第26幕 父をたずねて

2人はロビーのソファーに座り、リズの診察の結果を待つ。

…待つこと10分。しっぽは包帯と当て板で固定され、すやすや眠るリズの乗ったプラスチックのトレーを持った女性が奥から出てきた。

「今は意識は取り戻して、眠っていますね。頭や身体の骨には異常はありませんが、しっぽの骨が折れていたようですね…」

「しっぽの骨が…折れてる?」

「えぇ、高い所から落ちた時にしっぽから落ちたか、飼い主が固い物をしっぽに落としたりした時になったかと思われますが…、心当たりはありますか?」

建物の壁に叩き付けられる時、咄嗟にしっぽで受け身を取ったのかも知れない。おかげで頭や身体への衝撃が緩和されたのかも知れない。

とにかく、大事には至らず安心した。

「…高い所から落ちたのかも知れませんね…。命に関わるほどではなく安心しました。ありがとうございます」

アリシアが強姦に襲われそうになったことは話さず、おおごとにしないでおこう…。

「しっぽの骨が完治するまで1週間ほどかかるでしょう…。当院で預かることも出来ますが、どうしますか?」

「はい。1週間ですね。宜しくお願いします」

リズを預けることにした。

「また迎えにくるからね」

ウィルソンは眠っているリズの背中を指で撫でた。

「無事で良かった…リズ…」

アリシアも胸を撫で下ろす。

診察料を払い、動物病院を後にした。

______________


街の中心の時計塔はこの場所からもはっきり見える。この街のシンボル的な建物なのだろう。

2人は時計塔を目指し歩く。

時計塔の時刻は6時15分。

街は散歩や花壇への水やりをする人々で賑わい始めている。


微かに聞こえるオルゴールの音色…。

「…このオルゴールの音…、どこから…」

「ウィル?」

ウィルソンは聞き耳を立て、音色のする方へ歩く。

音がだんだん近くなる。

"星に願いを"のオルゴールの音色…。

聞き覚えの…あるような…、

"ふーふーふふ,ふふふ~"ウィルソンはゆったりとした鼻歌を奏でる。

優しい声の母親の子守り歌を思い出した…。

「…この家だ…」

中心街から離れた民家も疎らな裏の通りの小さな木造の平屋の家の前。

屋根の至る所が剥がれ落ち、地面付近の木の壁は腐食により崩れ落ちている。

引き戸のドアノブに手をかける。

ドアノブを回すこともなく、すぐドアが開いた。

オルゴールの音色が止まる。


ウィルソンがドアを開ける。

生ゴミを放置したような酸っぱい臭いが鼻を突き刺す。

「うっ!」

思わず口を塞いだ。

「アリシアちゃんここで待ってて」

「私も行く」

アリシアは繋いでいた手を強く握る。

玄関先には生ゴミの入っているであろう袋が口も縛らずに散乱し、小バエが集っている。

廊下を渡るとすぐリビングがあり、電気も点いておらず薄暗い。

「ん?…だれだ…」

リビングの隅でうずくまる男性がウィルソンとアリシアの気配に気が付き、振り向く。

リザベートで見た指名手配の写真とは似ても似つかない、薄金の髪は肩まで伸びボサボサで顔は痩せこけ髭も伸びている。黒淵メガネの…お父さまだ…。

「ただいま…父さん…」

12年ぶりの再会で呼び方も話し方も定まらない。

「ウィルソンか…、おっきく…なったな…」

立ち上がる気力もないのか、床に座ったままウィルソンの顔を見てうっすら笑みを浮かべる。

ウィルソンはリビングの床に正座をする。

アリシアも真似をしてウィルソンの横に座る。

「はじめまして、おとうさま…」

アリシアが挨拶をする。

「僕は今、リズワルドサーカス団でピエロをしています。この子はアリシア、同じサーカス団の仲間です」

「そうか…。すまないな…格好悪いところ見せて…」

「何があった…、リザベートでは指名手配犯扱いされているなんて…」

「借金の徴収から逃げているんだ…」

「借金?いくら…」 

「8500万Gだ」

「そんなに…」

父親から仕事の話しを聞くのは初めてだった。

12年前に長男を失い、次男は音信不通。同居の妻も4年前に亡くなった彼に、心の余裕などあっただろうか…。

「…私の会社は全部で4店舗あったが…すべて倒産してしまったんだ…。親父の代から引き継ぐにしても3億なんて借金を残したまま死んでしまった…。私だって…それなりに借金を返しながらやんとかやり切ろうとは試みたさ…」

きっと1人孤独に悩み、打ち明ける仲間も居なかったのだろう…。憔悴した今の父を…、僕はどう助けてやれるだろうか…。

「逃げていても仕方がない…。リザベートに戻って、罪を償うしかない…」

「それは…そうだが…」

「リザベートにあるウィンターズの屋敷は、僕に預からせてもらうよ…、父さんも母さんも居ない広い屋敷に…今、マリーが1人で居るなんて…かわいそうだろ」

「マリーか…、3年ほど屋敷には顔を出していない…。本当にすまないことをしている…」

「借金は僕が返すから、父さんはリザベートの刑務所で自首してくれよ。僕が必ず借金を返して迎えに行くから」

ウィルソンは立ち上がり父に背中を向ける。

僕に出来ることは借金を完済して、父を地獄から開放すること。迷いはない。

「そんな…なんでお前がそこまで…」

「なんで?何年離れていようが息子として父親を守るって決めたからだ。僕の"育ての親"から貰った教訓だよ」

血の繋がりもない家族から大事なものをいっぱいもらってここまで生きてきた。

「僕はウィルソン•ウィンターズ。リズワルドサーカス団の人を笑顔にするピエロだ」

「……そうか…頼もしいな、自慢の息子だ」

ダニエルも…こんなサーカス団に入ることを夢見ていたのかもな…。

「バスの時間に合わせてこの街を出発するから、着替えとか荷物とか用意してよ。僕は少しでもこの家の掃除をしておくから」

「…そうだな」


「じゃぁおとうさま、私がヘアセットをしてさしあげますわ」

アリシアがダグラスの背中にまわり、ショルダーバッグから櫛とハサミを取り出した。

「お嬢ちゃん、ヘアカットできるのかい?」

「私のお母さんは美容師で、いつも隣で見ていたし、切り方も少し教わったことがあるから」

「そうか…、宜しく頼むよ」

アリシアはダグラスの付けていた黒淵メガネを外しテーブルに置く。

「私のお父さんが言ってたの"男は内面が腐ってても見た目を綺麗に保ってりゃあまだやり直せる"ってね」

ダグラスのボサボサの髪を櫛で梳かす。

「臭いだろ…ごめんな…」

この家は電気も水道も止められて、もう3週間は風呂に入っていない…。

「私のお父さんすごく汗っかきで…毎日こんな臭いで海から帰ってくるの…。平気です…」

アリシアはポスターの顔写真のオールバックでキリッとした顔を思い出しながら、ダグラスの後頭部から縦にハサミを入れていく。

鼻までかかる前髪は眉毛と同じ長さまでカット。

束ねて切った髪は散らばらないように、床に敷いた新聞紙の上に置く。

肩に届く襟足周りはアゴのラインに合わせカット、うなじが見えてスッキリしてきた。

「ウィルもサーカス団の仲間たちも…、とっても優しい人たちですよ。ウィルが借金返して迎えに来たら。サーカス…観に来てくださいね!」

まだ出会って数日しか一緒に居ないけど…、こんなに優しい人たちでいっぱいのサーカス団に出会えた…。ウィルのお手玉…大事に持ってて良かったなぁ…。

「そうか…ありがとう…」

「せっけん…どこかにありますか?」

「石鹸?…キッチンのシンクの所…かな」

アリシアは櫛とハサミをテーブルに置き、キッチンに向かう。

キッチンのシンクにカラカラに干からびた石鹸があった。

蛇口をひねっても水は出ない…。

「じゃぁ…」

アリシアは廊下を渡り、玄関へ向かう。

「ごめんね、ウィル」

しゃがんでゴミをまとめるウィルソンに声を掛ける。

アリシアはショルダーバッグからT字のカミソリを取り出し玄関を出る。

ボロボロの雨樋から水が流れている。アリシアはその水で石鹸を濡らし、泡立てる。

「よし。これでOK」

アリシアはリビングに戻り、ダグラスの正面に座る。

「お髭剃りますね」

ダグラスはアゴを上に向ける。

手に付いた石鹸の泡を頬とアゴに塗る。

「お嬢ちゃんすごいね…、何でも出来るね。…お名前は?」

「アリシア•クラーベル8歳です。将来のウィルのお嫁さん。よろしくねおとうさま」

「そうか……楽しみにしておくよ、2人の結婚式…」

ダグラスは優しく微笑んだ。

ぽふっと顔が赤くなる。アリシアは髭剃りを続けた。














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