第42話 記憶
ティナはベッドに寝っ転がったままトールのことを考える。
トールは幼いティナの心を救うために記憶を消してくれた──でもトール本人はどうだったのだろう、と。
彼だって大人びていたとはいえ、幼い子供だったのだ。それにティナが眠っている間にヴァルナルたちとの別れや追っ手からの逃亡を、たった一人で経験したのだ。きっとその記憶は悲惨に違いない、とティナは思う。
(つい腹が立ってトールを責めちゃったけど……。やり過ぎだったよね……)
ティナはトールと別れた時のことを思い出して後悔した。
つい感情的になってしまったが、トールはトールで必死に頑張ってくれたのだ。そのことに関しては本当に感謝している。
(でもなぁ……だからって過去に引きずられたままなのは良くないし……私に記憶があれば、トールも一人で苦しまなくて済むのに……)
ティナはトールのために記憶を取り戻す方法はないかと考えた。そうすればトールが抱え込んでいる苦しみを共有し寄り添えるのに、と思ったのだ。
昔トールが使った魔法は、記憶を消すためのものだと言っていた。消してしまった記憶を復元させる魔法なんて聞いたことがない。
だがしかし──ティナは神聖力を持つ聖女だ。しかも<稀代の聖女>と称されるほど強いティナの力は、欠損した部位も再生させることが出来る。
(それなら、失った記憶を癒しの力で治せるかも──!)
記憶を取り戻す可能性を見出したティナは、その可能性に掛けてみようと思う。
「わふ?」
ベッドに突っ伏してうんうん唸っていたのに突然起き上がったティナを見て、アウルムが不思議そうにしている。
「あ、アウルム。ごめんね、今からちょっと試したいことがあるの。大人しく待っててくれる?」
「わふ」
アウルムはティナに返事をすると、ベッドの端っこに丸まった。どうやら一眠りして待っていてくれるらしい。
「ふふ、アウルム有難う」
ティナはアウルムの気遣いに感謝する。これで作業中に気が逸れることもないだろう。
これからティナが行おうとしている魔法は、繊細で緻密な作業を必要とする、最高難易度の大手術と同レベルのものだ。
少しのミスで廃人になる可能性がある大変危険なものだが、今のティナに迷いはない。
「──ふぅ……」
ティナは心を落ち着かせ、自分の周りに小さい結界を形成する。そして意識を集中し、自分の中に神聖力を注ぎ込んでいく。
「……っ、く……っ」
神聖力が脳を駆け巡る感覚に、神経がザワザワする。頭痛と眩暈でクラクラするが、ティナは構わず神聖力を流し続け、記憶痕跡へと辿り着いた。
さらにティナが集中して記憶痕跡を探ると、ぽっかりと空いた、空白部分を見つけ出す。
(──ここだっ!!)
ティナは無意識にそこが消された記憶があった箇所だと理解する。
「我が力の源よ 慈愛の光となりて 聖浄と癒しを与え給え <クーラティオ・ケルサス>」
そして最上級治癒魔法の呪文を唱えると、その空白部分に神聖力を全力で叩き込む。
「……ぅあ……っ!」
ティナが神聖力を叩き込むと、記憶痕跡の空白だった部分が治癒されていく。と同時に、失った記憶が再生され、膨大な量の情報がティナの頭の中を埋め尽くした。
魔法は無事成功したようで、ティナは次々と失われていた記憶を取り戻していく。
『──僕はトールヴァルド・ビョルク・クロンクヴィストだよ』
綺麗な金色の瞳をした、あどけない少年がティナに微笑みかける。
(……っ、ああ、本当に……私はトールと出会っていたんだ……っ!!)
ティナの頭の中で、記憶が走馬灯のように次々と流れて行く。
──同じ年頃の子供と一緒に旅ができると嬉しかったこと、父に剣を教えて貰うトールが格好良かったこと、手を繋ぎながら輝く星を眺めたこと──……。
どれも楽しかった、幸せな記憶だ。
そして記憶の復元は進んでいき、幸せだった日々の記憶は終わりを告げる。
次々と暗殺者がやって来て父や母、優しいおじさんたちに襲いかかって来るのだ。
ティナはトールに抱きしめられながら、幌の中で剣戟の音が止むのをひたすら待っていた。
そんな日がしばらく続き、父は疲労し母は倒れ、おじさんたちの怪我が増えていく。
恐怖と不安が入り混じる中で、ティナは自分が何も出来ないことをもどかしく思う。
ティナは覚えたばかりの力で、みんなを癒してあげたかった。けれど、父から力を使うのは禁止されていたし、やっとかすり傷を治せる程度の力では役に立てなかったのだ。
そうして記憶は隠れていたトールとティナが捕まったところまで進んでいった。
凄惨な光景の中、貴族のような男が目の前に立っている。
その男は盗賊たちに命令すると、ティナを殺そうとナイフを突き刺そうとして──……
『やめろーーーーっ!!』
トールが叫びながら自分に覆い被さった。
『ぐわぁっ!!』
トールの悲鳴と共に、鮮血が飛び散った。
苦痛で歪んだトールの顔が、笑顔を象ろうとするけれど、笑顔は形にならないまま、トールは意識を失ってしまう。
ティナは血色を失っていくトールの顔色と、冷たくなっていく体温を感じ、ようやくトールが自分を庇い、死にそうになっているのだと気が付いた。
『────っ!!』
トールや両親たちを苦しめているのはこの男たちだと理解したティナは、怒りで目の前が真っ赤になった。
心の奥から炎のように怒りが燃え上がり、今まで必死に押さえていた感情が爆発する。
──それからのことは覚えていない。
自分に敵意を向けるものを消す──ただそれだけだった。
今思えば、ティナが覚醒したのはこの時だったのかもしれない。
もうこれ以上大切な人が傷つき、失うのを恐れたティナの心が壊れかけたことで、閉じ込められていた力が解放されたのだ。
何の皮肉か、その力は人智を超えた時空間魔法を発現させ、ティナを<稀代の聖女>とたらしめることになる。
しかし覚醒したものの、ティナは心を閉ざしてしまう。
父や母たち、さらにトールまで失ったのではないかと思うと、これ以上耐えられなかった。だから心を閉ざし、自分を守ろうとしたのだ。
ティナは闇の中で微睡んでいた。この闇の中なら誰もティナを傷つけないし、何も失うことはない。
そうしてティナの心が溶けていき、闇と同化しそうになった時、温かい何かが自分の中に入って来る気配を感じとる。
その温かい何かは、ずっとティナを守ってくれていた大好きな人の魔力で。
ティナはトールが自分のすぐそばにいるのだと気づくものの、また失ってしまうのではないかと思うと怖くて怖くて仕方がない。
だからティナは必死に言葉を紡ぐ。どうか自分を一人にしないで欲しいと願いを込めて。
『トール、死なないで……お願い……』
本当は闇に溶けたくない。お願いだからトールがいる世界に、光の中に繋ぎ止めて欲しい──これ以上心が壊れないように、繋ぎ止めて欲しいのだ。
『ティナ……。僕は絶対死なないよ。約束する……!』
トールの強い決意が込められた言葉に、ティナは我を取り戻す。
そして温かい魔力が、自分を守るためにトールが行使した魔法なのだと、不思議と理解することが出来た。
ティナは魔法が成就する前に、トールに最後のお願いをする。
『私がトールを忘れても、会いに来てね』
こんなにもトールを苦しめておきながら、自分勝手で我儘なお願いを言うなんて、トールに呆れられても仕方がない、と思う。
『絶対行くよ……! ティナが何もかも忘れていたとしても、絶対に会いに行くから……っ!』
だけどトールは金色の瞳を輝かせ、はっきりと約束してくれたのだ。
ティナはトールの言葉が本当に嬉しかった。きっとトールなら約束を守ってくれる、と心の底から信じられる。
『……うん。待ってる』
自分の幼い初恋は消えてしまうけど、全てを忘れてもきっと──いや、必ず自分はトールを好きになる──そんな確信がティナにはあった。
そうしてトールの魔力の光に包まれたティナは眠りについた。
いつかトールが会いに来てくれる日を信じて。
「……うっ……うぅ……」
失っていた記憶を取り戻したティナの目から、涙がポロポロと零れ落ちる。
想像していたよりもずっと、辛い過去だった。
両親が亡くなってから時間が過ぎたから、心の準備はできていた。けれど、トールがここまで壮絶な体験をしていたとは思わなかったのだ。
こんな辛い記憶を持ちながらも、トールは約束のために懸命に生きて、そうして何事もなかったような顔をして、ティナに会いに来てくれた──それがどれだけ大変なことなのか、記憶を失ったままでは知ることが出来なかっただろう。
トールはティナに記憶を取り戻して欲しくなかったはずだ。だけど、ティナは記憶を取り戻して良かったと思う。
「……くぅーん……」
気が付けば、アウルムが心配そうにティナの顔を覗き込んでいた。
アウルムの金色の瞳がトールと重なって、ティナの心を締め付ける。
「心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
ティナがアウルムをそっと抱き上げると、慰めようとしてくれているのだろう、アウルムがティナの頬をペロペロと舐めてくれた。
「ふふっ……有難うね」
優しいアウルムの頭を撫でながら、ティナはトールのことを想う。
今は無性にトールに会いたくて仕方がない。
自分からトールを拒絶しておいて、何を言っているのだと自分でも思う。相変わらず自分勝手な性格に嫌気がさす。
(トールは私に失望しただろうなぁ……)
自分は何もかも忘れ、トールに全部押し付けたくせに、それでも守ると言ってくれた恩人に対して、何てことをしてしまったのか。
思い出す前にも後悔していたけれど、真実を知ったティナはさらに深く後悔する。
(……………………あー! もう寝よう寝よう! 力を使って疲れたし!)
実際、脳に負担が掛かったのか、ひどい頭痛に襲われていたティナは現実逃避することにした。今必死に考えても答えは見つからないと思ったのだ。
それにきっと未来の自分がどうにかしてくれるだろう。その時にどうするか考えればいいのだ。
ティナはアウルムと一緒にベッドに横たわる。
きっと今夜は眠れないと思っていたが、アウルムの体温が心地よく、睡魔はあっという間にやって来た。
──もしトールともう一度会えたら、心から謝って、そしてちゃんとお礼を言おう──ティナはそう思いながら、深い眠りへと落ちていったのだった。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ
ティナさんとうとう思い出したよ、の巻。
次回もよろしくお願い致します!( ´ ▽ ` )ノ
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