冬→夏

体育の時、大抵別のクラスと合同で行う。着替えも同じ更衣室だ。隣のクラスの女子の中に明らかに殴られた跡がある子がいる。みんな気づいてはないのだろう。彼女の方もそれを隠しながら着替えている。彼女は他の女子に比べ、大人びたというか一歩下がった位置でみんなを見ている。他人事感の強い目とでもいうのだろうか、巧妙に隠してはいるが、つい気になって目で追ううちに気づいてしまった。できることがあるのなら、してあげたいなんて、思いあがったことを、毎回彼女を見るたびに、見かけるたびに考えてしまう。だから私はこの時間が嫌いだ。

神様というものがいるのなら、きっと私に彼女の救済を義務付けているのだろう。生理でだるくて動く気力の無い二時限目。私は体育を見学することにした。偶然にも彼女が見学者用の席にいたのだ。たぶん彼女の方は私が知っているとは思ってもいないだろう。そう分かっていてもどうにも落ち着かず、ジャージのほつれを引っ張ってどうにか気を紛らわすけど、うまくはいかない。一つため息をついて、観念する。仕方ない。馬鹿みたいに緊張している。きっと第一声は震えている。

「ねえ、ちょっといい?」

ほらやっぱり裏返った。彼女は首をかしげる。軽く深呼吸。大丈夫。たぶん大丈夫。

「きっと、踏み込んではいけないんだろうけど、あえて踏み込むよ。嫌だったらすぐにやめるし、不粋だとなじってもらって構わない。でも君が抱え込んで辛いなら、私でよかったら聞くよ。」

きっと踏み込んではいけない、という決めつけで見て見ぬ振りしてこられたのだろう。私の大嫌いな偽善と同情と自己満足に突き動かされ、彼女の救済を試みているのだが、もう自己嫌悪で血反吐はきそうである。まあ、それで彼女が救えたのなら私の好き好みなんてどうでもいい。

「さっき見えたんだけど、腕のあざどうしたの?」

名前も知らない彼女はまだうつむいている。

「忘れてほしいなら忘れるし、誰にも言わない。絶対に。」

「本当に?

彼女が顔を上げた一瞬、目からはらりと涙が零れた。それは非道く綺麗で儚かった。それはそれは、頬を伝って落ちてしまうのがもったいなく思うほど。

彼女は頬の涙を抽でぬぐいながら、ぽつりぽつりと話し始めた。涙の波は時に濁流のように彼女を襲い、思っていく。私は彼女の名前も知らないまま、彼女の心の中枢に辿り着いてしまったのである。

時折、クラスメイトの声が聞こえるが、それも遠ざかっていく。

「もう、しにたい。」

最後に絞り出されるように発された一言は、どうにも日常的な言葉でどう返せばよいかもわからぬまま、夏風にさらわれていく。

「うん」

彼女は自分が傷ついていることも分かっていないのだろう。ただ息苦しさをにして流しているだけのようだ。汗ばむ背中に、つうっと流れた汗はきっと暑かったからだけではない。気づかないふりをして、彼女の背を撫ぜた。

 名前も知らない彼女の苗字は篠ノ井というらしかった、よく一緒にいる子が呼ぶ「かつき」、それと彼女の核に限りなく近い柔らかいところ。大事なことはたくさん知ってるのに普遍的なことは何も知らない。恐ろしくチグハグな関係だ。チグハグでもいいから、彼女のほんの少しの助けになれたらいい。

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この時だけ 朔月 @Satsuki_heat

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