第43話 変化
『ティナ、起きてー』
「……う〜〜ん……」
『お腹すいたよー。ごはん食べようよー』
「…………うぅ、ちょっと待って……」
眠っていたティナの耳に、自分を起こす子供の声が聞こえて来た。
「……その辺りに……神官……が、いるから……その人に言って……」
ティナは孤児院の子供がまた神殿に入り込んだのかと思う。
神殿の隣に併設されている孤児院の子が、時々こうして忍び込んではいたずらをしていくのだ。
『えー神官ー? そんな人いないよー。もう朝だよー起きてー』
「……え〜? いない……? アレクシスも……?」
『誰それー? 僕知らないよー』
トールにコテンパンにやられていたが、アレクシスはあれでも聖騎士の中では一番の有望株だった。
孤児院の子供達の憧れで、有名人のアレクシスを知らない子供がいるなんて……と思ったティナは「あれ?」と思う。
「……………………え? あれ? 神殿……じゃないよね……?」
無理やり目を開けてみれば、そこは昨日泊まった宿の部屋だった。一瞬、神殿に戻ったのかと思ったが、どうやら寝ぼけていたようだ。
『ティナ起きたー。ごはん行こー』
「えっ?! だ、誰っ?!」
ほっとしたのも束の間、自分を起こす声はまだ聞こえて来る。
もしかして部屋に子供が入り込んだのだろうか、と思ったティナは部屋中を見渡すが、部屋の中には自分とアウルムしかいない。
『ねーねー。ごはん行こうってばー』
「………………え?」
ティナはアウルムを見て絶句した。
「し、白い!! アウルムが白いよっ!!」
気が付けば、灰色だったアウルムの毛色が真っ白になっていた。
『そうなのー。起きたら戻ってたのー』
「えっ?! しゃ、喋ってる!? え、アウルムって喋れたの?! ……え? 戻る?」
ティナはアウルムの変化に驚いた。
寝て起きてみれば、アウルムの毛色が変わっていて、しかも頭の中で会話が出来ているではないか。
『えっとねー。ティナが泣いたから戻ったのー』
「え? 戻る? 私が泣いたから?」
記憶を思い出して思わず泣いてしまったけれど、だからと言ってそれがアウルムの変化に繋がるのかがわからない。
『そうなのー。ティナ泣いたからー。ねー、お腹すいたよー』
「うん、そうなんだけど……。アウルムの毛色が変わってたら、怪しまれるかも……」
灰色の時でも目を引いていたのに、真っ白になったアウルムはかなり目立つだろう。珍しい魔獣だからと連れ去られてしまうかも、と思うと不安になる。
『えー。じゃあ、色変えるー』
「は? え?」
ティナがどう言う意味か聞く間もなく、アウルムの身体の色が変化する。
『これでいいー?』
「わぁ! うんうん、バッチリ! そんなこともできるなんて、アウルムはすごいなぁ!!」
『えへへー』
どういう原理かわからないが、アウルムの毛色は変化する前の色に戻っていた。
「これで安心だね。じゃあ、食堂に行こうか」
『わーいわーい!』
アウルムがぴょんぴょんと跳ねて喜んでいる。よほどお腹が空いていたのだろう。
窓を見れば日の光が部屋を明るく照らしていて、すっかり日が昇っていた。
いつもは早起きなのに、今日は寝坊をしたようだ。
アウルムには聞きたいことがたくさんあるが、とりあえず今は朝食を優先することにする。
ティナが食堂に降りて行くと、ティナに気付いた給仕の女性が挨拶をしてくれた。
「あら、おはよう! よく眠れたかしら?」
「おはようございます。はい、ぐっすり眠っちゃいました」
「ふふふっ、それは良かったわ。すぐ朝食を用意するから、空いてる席に座っててくれる?」
「はい」
ティナが空いてる席を探そうと食堂を見渡してみれば、夜ほどではないが結構席が埋まっていた。宿泊客の他にも朝食を食べに来ている人がいるようだ。
ティナはアウルムと壁際の席に座った。近くには冒険者らしいグループと近くの住人っぽいグループが朝食をとりながら会話している。
「大森林から出て来た魔物が──」
「この前アランの奴が酒場で──」
食堂や酒場で交わされる会話の中には、重要な情報が混じっている時がある。
だからティナは、わざわざ情報を持っていそうな人の近くに座るようにしているのだ。
『お肉ー! お肉食べたいよー』
アウルムは食事が待ちきれないらしく、前足でテーブルをたしたしと叩いている。
成長期なのか、随分食欲が旺盛のようだ。
「すぐ持って来てくれるから、ちょっと待ってね」
ティナがアウルムの頭を撫でながら言うと、アウルムは嬉しそうに尻尾をぱたぱたと振る。
『うんー。待つよー』
聞き分けが良いアウルムはティナの膝の上に座り、大人しく料理を待っている。
「はーい、お待たせー!」
そうして待つことしばらく、朝食が運ばれて来た。
『お肉ー!』
待ちに待ったお肉にアウルムは大喜びだ。わふわふと肉に食い付いている。
アウルムに癒されながら、ティナも食べようとカトラリーを手にする。
昨日の料理も美味しそうだったが、目の前の料理もとても美味しそうで、すごく食欲をそそられる。
そうしてティナが焼きたてのパンを堪能していると、気になる会話が聞こえて来てドキッとする。
「……でさ、そいつが第二王子殿下の姿を目撃したって言うんだよ」
「ああ、そう言えば姿を見なくなって結構経つな」
聞こえて来たのはトールの噂だった。
どうやらトールは無事王宮に戻ったようだ。きっと今頃豪華な王宮でのんびり寛いでいるだろう……あくまでティナの予想だが。
「病気とか失踪とか色々噂されてたけど、結局どうなんだ?」
「さぁなぁ……。ま、どっちにしろ無事戻られて良かったよな」
トールはブレンドレル魔法学院に留学していたのだが、何故かそのことは伏せられていたらしい。
ティナが不思議に思いながらも、神経を集中して会話を聞き続けていると、思いがけない情報が飛び込んで来た。
「戻られたということは、ついに第二王子殿下も結婚かねぇ?」
(…………えっ?! トールが結婚……っ?!)
ティナはトールが結婚すると聞いて強い衝撃を受ける。
「殿下は誰と結婚するんだろうな。かなりの数の求婚状が届いてるって?」
「でも肝心の殿下が不在だったからな。まだ婚約者は決まってないんだろ?」
「色んな国のお姫様がよりどりみどりか……羨ましいぜ」
ショックを受けて思考が停止しているティナを置いて、話がどんどん進んでいく。
「まあ、ようやくご本人が戻られたんだ。その内婚約者を発表するんじゃないか?」
「そうだな。第二王子殿下はかなり優秀らしいしな。きっと立派な婚約者を選んでくれるだろ」
「そうなりゃこの国も安泰だなぁ。そういや、第一王子殿下の方はどうなんだ?」
「上の王子殿下も最近は──……」
男たちの話はまだ続いていたが、もうティナの耳には届いていなかった。
トールがどこかの国のお姫様と婚約すると聞き、何も考えられなくなっていたのだ。
『ティナー。どうしたのー?』
ショックでぼんやりとしていたティナに、アウルムが声をかけて来た。
「……あっ、何でもないよ! そろそろ出発しようか?」
『うんー!』
ティナはアウルムと部屋に戻ると、早々に荷物をまとめて宿を出ることにする。
記憶を取り戻した後、トールに会いたいという気持ちが膨らんでいたティナは、勇気を出して王宮に行こうと思っていた。
しかし、トールの婚約話を聞いてしまい、彼に会う勇気が萎んでしまったのだ。
『ティナー。これからどこに行くのー? お山ー?』
「そうだね。とりあえずフラウエンロープに行ってみようか」
ティナはアウルムにそう言ったものの、本当はフラウエンロープにも行かず、できるだけ早くクロンクヴィストを出たかった。
この国にいればきっと、嫌でもトールの話を聞くことになるだろうから。
「あ、アウルムは身体の色を真っ黒に出来る? これから出来るだけ目立たないようにしたいんだけど」
『できるよー。どんな色でもできるよー』
「本当? これから時々色を変えて貰うかもしれないけど、色を変えるのって疲れない?」
『うんー。 大丈夫だよー』
「良かった! じゃあ、ここから出たら真っ黒になってくれる?」
『うんー。わかったー』
「ふふ、お願いね」
素直で可愛いアウルムのおかげで、ティナの沈んでいた心が少し浮上する。
初めに考えていた通りティナ一人で旅をしていたら、きっと立ち竦んで前に進めなかっただろう。
「おや、もう出発ですか?」
「はい、行きたいところがあって……」
「そうですか。また近くまでにお越しの時はご利用下さいね。どうぞお気をつけて」
「はい、是非。有難うございます」
ティナは支払いを済ませ、宿の主人にお礼を言って宿を後にする。
もしクロンクヴィストへ来ることがあれば、またここに泊まりたいな、と思う。
それから宿を出てすぐ、ティナはアウルムに変身して貰った。灰色から毛色が変化し、真っ黒になったので、頭の黒い角も目立たなくなった。
「よーし、じゃあ出発ー!」
「わうわう!」
ティナは気を取り直して、フラウエンロープへと足を向ける。
途中のお店で食料や物資、それにクロンクヴィストの地図を購入する必要があるだろう。
そんな買い物も旅の醍醐味だとティナは思う。
それにアウルムも一緒にいてくれるし、きっと楽しい旅になるだろうと思うと、落ち込んでいたのが嘘のように、ワクワクして来たのだった。
* * * * * *
ティナたちが泊まった「ロリアンの宿」で、ティナたちが出発した後。
「あらあら、もうあの女の子たちは出発しちゃったの?」
「ああ、行きたいところがあると言ってな。急いでいたみたいだぞ」
受付にいた男性に給仕の女性が声を掛けた。
この二人は夫婦で、人気の宿「ロリアンの宿」を切り盛りしている。
「まあ残念ね。お昼用のサンドを作ってあげようと思っていたのに」
彼女は珍しくも可愛い獣魔を連れたティナを気に掛けていた。食堂から部屋に戻るティナの顔色が良くなかったことを心配していたのだ。
「仕方ないな。またあの子が来てくれた時に作ってあげよう」
「そうね。あんなに可愛い子だったら忘れないでしょうし」
二人がそんな会話をしていると、憲兵団の団員が扉を開けて入って来た。
「あら、お疲れ様。休憩……にしては早くない?」
やって来た憲兵はよく食事をしに来る常連だった。
「それが、上からの指示で人探しする様に言われてさ……。ここにちっちゃい獣魔と女の子が来たら教えて欲しいんだよ」
憲兵の探し人を聞いた宿の夫婦は、思わずお互いの顔を見合わせる。
「えっと……その女の子は何か犯罪を犯したとか……?」
主人が恐る恐る質問する。憲兵に捜索されるような人間は、大抵が犯罪者か身分が高い行方不明者ぐらいなのだ。
「いや、それはどうかわからないんだが、とにかく探し出して欲しいと言われてな」
夫婦はティナの姿を思い浮かべる。
どう見ても彼女は犯罪を犯すような人間には見えなかった。これでも自分は人を見る目はあると自負している。
強いて言えば、彼女は犯罪者というより、身分を隠して平民の格好をしている貴族のようだった。
「……わかった。それらしいお客さんが来たら教えるよ」
「ああ、頼む」
結局、宿の夫婦はティナのことを伝えなかった。
犯罪者でなければ問題ないと判断したのだ。
それに宿を経営していく上で大切なのは信用だ。客の情報を簡単に漏らすような宿は信用されないだろう。
夫婦はあの少女と獣魔が無事旅を終えますように、と願った。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ
アウルム、お前喋れたんか、の巻。
次回もよろしくお願い致します!( ´ ▽ ` )ノ
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