第30幕 団長ゴードン•ジルガ
夫婦がたどり着いのはホテルの中庭。
「あんな所に馬車が…」
「サーカス団が移動に使う馬車だわ」
ドーベルマン4頭の首輪を外し、中庭に放つ。
「頼むわよあなたたち!」
夫婦はホテルを離れ街へ消えて行った。
ドーベルマン4頭は一斉に走りだし、馬車へ近寄る。
「ミーアが言う"大きな黒猫"ってのはここに居るみたいだな」
「獣の匂いだな」
「おい!居るんだろ!出てこいよ!」
飼育小屋のカーテンがなびく。
レオンが顔を出す。
「なんだお前ら騒々しい」
気だるそうに相手をするレオン。
「ミーアに怪我させたんだってな?」
「ご主人がお怒りだ」
「お前に仕返しして良いってさ」
「始末しろってさ」
ドーベルマン4頭は言う。
「ミーア?昼間泣いたガキか?あいつは俺のしっぽ踏んで勝手に転んだだけだが?」
ちっ、これだからガキが絡むと面倒なんだ。
なんでも事細かく親に話しちまうからな。
「で?俺をどうするって?」
レオンがドーベルマンに聞く。
「仕返しってどうするんだ?」
「存在を消すってことじゃん?」
「とりあえず噛みつきゃいいんだな」
ドーベルマン4頭はレオンをどう始末するか考えている。
「生意気言うじゃねぇかガキども。いいだろう、相手してやる」
レオンは走り出し、馬車を離れ海岸へ向かう。
ドーベルマンたちは吠えながらレオンの後を追う。
ホテルを出て中庭にたどり着いたウィルソンは馬車の周りに居たはずのドーベルマンが無いことに気付く。
飼育小屋のカーテンを開ける。
「レオン居る?」
小屋の中は静まり帰り物音ひとつしない。
「あの犬たちはどうしてレオンを…」
ウィルソンは海岸へ向かうことにした。
レオンは海岸へたどり着いた。
そこは高波打ち付ける断崖絶壁の拓けた場所。
「ここなら好きなだけ暴れられるだろう」
ドーベルマンたちがレオンを追い詰める。
「追い詰めた!逃がさねぇぞ」
ドーベルマンの1頭がレオンめがけ突っ込む。
レオンの前脚に噛みつこうとしたが、レオンはするりとかわし、ドーベルマンに後ろ脚でドロップキックを浴びせる。
「ちっ、くそが!」
後ろで待機していたもう1頭も加わり、再びレオンに攻撃を仕掛ける。
レオンはするりと攻撃を受け流す。
「レオン!何してるんだ!」
ウィルソンの声だ。
ウィルソンはドーベルマン2頭に襲われているレオンを助けようと落ちていた木の棒を拾う。
(なに!来るんじゃねぇウィルソン!)
「えっ!」
(おせぇよ!)
気付いた時にはもう遅かった。
ドーベルマンの1頭がウィルソンに向かい飛び掛かる。
「うわっ!」
(ウィルソン!)
レオンも2頭の相手をしていて助けに行くことが出来ない。
(お前もあいつの仲間か?取り込み中だ、邪魔するな)
地面に倒れ込んだウィルソンの背中に乗り、三つ編みを口に咥えグイッと頭を引き寄せる。
「ぐっ…」
(見てみろ、最初は威勢が良かったが、今はあいつらの相手だけで精一杯だ。あれじゃ助けに来れないな)
「レオン…」
昔は"兄貴"と呼ばれ強さに誇りがあったクロヒョウとはいえ、長年サーカス団に携わっている間に野生本能は薄れて行っているに違いない。
もう1頭のドーベルマンがウィルソンの首に噛みつこうとしたその時…。
「邪魔だどけぇ!」
ウィルソンの背中に乗っていたドーベルマンを蹴り飛ばした威勢の良い低い声。
蹴り飛ばしたドーベルマンはもう1頭を巻き込みふっ飛ぶ。
「団長!」
「まったく、ネルソンもお前らもなんてざまだ…」
別遠征組に会いに行ったはずの団長が助けにきたのだ。
「起きろ!襲ってくるぞ!」
ふっ飛んだドーベルマンは体勢を立て直しゴードンに向かい襲い掛かる。
(次から次へと邪魔ばかり!)
飛び掛かろうとするドーベルマンの首をゴードンは裏拳で払う。が、怯むことなく再び襲い掛かる。
もう1頭はウィルソンの左脚に噛みつき、首を振る。
「ぐっ!」
ウィルソンは足を取られ、バランスを崩し地面に頭を打ち付け倒れ込む。
そのまま崖の方へ引きずられる。
(このまま海に落としてやろうか)
「ウィルソンを離せ!」
ライアンが追い付きドーベルマンの頭を木の棒で叩いた。
ドーベルマンは足から口を離した。
「大丈夫かウィルソン!」
ライアンがウィルソンの腕を引き、起き上がらせる。
「うん…ごめんライアン…」
レオンが相手をする2頭は体力も衰えず攻め続ける。
ドーベルマンの1頭がレオンの右肩に噛みついた。
レオンも負けずドーベルマンの首に噛み付く。
お互い噛む力は緩めない。
「これでどうだ!」
もう1頭がレオンの腹部に噛み付く。
「ぐふぁ」
反射的に口を離してしまった。
すかさずドーベルマンはレオンの首元に噛みつき首を振る。
噛まれた首元は締めつけられ息が出来ない…。
柔らかい腹部はボロボロに千切れ内臓が飛び出す…。
意識が遠くなる…。
力の入らない身体は成す術なく、引きずられ振り回される。
「レオン!」
ゴードンが叫ぶ。
ゴードンの両腕にドーベルマン2頭が同時に噛み付く。
「ぐっ!くそっ」
ドーベルマンの噛む力は尋常ではない。
腕に食い込むキバは皮膚を貫き肉を裂く。
ドーベルマン2頭はゴードンの腕に食らい付いたまま首を振る。
「くっ、邪魔だぁ!」
ドーベルマンに噛まれた腕をそのまま振り上げ地面に叩き付けた。
衝撃に耐えきれず2頭は口を離す。
「レオン!」
ゴードンが走る。
レオンの首元を噛むドーベルマンは勢い良く振り回し、レオンを海へ投げ飛ばす…。
ゴードンは投げ飛ばされたレオンを抱き寄せ、海へ飛び込みそのまま落ちていった…。
「「団長!レオン!」」
ライアンとウィルソンが崖下見る。
「降りよう!」
「うん!」
_____________
ゴードンはレオンを抱き抱えたまま岩場にしがみつく。
「まだだ…しっかりしろレオン…」
「……」
陸に上がりレオンの心音を確認する。
喉元の肉は千切れ、えぐれた腹部から内臓が垂れ下がる。
ゴードンはドーベルマンに噛まれ血まみれの手でレオンの傷口を押さえる。
呼吸が苦しい…、鉄の味が身体を伝う…。
折れた肋骨が肺に刺さっているようだ…。
意識が朦朧とする…。
「レオン…」
(わりぃ…おやっさん…)
…これは…レオンの声か…
突然耳に届いた低い声はレオンのものだろう。
(…最後まで迷惑かけてしまうな…)
「バカが…迷惑なんかじゃねぇよ……家族だろうが…」
絶え絶えの息、弱々しく脈打つ内臓…。
(あんたに拾ってもらえたあの日から…、俺もだいぶ年老いちまったようだ…)
「そうだな…お互い…年を取った…」
20年以上連れ添ってきたレオンと会話をするのは初めてだ…。
「おめぇ…こんなんなるまで俺に心開いてなかったのか?…」
(そんなことはない…、大事なパートナーだからな………とっくの昔から……)
「…そうか……」
(…最後にあんたと話せて…良かった…)
「あぁ…俺もだ…」
(わりぃ…おやっさん…)
「…なんだ…」
(少し…休む…)
「あぁ……………おやすみ…相棒…」
レオンの表情はやわらかく安心した顔をしていた…。
レオンの鼓動が止まり、耳を包んでいたくもりが霧のように晴れていった…。
「「団長!」」
ライアンとウィルソンが駆け付ける。
「おぉ…お前たち…無事みたいだな…」
ゴードンはレオンを背中に担ぎ、フラフラになりながらも立ち上がる。
ライアンとウィルソンはゴードンの両脇に入り身体を支える。
団長の腕はボロボロに噛まれ血が垂れる。
「団長…ごめんなさいこんなに怪我するまで…」
ウィルソンが言う。
「なぁに…お前を助けられて良かったさ…」
「でも…レオンが…」
「見てみろ。こんなにキズだらけなのに…、レオンのやつ…、笑ってやがる…」
「ごめんレオン…助けられなくて…」
ライアンが涙を流す。
「レオンは俺たちを守ってくれたんだ…。ごめんじゃねぇよ…、ありがとうだろうが…」
「「ありがとう…レオン…」」
「そうだ…、それで良い…レオンが―」
アドレナリンが切れ、ボロボロの腕や全身に激痛が走る。視界が灰色に染まり意識が遠退く―。
「「団長!!」」
____________
白い天井、暖色の蛍光灯、黄色のカーテン。
俺は…、生きているのか…。
ここは…、ベッドの上か…。
ゴードンが意識を取り戻したのはベッドの上。
起き上がろうとするが身体に力が入らない…。
天井に向かい伸ばした腕は、肘から先が無い…。
「あぁ…あんなボロボロじゃぁな…」
ゴードンは状況を理解した…。
「ぁ、団長…、良かった目を覚ましたんですね…」
声のする窓際に目を向ける。
ウィルソンが居た。
「ウィルソン…か、ここは…どこだ」
「サンクパレス病院ですよ。団長は1週間眠っていたんですよ…」
「帰ってきたのか…」
「団長の腕は…、修復不可能とのことで…残念ですが…」
「そう…だな」
「皆に団長が目を覚ましたこと伝えてきますね」
「おぅ…」
ウィルソンは病室を出て行った。
「わりぃ皆…、俺はもう…長くねぇみてぇだ…」
ドーベルマンに噛まれたことにより"狂犬病"を発症した団長は、高熱と呼吸困難に陥る。
点滴による治療はほぼ効くことはなかった。
主治医の話を聞きに行ったリーガルとキースは、
団長の余命がわずか数日と診断結果を受けた。
団長の余命宣告を受けた2日後。
ウィルソンは病室の花瓶の花を取り替えている。
「なぁ…ウィルソン」
「……はい」
団長に呼ばれ振り返るウィルソン。
「どうした…、湿気たツラしてんな…」
「ぁ…いえ、大丈夫ですよ…」
ウィルソンにも団長が余命わずかなことは聞かされている。
平静を装いながら団長に接するのは心が傷む。
「お前の…"人を笑顔にするピエロ"の夢…。叶えるまで一緒に居てなれなくて…わりぃな…」
「…どうしたんですか…、団長が…僕に謝るなんて…」
ダメだ…。声が震える。
「…シエルとマイルの姉弟は…、色んな国に旅行に連れて行ってやる約束…出来なくなっちまったな…」
「ライアンは…レオンが居なくなって寂しがってないか…」
ゴードンはサーカス団の仲間のことを最後まで気に掛ける。
「団長が謝ること…無いですよ…。皆…元気ですよ…」
団長の言葉ひとつひとつが別れの言葉のようで…、団長を元気付けてあげられる言葉が…
僕には見つからない…。
「なぁ…ウィルソン」
「はぃ…」
ウィルソンは団長の包帯で巻かれた腕を両手で包む。
「俺の息子…ネルソンは…人に甘えるのを恥ずかしがるヤツなんだ…。だから…お前だけでもあいつのそばで…、味方で居てやってくれな…」
「団長…、わかり…ました…」
脈拍を示す心電図の針も間隔が広がり弱々しい。
色を失う視界…、遠くなる耳…、虚ろな目…。
団長は曇りが晴れたような優しい表情をしていて…。
「あぁ……これで……心配いらねぇ…―」
…やっと…おまえに……会いに…いける……。
ウィルソンの掴んでいる腕は力を失くし…。
心電図の針の動きが止まった。
「父さん!大事な話が―」
ネルソンが病室の扉を開けた。
病室に響くピーーという心電図の音…。
「ぁ…ネルソン。ごめん…僕は先生を呼んでくるね…」
ウィルソンはネルソンを病室に残し、廊下へ出る。
「そんな…父さん…うそだ…、まだ数日あるって…」
揺さぶっても目を覚ますことはない父に話しかける。
「父さん!…まだおれ…父さんに何もしてあげれていないのに!」
右足のズボンの裾を捲り上げる。
「ほら、見てよ。蛇に噛まれた足もすっかり治ったんだ…。なぁ…父さんが教えてくれたんだ…、…起きろよ父さん!…父さん…」
ウィルソンは病室前の廊下で声を抑え、泣いた…。
数日後、団長とレオンの火葬が執り行われた。
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