第53話 大会議


 王都ブライトクロイツを象徴するかのようにそびえ立つ王宮の、磨き上げられた大理石の廊下を颯爽と歩く者がいた。


 窓から降り注ぐ光を受ける髪は黒色で、その瞳は神秘的な金色だ。

 この国で──いや世界で、そんな瞳の色を持つものは一人しかいない。


「あ、あのっ!! トールヴァルド殿下っ!」


 どこかの貴族令嬢らしき少女が、トールヴァルドの背後から現れた。

 トールヴァルドは長い足を止め、ゆっくりと振り向いた。


「……っ」


 自分から声をかけたのに、当の貴族令嬢はトールヴァルドの顔を見て息をのむ。

 綺麗な顔立ちと金色の瞳に圧倒され、つい見惚れてしまったのだ。


 しかしトールヴァルドは令嬢を一瞥しただけで、すぐに歩き出してしまう。


「……あっ! 殿下……っ! お待ちください……!」


 貴族令嬢がもう一度声をかけたが、トールヴァルドは振り向くことなくその場から去って行く。

 まるで身体全体から発しているような拒絶のオーラを前に、令嬢はそれ以上何も言えず、ただ立ち竦むことしか出来なかった。


 何事もなかったように歩いていたトールヴァルドに、また別の令嬢が声をかけてきた。


「あのご令嬢を咎めることなく放って置くなんて、トールヴァルド殿下はお優しいのですね」


 この国の王子であるトールヴァルドに声をかけられるのは、同じ王族かもしくは重責を担う閣僚たちだけだ。

 目下の者が目上の者の許可を得ず、話しかけるのは御法度だ。

 そう言う意味では、突然トールヴァルドに声をかけた先ほどの令嬢は不敬罪にあたる。


「別に優しい訳じゃありませんよ。ただ、どうでもいいだけです」


 トールヴァルドが無気力に返事をする。

 実際、顔も名前も知らない人間のために割く心の余裕は、今のトールヴァルドには全くない。


「だからと言ってあのまま放っておけば、貴族たちに示しがつきませんわ。ただでさえ、不相応な欲を持った者たちが貴方を狙っているというのに」


 トールヴァルドが帰国してから、貴族たちは彼に取り入ろうとあの手この手と使ってきた。

 王族の居住区域の周りに令嬢がやたらと増えたのも同じ理由だ。

 何とか自分の娘を気に入って貰いたい親と、トールヴァルドの寵愛を得たいと願う娘の利害が一致したのも原因だろう。


「それなら、先ほどの令嬢の件は貴方にお任せしますよ」


「ふふ、わかりましたわ。王族の権威を示すためにも、ビシッとやってやりますわ」


「助かります。この国の社交界で、公爵家令嬢の貴女に逆らえる者はいないでしょうし」


「当然のことですわ。愛しい婚約者さまのためでもありますもの」


 トールヴァルドは公爵家令嬢──アーデルハイトに向かって嬉しそうに、優しく微笑んだ。

 先ほど無視された令嬢とアーデルハイトに対するトールヴァルドの反応は全く違っていた。それほど、アーデルハイトはトールヴァルドにとって大切な存在なのだろう。


「……放置するのもどうかと思いましたけれど、そうして愛想良くしていたら、それはそれで心配ですわね。勘違いした令嬢たちが殺到するところですわ」


 トールヴァルドの微笑みをみたアーデルハイトが、やれやれとため息をつく。

 金眼だけでも人を魅了する不思議な力があるのに、トールヴァルドは優れた容姿まで持ち合わせているのだ。令嬢たちが放って置くはずがない。


「でも、貴女は勘違いしないでしょう?」


「そうですわね。貴方はわたくしの好みではありませんもの」


 先ほどのトールヴァルドの微笑みを見ても、アーデルハイトの顔色に変化はない。

 他の令嬢だったら卒倒するほど破壊力があるトールヴァルドの微笑みも、アーデルハイトには通用しないようだ。


「それは残念です」


「残念だなんて、これっぽっちも思っていないくせに。そんなことを仰っていると、ティナ嬢に告げ口しますわよ」


「えっ! それは……困ります」


 まさかここでティナの名前を出されると思っていなかったのだろう、トールヴァルドが珍しく動揺している。


「ふふっ、トールヴァルド殿下の貴重なお顔が拝見できましたから、ティナ嬢には黙っていてあげますわ」


 トールヴァルドは昔からアーデルハイトに敵わなかった。

 何よりトールヴァルドより年上のアーデルハイトは彼にとって、姉のような存在なのだ。


 ただ、その関係は「姉のような存在」から「本当の姉」へと、近いうちに変化することになっている。


「まあ! フロレンツ!!」


 誰かを視界にとめたアーデルハイトが、その人物が誰かわかった途端、嬉しそうに声を上げた。


「ああ、アーデルハイト! 来ていたんだね。おや、トールヴァルドも一緒かい?」


 アーデルハイトはフロレンツに向かって駆け出すと、ぎゅっとフロレンツに抱きついた。正直、貴族令嬢が取る行動ではなかったが、アーデルハイトは昔からこの調子なので、トールヴァルドもフロレンツも慣れっこだ。


 それに、アーデルハイトは周りに誰もいない時にしかこういった行動を取らないので、彼女が情熱的な性格だと知っている者は身内ぐらいだ。


「……ああ、癒されますわ……! やはりわたくしにはフロレンツが一番ですわ!」


「本当? それは嬉しいな。僕もアーデルハイトが一番だよ」


 トールヴァルドがすぐそこにいるにも関わらず、フロレンツとアーデルハイトは二人の世界を作っている。


 アーデルハイトはトールヴァルドの兄であるフロレンツの婚約者だ。彼女は愛しのフロレンツ──ひいては王族が軽んじられることを許さない。 


 昔からこの二人の熱愛っぷりに慣れているトールヴァルドだったが、今はそのイチャイチャっぷりにイライラしてしまう。

 仲睦まじい恋人たちの姿を今のトールヴァルドに見せつけるのは酷というものなのだ。


「……兄上、会議が始まりますよ」


「ああ、そうだね。そろそろ向かわないとね。アーデルハイト、会議が終わったら一緒にお茶をしよう」


「まあ! 嬉しいですわ! 喜んで!」


 二人は軽くハグし合うと、名残惜しそうに離れた。


 フロレンツを笑顔で見送るアーデルハイトの姿に、トールヴァルドは一瞬、ティナの笑顔を思い出す。


「……相変わらず仲が良いですね」


「ははは。僕にはアーデルハイトしかいないからね。彼女以外の女性なんて考えられないよ」


 トールヴァルドは深く愛し合う二人の姿に、心の底から安堵した。


(二人ならきっと──……!)


 そしてトールヴァルドは心の中で強く決意する。


 それからしばらくして、トールヴァルドとフロレンツは歴史を感じさせる重厚な扉の前に到着する。


「トールが帰って来てから初めての大会議だから、気を引き締めないと」


 フロレンツが緊張気味に呟いた。


 これから行われる会議は、国の行く末を決まるための大事な会議だ。

 トールヴァルドが帰国してから、それほど日が経っていないにも関わらず開かれることを考えると、今後のトールヴァルドの処遇をどうするかが議題に上がると予想される。


 恐らく、なし崩し的にトールヴァルドの婚姻の話まで話が進むだろう。


「じゃあ行こうか」


「はい」


 フロレンツがトールヴァルドの緊張をほぐすように笑顔を向ける。

 この兄は昔からトールヴァルドを気遣ってくれるのだ。


「フロレンツ殿下とトールヴァルド殿下が到着されました」


 扉の前にいた衛兵がトールヴァルドたちの到着を告げると、会議室の扉が開かれた。


 会議室の中にいたのはこの国の閣僚たちで、それぞれが強い権力を持っている大貴族だ。


 トールヴァルドたちが会議室に足を踏み入れると、閣僚たちが全員立ち上がり、恭しく礼をとった。


 頭を下げている閣僚たちの間を進み、上座にフロレンツが、その隣にトールヴァルドが腰をかけた。


 全員揃ったところで、議長らしき閣僚が立ち上がり、大会議の始まりを告げる。


「それでは会議を始めましょう。まず最初に──」


 本題に入る前に、王国の現状の報告や近隣諸国の情勢などが伝えられた。

 クロンクヴィスト王国の隣国であるセーデルルンド王国についても報告があり、セーデルルンドでは急増した魔物の対応に追われているという。


「セーデルルンド王国の聖女はどうされたのでしょう?」


「神殿内で何やら騒ぎがあったらしいですし、療養されているのかもしれませんね」


「あの国は聖女に頼り切っていましたから。対策もろくにしていなかったのでしょう」


 閣僚たちの会話をトールヴァルドは黙って聞いていた。彼はティナのことを同級生だと説明はしたが、聖女であることは黙っていたのだ。


 もしティナが聖女だと言えば、閣僚たちは諸手を挙げて婚姻を賛成しただろう。ただ、それと引き換えにトールヴァルド共々クロンクヴィストに縛り付けられるのは目に見えている。


 トールヴァルドは聖女だった頃のように、ティナを縛り付けたくなかった。彼女には自由に生きていて欲しい、と心から思う。

 そしてその隣に自分がいることを許されるなら、トールヴァルドは喜んで王位を捨てるつもりだ。

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