第58話 森の真実


 ハーフエルフのノアは300歳以上で、30年以上前から森の中で暮らしているという。


「あの、ノアさんは、どうしてここで暮らそうと思われたんですか?」


 わざわざ空間拡張の魔法を施した小屋まで用意して、30年もの間一人で暮らすその理由をティナは知りたくなった。

 だから思わず疑問が口に出てしまったのだが……。


「……いえ! やっぱり答えなくていいです! 変なこと聞いてすみません!」


 人にはそれぞれ事情があるとわかっているのに、つい質問してしまったティナは後悔する。

 自分にも事情があるのに、どうして人の心の中を暴こうとしてしまったのか……もしかするとこの質問が、ノアの傷を抉ってしまったかもしれないのだ。


「ん? ここが気に入ったからじゃよ?」


「へ?」


 ノアのあっけらかんとした答えにティナはぽかん、とする。あれこれ考えていたのはティナの杞憂だったようだ。


「こう見えて昔はワシもちょっとは名の知れた魔法使いだったのじゃ。研究に明け暮れておったが、ふと面倒くさくなっての。静かなところでスローライフを楽しもうと思いついたんじゃ」


 確かに、ノアほどの魔法の使い手なら、その名は世界中に轟いていたかもしれない。しかし、神殿で過ごしていたティナは世間に疎いところがあった。


「へぇ……! ノアさんは有名人なのですね! 私、魔法使いは大魔導士のデュノアイエ様ぐらいしか存じ上げなくて」


 大魔導士デュノアイエは、学院の教科書に載るほどの偉人だ。

 彼が活躍したのは500年ほど前で、初めて魔法属性を体系化したことから世の魔法使いたちに「魔法学の父」と呼ばれていた……とティナは記憶している。


「ふぉっふぉっふぉ。嬢ちゃんがワシを知ってるとはこりゃまた恥ずかしいのう」


「え? ……っ?! あ、あれ……? この展開、ま、まさか……?」


「デュノアイエはワシの本名じゃよ。言いにくいから親しい人間にはノアと呼ばせておるでな」


「えぇ〜〜〜〜っ?! 本当に?! 大魔導士様なんですかっ?!」


 ティナはノアが大魔導士だと知って驚愕する。

 一体今日は何回驚いたのか……。きっと数えきれないほど驚いているのだろう。


「周りの人間からはそう呼ばれておるな。面倒くさいことじゃわい」


 どうやらノアは大魔導師と称えられるのが嫌らしい。


 本来なら、大魔導士は全ての魔法使いたちが目指す称号だ。しかしノアを見る限り、彼はそんな称号に興味がなく、研究しているうちにそう呼ばれるようになったように思われる。


「……ん? でも大魔導士デュノアイエ様がご存命だったのは500年ほど前ですけど……?」


 500年前に亡くなった、と教科書には記載されていたような気がする。それなのにノアは300歳だと言っていた。数が全く合っていない。


「ワシゃまだ生きとるわい! 勝手に殺すなんていい迷惑じゃ!」


 ノアがプリプリと怒っている。さすがに超高齢とはいえ、その様子はまだまだ元気そうだ。


「でも、世間ではそう思われてますよ? どなたかに隠居するって言わなかったんですか?」


「……あっ」


 どうやら思い当たる節があるらしい。ノアが手をもじもじとさせている。

 そんな様子に、きっとノアは誰にも言わず突然姿を晦ませたのだろうな、とわかる。


「まあそれはさておき、先ほど伺ったノアさんの年齢の計算が合わないんですけど……どういうことですか?」


「そうじゃったかのう……? ワシが研究をやめたのは200歳ぐらいの時じゃったと思うのじゃが……。ここに辿り着いたのはさらに50年後じゃから、250歳の時じゃな」


「え。500年前にすでに200歳だったってことですか? じゃあ、今は700歳?!」


 ノアの年齢は300歳どころじゃなかった。その倍以上彼は生きていたのだ。


 どうやらあまりの長寿のために、時間感覚が狂っているようだ。


「そんな歳だったかのう……。気持ちはまだまだ現役なんじゃがのう」


 ハーフエルフの寿命がどれぐらいなのかはわからないが、エルフは1000年以上生きると言われている。ならば、ノアの年齢にも納得だ。


「ノアさんはまだまだお若いですよ! 700歳には見えませんもん!」


 実際ノアは矍鑠としていてとても若々しい。肌艶もいいので、ここでの生活はとても快適そうだ。


「……そうか? まだイケてるかのう?」


「はい! 環境が素晴らしいからか、とても健康そうですし!」


「ふぉっふぉっふぉ。ここ最近は風邪もひいておらんしのう!」


 ティナの励ましに、ノアが元気になってきた。


「ここ最近って……。何年前ですか?」


 ノアは時間感覚が狂っているから、最近と言っても何年も前の可能性が高い。


「そうじゃなぁ……。基準値に戻して考えてみると、相対時間で20年前かのう?」


「え……」


 ノアの言う最近とは、20年も前のことだった。最近どころかちょっと前でもない。

 エルフの時間感覚はかなり人間とズレていた。


「全然最近じゃないですよ!! 20年前ならまだ私産まれていませんよ!」


「そうか、最近じゃなかったか。どうも時間に疎くての。すまんすまん」


 ノアはそう言うと「ふぉっふぉっふぉ」と笑う。

 ティナはそんなノアを見て呆れると同時に、どこか憎めない人だな、と思う。


「えっと、ノアさんはここで暮らして長いみたいですけど、この辺りに湖ってありませんか?」


 スローライフを送るためにノアが森の中で暮らしているのなら、きっとこの森にも詳しいはずだ。それにノアなら学者たちが辿り着けなかった湖にも辿り着けそうな気がする……と、ティナは思う。


「湖なぁ……。この辺にはないのう。むかーし昔、あの山の麓に精霊王の住む湖があったと聞いたことはあるが……」


 そう言ってノアが指を刺したのは、山が連なっている中でも一番標高が高い、雄大な山だった。


「精霊王?!」


 精霊が住むと伝えられていた湖に、精霊王まで住んでいると知ったティナは驚いた。

 ノアは湖に行ったことはないらしいが、どこにあるのか知っていて、しかもかなり重要なヒントをティナに教えてくれたようだ。


「そうじゃよ。確か精霊王の系譜に連なる精霊が、この国を興した人物と仲が良かったと聞いたことがあるぞい」


「あっ……!」


 ティナは街で買った本『エーレンフリートと精霊の旅』を思い出した。

 ついトールを思い出してしまうので、まだ読んでいなかったのだ。


「ワシじゃその湖まで辿り着けんからのう」


「そんなに遠いんですか?」


 フラウエンロープの森を地図で見ると、小国が丸ごと入りそうなほど広いとわかる。

 そんなに距離があるのなら、ノアが移動するのも一苦労だろう。


「それもあるが、ワシゃ精霊に嫌われておるでな。この森に住むのを許してもらえとるだけでも感謝せんとな」


「え、精霊に嫌われてるって……どうしてですか?!」


 エルフは精霊と親和性が高い種族だと聞いたことがある。ハーフといえど、エルフの血が流れているノアであれば、精霊と交流出来そうなものなのだが……。


「まぁ、昔にな。精霊を研究しようとして……ごにょごにょ」


「…………」


 好奇心旺盛なのか、ノアはその昔精霊を捕まえて実験をしようとしたらしい。どんな実験だったのか聞くのが恐ろしいが、精霊の怒りを買うぐらいだから、きっと碌でもなかったのだろう。


「……まぁ、そういう訳でワシゃ森の奥には行けんのじゃ」


「なるほど。精霊に嫌われたら湖に辿り着けないんですね……」


 ティナはアデラに教えてもらった言葉を思い出す。


『──もし精霊に気に入られたら、月下草を分けて貰えるかもしれないよ』


 どうやら月下草を見つけるためには、精霊との関わりが必要条件のようだ。きっと栽培する場合でも、精霊の協力は必要不可欠かもしれない。


「嬢ちゃんは精霊王の湖を探しておるんじゃな? 何しに行くんじゃ?」


「あっ、それはですね……」


 ティナはノアに月下草のことを打ち明けた。両親が栽培場所を見つけようと旅をしていたことも。

 ノアはティナに貴重な情報を惜しむことなく教えてくれた。ならば自分も正直に話さなければ、と思ったのだ。


「……なるほどのう。あの夫婦はティナの両親じゃったのか」


「え?! ……あっ!!」


 先ほどの会話で、ノアは確かに冒険者の夫婦が来たと言っていた。その後の会話で何度も驚かされたから、すっかりそのことが頭から抜け落ちていたのだ。


「じゃあ、両親が残してくれたメモにノアさんのことが書かれてるかも?」


 昨日の夜にでもメモを確認しようと思っていたのに、すっかり失念していたらしい。

 以前のティナならそんなことは無かったのだが……どうやら最近忘れっぽくなったのかもしれない。


「ふぉっふぉっふぉ。おそらくそのメモにはこの森のことは書いとらんじゃろな。ここが<迷いの森>と言われてる所以じゃて」


「え、<迷いの森>……?」


 ティナはこの広大な森がそう呼ばれているとは全く知らなかった。街の人たちには常識だったので、わざわざ話に出さなかったのだろう。


「なんじゃ。知らずにここまで来たのか。そりゃまた豪胆というか何というか……」


 今度はノアが呆れる番だった。

 ティナもアウルムが一緒なので、この森も広いだけで、あまり危険ではないだろう、と思っていたのだ。


「……うぅ、返す言葉もございません……」


「まぁ、その聖獣のおかげで道に迷わずここまで来れたんじゃろうな。普通の人間だと方向感覚どころか思考も記憶も迷わされるでな」


 どうやら〈迷いの森〉という名前は、道に迷うという意味ではなく、感覚を狂わせる──迷わすという意味だったようだ。

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