屋を貸すのではなく、ティナにくれるつもりのようだ。

 さすがに貰うのは……と思ったティナだったが、ノアの好意を無碍にするのも気が引ける。

 その代わり、自分ができることなら何でも手伝おう、と心に決める。


「あの、じゃあここに住まわせていただく間、料理や家事は私がやりますね!」


「ふぉっふぉっふぉ。そうかそうか。嬢ちゃんの料理は美味いから嬉しいわい。すまんが頼んだぞ」


「はい! お任せください!」


 ティナは仕事を与えられて安心した。ただ享受するだけの生活は性に合わないのだ。


 それからティナは、ノアに料理を振る舞ったり、時には森での採集を手伝ったりした。

 ノアは薬草にも精通しており、この森の薬草を採取しては研究しているのだそうだ。


「この森は特別での。生態系が独自の進化を遂げとるんじゃよ」


「へぇ……! そうなんですね! 初めて知りました!」


 ティナはノアの話を聞くのが好きだった。ノアの話を聞くたびに新しい知識が増えていく。それが楽しくて仕方がないのだ。


 ノアの方も、いつも自分の話を興味深く、楽しそうに聞いてくれるティナをいつしか孫みたいに想うようになっていた。






「えーっと、エルッコラの蜜と、ハールスの葉に、ニスカラの根……っと。集めるのはこれぐらいかな?」


『ティナー。これはいるー?』


「あっ! いるいる! アウルム有難う!」


 ティナとアウルムは小屋から少し離れた所で、ポーションを作るというノアのために薬草を採集していた。


 鼻がよく聞くアウルムは一度匂いを覚えると、その薬草がある場所を見付けてくれるのでとても助かっている。


「そろそろ帰ってご飯を作らなきゃ。今日は何にしようかな?」


『ぼくはカルキノスが食べたいよー!』


「カルキノスかぁ……。美味しいよねぇ……」


 二人が話しているカルキノスとは、森の中に流れる川に住み着いている巨大なカニだ。

 大きい割に大人しく、巨大なハサミに注意していれば、難なく入手できる。


 アウルムは本来肉好きであるが、最近は食の好みの幅が広がって、魚介類を食べたいということが増えてきたのだ。


「じゃあ、今日はカルキノスを焼こうか。ノアさんにはカルキノスと野菜の具沢山スープを作ってあげようかな」


『わーい! やったー!』


 カルキノスにハマっているアウルムがぴょんぴょん跳ねている。よほど嬉しいらしい。


 ちなみにアウルムはカルキノスを殻ごと食べる。

 初めてカルキノスを料理した日、普段の愛らしい姿とのギャップに、ティナが驚いたのは言うまでもない。


「そろそろパンとチーズが切れそうなんだよね……。また街に買いに行かなくちゃ」


 ティナがノアの小屋で暮らし始めて一ヶ月が経とうとしていた。

 あまりの居心地の良さに、ずっとここで暮らしても良いかな、と思ってしまう。


 しかしティナがこの森に来たのは、あくまでも月下草の栽培場所を見付けるためなのだ。

 ノアのおかげで森の植物のことも大体理解できた。そろそろ湖を探しに出発しても良い頃合いだろう。


『街に行くのー? ぼくも一緒に行くよー! ティナを守るのねー!』


「ふふ、有難うね。すごく心強いよ。じゃあ、明日一緒に街へ行こうか」


『わかったよー』


 森から街へは転移魔法ですぐ移動できる。ノアがそれぞれに転移用魔法陣を設置していたのだ。

 だから魔法を使えば歩いて一ヶ月はかかる距離も一瞬で着くから、森の奥に住んでいても全く不便さはない。


 ティナは小屋へ戻ると、倉庫に保管していたカルキノスを取り出し、料理を作っていく。


「うーむ。深いコクと野菜の旨み……。このスープは絶品じゃな! おかわりじゃ!!」


『おいしいー! ぼくもおかわりたべたいよー!』


「はいはい、ちょっと待ってねー」


 ティナの料理を喜んで食べてくれる二人の様子はとても微笑ましい。


 そして穏やかな時間の流れを感じながら、ティナは自分がとても恵まれていることを実感する。だけど──。


 ティナは夜空を見上げた。

 黒と藍色が重なったような空には、無数の星が瞬いている。そして空に浮かぶ金色の月は、いつか両親と訪れたイリンイーナで見た月とよく似ていて……。


(……トール)


 ティナは無意識に、心の中でトールの名前を呼んだ。


 トールは今何をしているのだろう。きっと王位を継承するために忙しいに違いない。そして今頃可愛い婚約者と楽しい時間を過ごしながら夕食を共にして──なんて、想像したティナの胸がズキっと痛む。


(……あーあ。バカだな、私……)


 トールを思い出すたびに、色々想像し自分で自分を傷つけている──ティナは毎日、そんなことを繰り返す自分を哀れに思う。


 今の生活はとても楽しいしとても心地良い。

 だけど自分が思い描く幸せは、トールと一緒に旅をした日々の中にあったのだと、ティナは身に染みて感じている。


『ティナー。どうしたのー? 元気がないのねー』


 思わずしんみりしてしまったティナの感情を読み取ったのか、アウルムがティナを心配そうに見上げている。


「ごめんね、何でもないよ。心配してくれてありがとうね」


 ティナはアウルムを抱き上げて頭を撫でる。

 気持ち良さそうに撫でられているアウルムを見ると、寂しさが紛れるような気がする。


「……嬢ちゃんは気になることが沢山あるようじゃの」


 今度はノアがカルキノスのスープを啜りながら聞いてきた。


 どうやらティナが思い悩んでいることは顔に出ていて、バレバレだったようだ。


「あ……えっと、その……」


「ふぉっふぉっふぉ。嬢ちゃんがここに来て一ヶ月になるでな。そろそろ精霊王の湖を探しに行く頃合いじゃろて」


「それは……。そうなんですけど……」


「んん? それとも誰か待っておるんかいな?」


 ノアの言葉にティナはドキッとする。人の考えを読むのも大魔道士級である。


「いや……! そう言う訳じゃないんですけど……っ!!」


「何じゃ。待ち人が来るまでここで待って居ればええじゃろて」


「……多分、それは無理なんじゃないかな……?」


 この広い世界で、ティナがここにいると予想できる人間がいるだろうか。

 月下草のことを話したアデラなら、もしかするかもしれないけれど。


「そうか? 嬢ちゃんの待ち人なら只者じゃなかろうて。案外近くまで来とるかもしれんぞい?」


「えっ……」


 ティナはノアの言葉にドキッとする。不覚にも心の奥で期待してしまったのだ。


「いやいや! トールがここまで来るなんてことはないですよ! 彼はすごく身分が高いから、忙しいでしょうし……!」


 一瞬期待したものの、ティナはノアの言葉を否定する。


 何よりも、トールを拒絶したのは自分なのだ。しかもひどい言葉をぶつけた自分を、トールが追いかけて来てくれるとはとても思えない。


「そうか。待ち人はトールという名前なんじゃな。嬢ちゃんとの間に何があったのかは知らんが……人の縁はそう簡単に切れんからのう。嬢ちゃんがトールを想い続ける限り、もう一度会う機会が必ず訪れるじゃろて」


「……そう、なんですかね……」


 ノアが言う通り、ティナが望めば今すぐにでもトールに会いに行けるだろう。しかし、今の自分にはトールと会う資格がないように思う。


 だからトールと再会するのは、月下草の栽培場所を見つけ、栽培を成功させてからだ。

 その時は誠心誠意謝り倒して許してもらおう。トールは優しいから、呆れながらも許してくれるに違いない。


 それまでにトールへの想いを断ち切って、胸が痛まなくなる頃にはきっと、昔のように笑い合えるだろう、とティナは思う。


「私、精霊王の湖を探しに行こうと思います」


 ティナは考えた末、決意したことをノアに伝えた。

 

「そうかそうか。よく決断したのう。嬢ちゃんは強い子じゃ。きっと精霊王も嬢ちゃんを気にいるじゃろうて」


 ノアはティナの決意を聞いて喜び、応援してくれた。

 まるで本当の祖父のように、温かくティナを見守ってくれたノアには、いくら感謝しても仕切れない。


「……はい! 必ず見つけます! そしてまた落ち着いたら、ここに戻ってきてもいいですか……?」


「もちろんじゃよ。もうここは嬢ちゃんの家じゃからな。ワシゃいつでも待っとるからの」


 ノアと過ごした時間はほんの一ヶ月だけだった。

 だけど、時間に関係なく、ティナとノアの間には本当の家族に負けないぐらいの絆が生まれていたのだ。




 ──それから三日後の朝、準備を終えたティナとアウルムは、ノアの小屋から湖を探す旅へと出発した。


 そしてティナとノアの二人は、ひと時の別れを惜しみ、お互いの姿が見えなくなるまで手を振り続けたのだった。

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