第2話 自由

 セーデルルンド王国の第一王子、フレードリクとの婚約破棄に学院を退学、更には<聖女>の称号を剥奪されたクリスティナは、今まさにブレンドレル魔法学院の門をくぐろうとしていた。


 学院の門をくぐった瞬間から、クリスティナはただの庶民の少女となる。

 長い期間、クリスティナが守っていたものや築き上げてきたものは全て失ってしまうのだ。


 クリスティナは万感の思いを胸に抱きながら学院の門をくぐった。

 そして外の世界へ一歩踏み出すと、ぐっと拳を握って空へと突き上げる。


「いよっっしゃーーーーーーーーーっ!! 自由だーーーーーーーーーーっ!!!」


 クリスティナはあまりの嬉しさに思いっきり大声で叫んだ。こんなに晴れ晴れとした気持ちは生まれて初めてかもしれない。


「まさかこんなに早く<聖女>をやめられるなんて!! めちゃラッキー!! やっほーい!!」


 フレードリクや生徒達の前にいた、貴族令嬢然としたクリスティナの面影はもうそこに存在しない。

 今ここにいるのはありとあらゆる柵から開放された、ただの少女なのだ。


「あの王子も役に立つじゃん!! 婚約はこっちから破棄するつもりだったけど、あっちから言い出してくれてホント良かった!! 私の過失ゼロで自由になれるなんて……ああ、生きてて良かった〜〜!!」


 王家から強引に進められた婚約は、クリスティナにとって不本意なものであった。未来の王妃を育てるための教育は厳しさを極め、王妃に興味がない彼女には苦行でしか無かったのだ。


「神殿にこき使われるのもうんざりしてたんだよね! あいつら、偉そうに口出しするくせに自分達は動かないし。そのクセ浄化したら自分達の手柄にするし、マジで害悪!!」


 クリスティナは今まで溜まっていた鬱憤を吐き出すかのように毒を吐く。

 実際、瘴気が発生する度にクリスティナは神殿から呼び出され、問答無用で浄化させられていたのだ。


「浄化のために国中駆けずり回ってたんだから、学院に行く暇なんか無いっつーの! 王子のくせに何も知らんのか!!」


 フレードリクからの糾弾にも沈黙で耐え続けたクリスティナだったが、一度吐き出すと次から次へと愚痴が出てきて止まらなくなっていた。しかも段々口調まで荒くなっている。


「あー、いかんいかん。落ち着け私! もう自由になったんだから喜ばないと!!」


 クリスティナは持ち前の前向きさで、ネガティブになりそうな思考を何とか切り替える。


「ああ〜〜……でも学院はもっと通いたかったなぁ……」


 王妃教育からも聖女の勤めからも開放されたクリスティナだが、心残りが全く無かった訳ではない。


 ブレンドレル魔法学院は、質の高い教育と充実した設備を兼ね備えたセーデルルンド王国が誇る最高学府だ。他国の高位貴族達が留学に訪れるほどその評価は高い。


 貴族の子女が多く通う学院ではあるが、実力主義的傾向が高いので、優秀な人材であれば身分関係なく受け入れてくれる。


 小さい頃、両親を亡くしたクリスティナは孤児だったが、地頭の良さと魔力量の多さで特待生として入学が許可されたのだ。

 しかし折角入学したものの、神殿からの呼び出しや王妃教育のために王宮に通わなければならず、クリスティナはほとんど学園に通うことが出来なかった。


 神殿や王宮では年上の人間に囲まれていたので、同年代の少年少女と関わりが持てる学院生活にクリスティナは憧れを抱いていたのだが……。

 その学院生活が送れなくなってしまったことが、クリスティナの唯一の心残りとなっている。


「トールにちゃんと挨拶すればよかった……」


 クリスティナはふと、トールという名の男子生徒のことを思い出す。

 彼は隣国クロンクヴィストからの留学生で、あまり学園に通えなかったクリスティナに何故か優しくしてくれた男子生徒だ。


 休みがちで勉強が遅れ気味のクリスティナに、彼はいつもノートを貸してくれた。そして休んでいる間にあった学院での出来事を、冗談交じりに教えてくれていたのだ。

 多忙なクリスティナが無理やり都合をつけて学院に通おうとしたのも、トールに会いたいためだったのかもしれない。


「でもあんな事があった後に、どんな顔で会えばいいのかわかんないしなぁ……」


 あの衆人環視の中にトールがいたのかどうかわからないが、もしいなかったとしても生徒達からの噂でクリスティナのことを知らされるだろう。

 それはそれですごく恥ずかしいが、もうトールとは会うことがないのだから、気にする必要はないだろう、とクリスティナは最後に彼へ感謝の言葉を告げて、無理やり忘れることにした。


 クリスティナの言葉はきっと、トールに届くことはない。だけどクリスティナはそれでも構わずに叫ぶ。


「トール!! 今まで有難うー!! 元気でねーー!!」


 ──クリスティナの言葉は誰にも気付かれること無く、空気に溶けるように消えていった。

 そうしてクリスティナは満足そうに笑顔を浮かべると、学院に背を向けて歩き出したのだった。




 ちなみにブレンドレル魔法学院は王都のほぼ真ん中、貴族街に位置しているため、人通りはかなり多い。

 今もたくさんの人間が行き交っているが、誰一人としてクリスティナを見ている者はいなかった。

 それは何故かというと、クリスティナは自分の周りだけに結界を張っているからだ。


 膨大な光の<神聖力>を持つクリスティナは光の屈折を調整し、簡易の光学迷彩で自分の姿を隠しつつ、結界で防音していた。

 だから誰もクリスティナの百面相や大きな独り言に気付かないので、彼女は溜まっていた鬱憤を思いっきりぶち撒けることが出来ている。


「……ふぅ。いっぱい叫んだらスッキリした。もう王宮や神殿のことなんて綺麗サッパリ忘れてこれからは悠々自適のスローライフだ!!」


 気持ちを切り替えたクリスティナは、軽い足取りで王都の街を歩いていく。


 貴族街の道は広く街並みは綺麗に保たれていたが、クリスティナは貴族街から外れるように反対方向に向かう。


 それからしばらくすると、雑多な街並みの市場のような場所へ辿り着いた。

 ここは中流階級の人間が暮らすエリアで、先程までいた貴族街より人が多く、活気に溢れている。


 クリスティナが結界を解き、人ごみに紛れながら歩いていると、道の端に人相の悪い男達がたむろしていた。

 その内の一人がクリスティナに気付くと、ニヤニヤと笑みを浮かべて近づいて来る。


「おう! ティナじゃねぇか!!」


 仲間の声でクリスティナに気づいた他の男達が、ゾロゾロとクリスティナを取り囲む。


「お! ホントだ! こんな時間に来るなんて珍しいなぁ!」


「どうした? ついに神殿から逃げ出してきたのか?」


「いやいや、きっとボンクラ王子に愛想を尽かしたんだろ! あの王子は頭の中がお花畑だからよ!」


「違ぇねぇ!! ガハハハハッ!!」


 人相が悪い男達はクリスティナの知り合いのようだった。

 その男達はゲラゲラ笑いながら好き勝手に予想を立てているが、あながち間違っていないところが恐ろしい。


「両方!!」


 下品に笑う男達に構わずクリスティナが答えた。

 しかしその答えに、男達は一瞬意味がわからなかったようで、思わずクリスティナに聞き返す。


「はぁ?! 何だって?」


「だから両方!! 婚約破棄と聖女の称号を剥奪されたの!! それと学院追放も追加で!!」


「「「「「………………」」」」」


 クリスティナの返答に男達は絶句する。驚き過ぎて言葉が出ないようだ。


「……えっと、そのことはもうギルド長には……?」


「まだだよ。今から報告に行くつもり」


 放心状態から我に返った男が、恐る恐るクリスティナに問いかけた。まさか冗談だと思っていたことが現実になるとは夢にも思わなかったのだ。


「おいおい! マジかよ……!」


「俺、ちょっと皆んなに知らせてくる!!」


 仲間の男が慌てて走っていく。他の仲間にクリスティナのことを伝えに言ったのだろう。この様子では明日には噂が王都中に広がっているかもしれない。


「俺達もギルドに戻るぞ! おいティナ! 後で詳しく教えてくれよな!」


「はいはい、ベルトルドさんに報告が終わったらね」


 クリスティナはひらひらと男達に手をふると再び歩き出した。その後ろを大柄の男達がゾロゾロとついて行く。


 小柄な少女の後ろを人相の悪い大柄な男達がついていく姿は、一見すると異様な光景に見える。何も知らない人間が見ると犯罪臭がプンプンだ。

 しかし道行く人々はクリスティナの容姿に見惚れるものの、男達を見ても怖がる様子はない。


 ──何故なら、この人相が悪い男達はゴロツキでも何でも無く、れっきとした冒険者だったからだ。


 学院でフレードリクがクリスティナに言った「ゴロツキ共や賤民達」とは、王都のギルド本部に在籍している冒険者達のことだったのだ。


 



* * * * * *


お読みいただき有難うございました!


ティナさん開放されて大喜びの巻。


本日二回めの投稿です。

早速読みに来てくださった皆様有難うございます!

明日も更新しますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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