第56話 迷いの森

 フラウエンロープにあるビュシエールという街から出発したティナは、アウルムの背中に乗って広大な森を駆け回っていた。


 流れて行く景色を眺めていたティナは、そこで生息している植物を見て、「あれ?」と思う。


「あれ、もしかしてものすごく珍しい花なんじゃ……?」


 冒険者に憧れていた聖女時代のティナは、ギルドの依頼で薬草などの素材を収集をする時に備え、図鑑で植物を調べたことがあった。


 図鑑の挿絵は珍しく貴重な花や草が鮮やかに描かれており、ティナはそれらを眺めながら、いつか本物を見てみたい、と夢見ていたのだが……。

 一般的に珍しいとされている植物が、まるで雑草のようにそこらじゅうに生えているではないか。


「んんー? よく似た植物なのかな……? なかなか見つけるのが難しい花だったと思うけど……でもなぁ……」


 ティナは気になりながらも、ま、いっか、と気を取り直す。

 今はこの森の地形を調べ、どこか安全な場所がないか調べることが優先なのだ。


 そして落ち着く場所があれば、そこにテントを設営して活動拠点にしようと考えている。植物のことを調べるのは、それからでも遅くはないだろう。


 しかしこの国の人間ではないティナは、この森が普通の森と違うことを知らなかった。この森が<迷いの森>と呼ばれていることすら知らなかったのだ。


 森の中に入って一時間が経った頃、走りっぱなしのアウルムを心配したティナが声をかけた。


「アウルム、疲れていない? 大丈夫?」


『大丈夫だよー。でもお腹はすいたかもー』


 体力的にはまだまだ余力があっても、お腹が空いていては身体に悪影響を及ぼすだろうと考えたティナは、アウルムに休憩してもらうことにする。


「じゃあ、良さげな場所があったらそこでご飯にしようね」


『はーい! わかったよー!』


 それからしばらくして、ティナとアウルムは日の光に照らされている、少しひらけた場所を見つけることができた。

 程よく落ち葉が落ちていて、そのまま寝っ転がったらとても気持ちよさそうだ。


「この場所いいね! 今日はここにテントを張ろうか!」


『うんー。ここにするー』


 ティナはアウルムから降りると、魔法鞄から設営に必要な資材を取り出した。

 そして落ち葉をクッションにしてテントを組み立てていく。


 アウルムも身体の大きさが小さくなり、可愛い子狼の姿に戻っている。


 焚き火をする場所の落ち葉は引火しないように広めに取り除き、空いた場所に焚き火台を設置すると手際よく火を起こす。


「すぐご飯にするからね」


 ティナは薪に火を移すと、早速アウルムのご飯を作り始めた。


 頑張って走ってくれたアウルムのために、栄養をたくさん摂ってもらおうと多めに野菜を切り刻んでいく。


 そうして、肉を網の上に置き、その横に軽く味をつけた野菜をフライパンの上で焼く。さらに買ったばかりのチーズをソースにすると、焼き上がった肉と野菜を盛り付けた皿の上にたっぷりとかけた。


「はーい、お待たせ!」


『わぁーい! チーズー! ぼくこれすきー!』


 ティナが完成した料理を置くと、アウルムは尻尾をブンブン振って喜んだ。


『おいしーい! ティナおいしいよー!』


 肉とごろごろ野菜のソテー・チーズソースがけを、アウルムはかなり気に入ったようだ。

 アウルムはいつも料理をとても美味しそうに食べてくれるので、調理する側としてとてもやりがいがある。


「ふふ、よかった。チーズの美味しい食べ方を聞いてきたから、また作ってみるね」


『うんー! たのしみー!』


 アウルムの食べっぷりをみたティナは、自分も食事にすることにした。

 自然の中で食べる料理はとても美味しい……はずなのだが、あまり食が進まない。


「イロナさんが作った料理、美味しかったな……」


 ティナはふと、イロナの手料理を思い出す。自分で作った料理は何か物足りなく感じてしまうのだ。

 きっとそれは味だけじゃなくて、一緒に食べてくれる人がいない寂しさなのかもしれない。


「……トール……」


 ティナはトールのことを思い出す。

 彼のことはもう忘れようと思うものの、ふとした瞬間トールのことを考えてしまうのだ。


「もうトールは王様になるんだし……。身分違いもはなはだしいよね……」


 聖女だった頃はともかく、平民に戻った今、トールは雲の上の存在だ。話すことはおろか、顔を見るだけでも難しいはずだ。


 きっと今頃、王宮に戻ったトールは王位に就くために多忙を極めているだろう。

 そしてクロンクヴィストに新しい王が即位し、国中がお祭り騒ぎになる日もそう遠くないかもしれない。


「……まあ、しばらくここにいれば噂を聞かずに済むしね。ほとぼりが冷めるまでなるべく街には行かないようにしなきゃ」


 トールが結婚するなんて噂を聞いてしまえば、立ち直れる気がしない。

 だからそれまでに、トールのことをキッパリ諦められるように努力しなければ、とティナは思う。


 それにイロナに占ってもらった結果は、未来ある輝かしいものだった。ならば、この苦しい気持ちもそのうち風化して、楽しかった思い出に変わるに違いない。


「……よしっ! 散策しよう!」


 思わずトールを思い出して、しんみりしてしまったティナは調子を取り戻すため、設営場所の周りを見て回ることにする。


「アウルム、ちょっと周りを見に行くんだけど。一緒に行く?」


『お散歩ー? ぼくも行くよー! ティナを守るよー!』


 ご飯の後だから、てっきりお昼寝をすると思っていたアウルムは、ティナを守るために一緒にいてくれるという。


「ふふ、すっごく嬉しい! ありがとうね」


 ティナはアウルムにぎゅっと抱きついた。今はこの温もりが愛しくてたまらない。


 それからティナとアウルムはテントからあまり離れないように、周辺を散策した。

 人の手が入っていないらしい森の中はとても静かで、とても神聖な場所のように感じる。


「ねえアウルム。近くに魔物とかいない?」


『んー? いるよー。でも悪くないから安心してねー』


 姿は見えないが、近くに魔物がいるとアウルムは言う。だけど警戒する様子は全くないので、無害な魔物なのだろう。

 アウルムならきっと、危険な魔物がくればすぐに教えてくれるから、あまり怖がる必要はないのかもしれない。


「ここって森のどのあたりなんだろうね。だいぶ奥まで来たのかな?」


 アウルムが運んでくれたから、どれぐらいの距離を進んだのか感覚が掴めない。

 しかし人の気配がないから、かなり奥に来たのだろうと予想したティナだったが……。


『まだ入り口だよー。もっともっと奥までいけるのねー』


「えっ?! そうなの?」


 広い森だと思っていたが、そんなに広いと思っていなかったティナは驚いた。


『そうなのー。山のほうはもっと遠いのー』


 自然が広大過ぎて、遠近感が狂っているのかもしれない。だけどそんなに広い森ならきっと、月下草が生息している可能性はかなり高いだろう。


「お父さんたちはこの森に来たのかな……。でもこんなに大きい森なら探すのも大変だっただろうな」


 ティナは両親が残してくれた月下草の種と一緒に、訪れた場所に印が付けてある地図の存在を思い出した。

 まだじっくりと見ていなかったが、確認すればこの森にも印がつけられているかもしれない。


「あ、そっか。あの地図を見たら候補地がわかるんだった。うっかり忘れてたや……」


 トールと別れた後、とにかく王都から離れたかったティナは、思いつきでここまで来たのだ。もしこの森で月下草が見つからなかったら、両親が辿った軌跡を追ってみるのも悪くない。


 あとで地図を確認してみようと思ったティナは、ひとまず森の散策に集中する。


「あれっ?! この実って……! えっ?! この草はまさか……?!」


 よくよく周囲を見てみれば、解毒剤の材料になる木の実が鈴なりに、一時的に腕力が向上するポーションの原料となる草が群生している。

 どれも貴重な素材なのに、この森では当たり前のように存在していることにティナは驚愕する。


 おそらく森の途中で見かけた花も見間違いなどではなく、本物の花だったに違いない。


「えぇ〜〜何ここ……。希少素材の宝庫じゃない……!」

 

  一株でも見つかれば幸運だと言われていた貴重な薬草が、種類も豊富に見渡す限り溢れている。あまりにも大量なので、価値観が狂ってしまいそうだ。


 この森は常識では計り知れないほど、不思議な何かがあるようだとティナは気がついた。

 もしかしてこの森に足を踏み入れた瞬間、ありとあらゆる全ての感覚が狂わされてしまうのかもしれない。


「あっ……草を踏まないように歩かなくちゃ……」


 冒険者なら大喜びで収穫しそうな宝の山でも、ティナにとっては美しい風景だ。

 人が触った形跡がないのなら、自分も手を触れないでおこう、と思う。

 何よりもこの美しい光景を壊さず、残しておきたいという思いの方が強い。


 それにこれほど希少な植物が溢れているのなら、月下草が見つかる可能性はさらに高くなるだろう。


 自生している植物を確認しながら散策していると、横で一緒に歩いていたアウルムの足がぴたりと止まる。


「……アウルム?」


『向こうに誰かいるのー』


「えっ?!」


 アウルムはずっと先の方を見ているようだ。ティナがその先を見ても何も見えないから、視覚ではなく音や匂いで気付いたのかもしれない。

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