第60話 影
アデラの店から出たトールは、馬に乗るとフラウエンロープへと続く街道をひた走った。
(ティナ……っ!!)
トールはひたすらティナのことを想い、恋焦がれている。
最後に見たティナの悲しそうな顔が、ずっと頭から離れない。
本当はギルドで再会できた時に、好きだと伝えたかった。
だけど自分の出自を考えると、どうしても想いを伝えられたかったのだ。
好きだと言えないくせに、ティナには異性として意識して欲しくて、気持ちを隠すことなく接していた。
その度に焦ったり照れるティナが可愛くて可愛くて、何度自分を抑えたのかわからない。
それにティナがアレクシスではなく、自分を選んでくれたことがすごく嬉しかった。
ティナが自分に寄せる全幅の信頼が伝わってくるたびに、心が歓喜していた。
ヴァルナルとリナとの約束を果たすためだけでなく、トールは誰よりも何よりも、ティナを愛し守ると自分の心に誓ったのだ
──それなのに、自分の不甲斐なさと後悔にも似た執念のために、ティナを傷つけてしまうなんて……自分の愚かさに腹が立って仕方がない。
だからトールは一刻も早くティナと再会し、許しを乞い、この気持ちを伝えたいと願う。
ティナがフラウエンロープに向かっているのなら、このまま走り続ければ近いうちに追いつけるかもしれない。
トールが乗っている馬は訓練されていて一日中でも走り続けられるが、だからと言って馬を乗り潰したくないトールは、たびたび休憩を取っては馬を労っていた。
そしてその度に精霊に頼み、ティナの痕跡を探してもらっていたのだが……。
(……おかしい。精霊に聞いてもティナがこの道を通った形跡がない……!)
ここに来てティナがフラウエンロープではなく、違う国に向かった可能性が出てきてしまい、トールは内心焦る。
(まさか、イリンイーナへ向かった……?)
小さい頃のティナは、ヴァルナル達と一緒にイリンイーナへ行ったことがあると言っていた。
イリンイーナはティナにとって、両親との思い出の場所でもある。
それに、イリンイーナは自然あふれる豊かな国で、神聖な森があるといわれているのだ。ティナは必ずその森を訪れたいと思うだろう。
(くそ……っ! 誤ったか……?!)
もしかすると自分の判断は間違っていたかもしれない──そう考えたトールだったが、アデラが助言してくれたこともあり、このまま進むべきか迷ってしまう。
(ティナなら……どう考える……?)
トールは過去のティナの言動を思い出す。そしてまた、自分ならどう思うかも。
(……やっぱりフラウエンロープへ行こう)
そしてトールはこのままフラウエンロープへ向かおうと決めた。
何となく、ティナがそこで自分を待っているような気がするのだ──それは願望が入り混じった、勘のようなものだけれど。
そうして、自分の勘を信じたトールはフラウエンロープへの道を突き進んでいく。
(くそっ、こういう時転移魔法が使えていれば……!)
転移魔法は一度行った場所か、もしくは特定の魔力の波長を辿ることで使える魔法だ。転移魔法さえ使えれば、とうの昔にティナと再会出来ていたはずだ。
しかし、トールが王宮から出る前にティナの魔力を辿ろうとしたものの、何故か魔力を感知することが出来なかった。まるで何かの力で遮られているようだ。
だからトールは仕方なく転移魔法を諦め、全速力で馬を走らせるしかなかったのだった。
* * * * * *
王都ブライトクロイツから出発して十日が経った頃、トールはようやくティナの手掛かりを見付けることができた。
「……えっ?! 空を飛んでいたって?!」
それは、精霊が鳥から教えてもらった情報で、白い翼が生えた大きい獣が、フラウエンロープの方角へ飛んで行った、という話であった。
ちなみにトールと共にいる精霊は言葉を発しない。伝えたいことはイメージとして、直接脳に伝えてくるのだ。
「その獣がアウルムの可能性はあるかな?」
トールは精霊に聞いてみた。実はトールにアウルムが聖獣だと教えてくれたのも、精霊だったのだ。
いつもそばにいる精霊を、トールは「ルシオラ」と名付けていた。意味は古代語で「蛍」だ。
ルシオラは上級の精霊ではあるが、今はトールの魔力を糧としているため、本来の力を発揮できていない。
「有難う、ルシオラ。アウルムの魔力が戻ったんだね」
ルシオラから伝えられたイメージは、瘴気で弱っていたアウルムが元気になり、本来の力を取り戻した、という内容だった。
本当にアウルムが力を取り戻したのなら、ティナを追いかけるのは容易で無くなってしまった。それこそアウルムならフラウエンロープだけでなくイリンイーナへもひとっ飛び出来てしまうだろう。
(早くティナに追いつかないと……! どうすれば……っ!)
さすがのトールも空を飛ぶ魔法は使えない。しかしこのままでは、ティナを見失ってしまうかもしれないのだ。
ひどく焦りながら、トールはとある街に到着した。
遠くの方に望む景色には、万年雪に覆われたフラウエンロープの山々が見える。今いる街からかなり離れているが、それだけ標高が高いのだろう。
(あそこにティナがいるのか……)
目に見える場所にティナがいると思うと、今すぐ駆けつけたい衝動に駆られてしまう。
しかし、ここはグッと我慢しなければ、とトールは自制する。
今だに、トールはティナの魔力を感知することが出来ていない。
無駄だとわかっていても、転移魔法さえ使うことが出来たなら──と何度も考えてしまう。
トールは逸る気持ちを抑え、必要な物資を街の市場で購入すると、滞在することなくフラウエンロープへと出発する。
そうして、日が沈み遠くの稜線が闇に溶け、夜空に星が瞬く頃、トールの行手を阻む者たちが現れた。
「チッ……!!」
1秒でも早くフラウエンロープへ行きたいのに、邪魔をされたトールの怒りが膨れ上がる。
「っ、皆の者かかれっ!!」
トールの威圧に一瞬怯んだものの、暗殺者集団のリーダー格の男が手下達に号令をかけると、十人もの暗殺者達が一斉にトールへと襲いかかった。
「うおおおおおっ!!」
「死ねっ!!」
「おりゃああああっ!!」
トールは馬から飛び降り、背負っていたツヴァイハンダーを手にすると、暗殺者達からの攻撃を次々といなしていく。
「ぎゃぁっ!!」
「ぐは……っ!!」
漆黒のツヴァイハンダーが煌めくたびに、暗殺者達が倒されていった。
結局、ほんの数分で、十人いた暗殺者は全員地に沈められている。
魔法を使うまでもなく、トールは呆気なく暗殺者を全滅させたのだ。
「……っ、ぅう……」
かろうじて息がある暗殺者を見つけたトールは、暗殺の依頼主を吐かせようと暗殺者の胸ぐらを掴んで身体を引き起こす。
「お前は──、っ?!」
そして暗殺者に質問しようとした時、何かの気配を感じたトールは咄嗟にその場から飛び退いた。
「ぎゃっ?!」
トールが避けた瞬間、暗殺者のこめかみにナイフが突き刺さる。
絶命した暗殺者からナイフが飛んできた方角へ視線を移したトールの目に、大量の人影が映る。
先ほどの暗殺者達はただトールを足止めするために送られた先遣隊だったらしい。
「……貴方も懲りない人ですね」
トールは自分の暗殺を依頼したであろう主──取り潰しとなった公爵家の元当主へと声をかけた。
「黙れっ!! お前さえいなければ、この国は儂のものになっていたんだっ!!」
公爵家元当主は顔に怒りを滲ませてトールに怒鳴り散らかした。その目は憎悪で血走っており、今にも飛びかかってきそうだ。
「あらゆる暗殺者組織に狙われながら、何故お前はまだ生きている?! お前が死なない限り儂は安息を得られんのだ!!」
元正妃が望んでいたフロレンツの王位継承が決定し、公爵家の悲願は成就された。
しかし、すでに公爵家は家門取り潰しの上、正妃や当主達関係者は処刑、または国外追放となっている。
何もかも手遅れで、過去の栄光はもう二度と取り戻せない。そんなやるせない想いとトールへの憎しみが激しい憎悪となって、再びトールの暗殺を企んだのだろう。
きっとモルガン達と移動中の時に襲ってきたのも、元当主に命令された公爵家の残党かもしれない。
──だがしかし、とトールは思う。
元公爵家の財産は没収されている。裏金も隠し財産も全てだ。
それなのに、再び暗殺者を雇い入れできるほどの金を、元当主はどうやって調達したのか──。
おそらく、元当主を援助し、裏で操る黒幕が存在するはずだ。
「お前の……っ!! お前のその目が儂を苛むのだっ!! まずはその忌々しい目をくり抜いてやるっ!!」
元当主の合図を皮切りに、暗殺者達がトールへとにじり寄る。先遣隊が全滅させられたことを受け、慎重になっているのだろう。
「早くやれっ!! あの穢らわしい忌み子を殺すのだっ!!」
「──っ?! <我が力の源よ 凛冽の白い息吹で 世界を白き墓標で埋め尽くせ アルゲオ・ムンドゥス!!>」
元当主の命令を遂行しようと動き出した暗殺者達が、襲いかかるポーズのまま白く固まった。
それは一瞬の出来事で、暗殺者も自覚しないまま氷漬けにされてしまっただろう。
「……なっ?! なんだこの威力はっ!!! 一体お前は何なんだっ?! やはりお前は化け物なのだなっ!!」
トールは元当主だけを残して辺り一面を真っ白な氷の世界へと変貌させた。
元当主はあり得ない光景にパニックになる。
「この化け物めっ!! 儂は誤魔化されんぞっ!! お前は人にあるまじき怪物なのだっ!!!」
元当主からの罵詈雑言にも、トールは全く動揺しない。こんな男の言葉など何一つ響かない。
しかし、トールは数々の暴言の中に気になる言葉を見つけ、元当主の背後に潜んでいる黒幕に当たりをつけることが出来た。
「一応お聞きしますが、貴方の背後にいる人物は誰ですか? ……ああ、時間がもったいないのでさっさと答えてくださいね」
元当主に向かってトールは瞳を光らせる。それはまるで、世界を見通す月のように、金色に輝いていた。
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