第57話 隠者
『どうするー? 離れていくけど追いかけるー?』
アウルムが気付いた何者かは、ティナたちがいる方向とは反対側の、森の奥へ移動しているらしい。
「……どうしよう。ただの冒険者かもしれないし……。悪い感じはする?」
『ううんー。しないよー』
もし悪意を持った者がこの森を徘徊しているのであれば、放っておくことはできない。しかし悪意なくただ森を散策しているのなら、ティナたちに害が及ぶことはないだろう、とティナは判断する。
「じゃあ、今は追うのはやめておこうか。私たちもテントに戻ろうね」
この森には人の手が入った形跡がなかったからすっかり油断していたが、全くの無人というわけではなさそうだ。
そのうち誰かと森の中で出会うかもしれないので、ティナは警戒を怠らないようにしなければ、と気を引き締める。
そう考えていたティナだったが、次の日さっそくその人物と遭遇してしまう。
「おやおや〜? 誰か入って来たな、と思ったら、お嬢ちゃんたちかね」
テントをたたみ、再びアウルムと森の中を進んでいたティナは、森の中で小さい小屋を発見する。
その小屋には、長い髭を生やした老人が一人住んでいたのだ。
「え、あ、はい。初めまして。私はティナと言います。えっと……」
「ワシはノアじゃ。ノアじいと呼んでくれてかまわんぞ? ふぉっふぉっ」
「いきなりそれはちょっと……。えっと、ノアさん、とお呼びしてもいいですか?」
初対面でいきなり愛称呼びは気が引ける。それにノアは世捨て人のように見えるが、只者じゃない雰囲気を醸し出しているのだ。
「……そうか……それは残念じゃ……」
本当に残念そうなノアだったが、「まあ、そのうちにな」と言っていたので、愛称呼びは諦めていないようだ。
「あの、ノアさんはここで暮らして長いんですか?」
小屋が建っている場所は、かなり森の奥の方だと思う。そんな場所に人が住めるほどの建物を建てるのは、かなり難しいのではないか……とティナは考える。
「そうさなぁ……かれこれ30年ぐらいかのう……? 昔のことなんで忘れてもうたわ」
「えっ?! 30年、ですか?!」
まるで大したことではないように、ふぉっふぉっふぉと笑うノアだったが、30年という月日はそう簡単に笑い飛ばしていい時間じゃない、とティナは思う。
どうしてそんなに長い時間、こんな森の奥深くに一人で暮らしているのだろう、と不思議に思うティナだったが、人には何かしら事情があるのだ。
自分だってもしかしたら、ノアのように何十年もここで暮らすかもしれないのだ。
「その間、この小屋にたどり着いた人はいませんでしたか?」
いくら事情があるとはいえ、30年間も一人で過ごすのはとても寂しいのではないか……。もし自分だったら耐えられるかどうかわからない。
「ふぅむ。たまにそういう人間はいるのぅ……。最近では冒険者の夫婦とか」
「え?! 冒険者の夫婦?! あ、でも最近か……」
一瞬、両親がここに来たのかと期待したティナだったが、最近来たのなら人違いだろう。
「そういう嬢ちゃんは<聖獣>を連れて何しに来たんじゃ?」
「は? え? <聖獣>……?」
アウルムを指して<聖獣>だと言うノアに、ティナは一瞬ぽかん、とする。
「なんじゃ。<聖獣>だと知らんと連れておるのか? それにしてもまだ幼い<聖獣>とは……こりゃまた珍しいのう」
ノアは興味深そうにアウルムを眺めている。当のアウルムは意味がわかっていないのか、きょとん、としている。
「えっと、アウルムは<聖獣>なの……?」
『んんー? 何それー。わかんないー』
まだ幼いからか、アウルムも自分のことをよく知らないらしい。
「ほうほう、意思の疎通まで出来るとは大したもんじゃ。随分親和性が高いんじゃなぁ」
ノアがティナとアウルムを見てうんうんと頷いている。何か納得したようだ。
「まあ、ここで立ち話もなんじゃし、お茶でも飲みながらゆっくり話さんか? ほら、中に入った入った」
「あ、はい……お邪魔します……?」
ノアに促され、ティナはあれよあれよと小屋の中に導かれた。
本来なら警戒すべき場面なのに、何故かノアに警戒心は湧いてこない。それにアウルムが何も言わないので、彼に悪意はないと思われた。
小屋の中は外から見るのとは違い、随分快適そうだ。
テーブルにキッチン、さらにその奥にはいくつかの扉が見える。
「あれ? あれ? 何かおかしくないですか……? って、あ! もしかして空間拡張?!」
人が四人も入ればいっぱいになりそうな小さな小屋の中は、その見た目以上の広さがあった。
「ふぉっふぉっふぉ。魔法でちょちょいとな」
「いやいや、これはそんな簡単な魔法じゃ……」
まるで他愛もないことのように言うノアだが、空間拡張の魔法は難易度が高く、使える人間はごく少数しかいない。
魔法鞄が貴重で手に入らないのも、制作できる人間がなかなかいないからだ。
ティナはティナで空間魔法系統の結界を張ることができるが、空間拡張の魔法までは使えない。トールならもしかすると使えるのかもしれないが。
戸惑うティナを置いて、ノアはごく自然にお湯を沸かし、お茶の準備をしている。
水が出る蛇口とお湯を沸かすコンロも魔道具のようだ。
「ほら、疲れが取れるお茶じゃよ。茶菓子でもあればいいんじゃが……。あいにく切らしてしもうてのう」
ノアが淹れてくれたお茶は、爽やかな香りの薄黄緑色のお茶だった。綺麗な水色で珍しいお茶のように見える。
「わぁ……! 綺麗なお茶! この辺りで採れた薬草か何かですか?」
「いんや? 東のハポン国から取り寄せた茶葉じゃよ?」
「は? え?」
ティナはてっきりノアが俗世から離れ、森の中で自給自足しているものだと思っていた。しかしそれは勘違いだったようで、ノアは森の外と中を往復しているらしい──と思われたのだが……。
「この森に腰を落ち着かせようと決めた時にな、10箱ぐらい持って来たんじゃよ。木箱で」
「ぶふぉっ?!」
ノアの言葉にティナは思わずお茶を吹き出しかけた。幸い、何とか堪えることが出来たので、周りに被害が及ぶことはなかった。
「え? 木箱で、ですか?」
木箱に入るほどの茶葉は商団が所有する量だ。しかしノアは個人で10箱も持って来ていると言う。
「そうじゃ。ちびちび飲んでおるが、もう後5箱ぐらいしか残っておらんのじゃ」
ノアは残念そうに5箱と言うが、1箱でも人が一生をかけて飲むには十分な量のはずだ。しかも飲み切る前に茶葉が痛むかカビが生えてしまう。
「まだ5箱も……。あ、時間停止の魔法を掛けてるんですね」
空間拡張の魔法が使えるのなら、付随して時間停止の魔法も使用しているのだろう。
「そうじゃ。倉庫丸ごと魔法を掛けて保存しておるのじゃよ」
「なるほど……。あ、美味しい! このお茶美味しいです!」
ノアが大量に購入するほどだから、さぞかし美味しいお茶なのだろう、と思い飲んでみると、すっきりとした風味の中に、ほのかな甘みを感じる。
確かに、このお茶ならいくらでも飲んでしまいそうだ。
「そうかそうか、美味いか! そりゃ良かったわい。何なら少し分けてやろうか?」
「え? いいんですか? でも、残り少ないんですよね?」
木箱で5箱はめちゃくちゃ多いが、ノアにとっては残り少ない量だと思ったティナは、分けてもらうのを躊躇った。
「このお茶以外にもあるでな。一瓶ぐらいなら全然かまわん」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」
ティナがお礼を言うと、ノアは満足そうに頷いた。同じ嗜好の人間がいて嬉しいのだろう。
「ふぉっふぉっふぉ。嬢ちゃんには特別に倉庫を見せてやろうな。こっちゃこ」
機嫌が良さそうなノアがティナを奥の扉へと誘う。そして扉を開けると、中はこの家とは比べ物にならないほどの広い空間が広がっていた。
「ひぇっ?! な、何なんですか、この広大な空間は……!!」
「ふぉっふぉっふぉ。これぐらいの広さがないと、飢え死んでしまうからの」
「いやいやいや!! 一体何年分あるんですか?! こんなの食べきれませんって!」
倉庫にはありとあらゆるものが保管されているように見えた。食料はともかく、ワインなどの嗜好品の他にも日用品や衣料など、とにかくものすごい品揃えだ。
「んん? ざっと30年分かのう?」
「え」
ノアの言葉にティナは絶句する。とてもじゃないが、30年で消費できる量じゃないと思ったのだ。
「さ、30年って……。ノアさんは今お幾つなんですか?」
この森に来て30年だと言っていた。お茶の消費量を考えると、50年以上ここで暮らすつもりでいたのかもしれない。
「ワシか? ワシはかれこれ300歳になるのかのう……? もう自分の年齢など忘れてしもうたわ」
「300歳?! え、ノアさんってもしかしてエルフなんですか?」
この世界で普通の人間の寿命は60歳だ。それでも随分寿命は伸びたのだが、ノアはさらに高齢だと言う。
そんなに寿命が長い種族はエルフぐらいだろう。
「まあ、エルフと言ってもワシはハーフエルフなんじゃがな……って、あったあった」
ノアは話しながら茶葉を探している。目的のものが見つかったらしく、木箱を開けてごそごそしている。
「え、本当に……?」
ティナはノアがハーフエルフだと聞いて納得した。
エルフは魔法に優れた種族で魔力量も多い。ノアが規格外の空間拡張魔法を使えるのも納得だ。
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