12.レシピエントからの手紙

 十二月の終わりに、採取後健康診断というものがあった。

 これにもコーディネーターの坂下さんが付き添ってくれ、後遺症がないか、痛みが残ってないか等をすごく心配してくれた。

 痛みなんかはもうとっくになくなっていて、俺は絶好調だ。最後の健康診断を終えて、これで提供者ドナーとしての仕事は終わりとなる。

 なにもなければ、これで坂下さんと会うのも最後だ。


「進藤さん、この度は本当にありがとうございました。長い間、お疲れ様でした」

「いえ、坂下さんには本当に色々とお世話になって、こちらこそありがとうございました。おかげでいい経験ができました」

「そう言って頂けると、私も嬉しく思います」


 坂下さんは変わらず、ふんわりとした優しい笑顔で答えてくれた。


「採取後一年間は、次のドナーになることはできません。一年後に再度ドナーになるかの登録意思確認の手紙を送らせて頂きますね。もし、もうこの一回で終わりたいと思うなら、それでも結構ですので」


 決して無理強いはさせないコーディネーターさんの姿勢。

 でも、多分……二度目はやらないという人は、少ないんじゃないだろうか。


「いいえ、次も登録させていただきます。大変じゃなかったというと嘘になりますが、こんな充実した気持ちにさせてもらえるなら、僕自身が幸せなので」


 そう答えると、坂下さんはありがとうございますと頭を下げてくれた。

 何度も何度もお礼を言ってくれる坂下さん。コーディネーターって、多分みんな同じような対応をするんだろうけど、それでも坂下さんが俺の担当でよかったな。

 もう会うことはないのかもしれないと思うと少し寂しかったが、すべてが終わったという充足感の方が大きかった。



 年が明けて、一月も下旬に差し掛かった頃のこと。

 骨髄バンクから一通の封筒が届いた。後日アンケートを送ると言ってたから多分それだろう。

 そう思いながら開封した俺は、一瞬固まった。

 中に入っていたのは、患者レシピエントからの手紙を同封したという旨の連絡。それと、〝ドナー様へ〟と書かれた封筒。

 うわ、ドキドキする。なにが書かれているんだろう。

 乙女かと思うほど胸を打ち鳴らしながら、その封筒を開けてみる。

 封筒に書かれてある字は子ども過ぎないが大人の字でもない。少年本人が書いているということは、最悪の報せではないはずだ。

 読み流すのはもったいない。俺はその手紙の一文字一文字を、ゆっくりと追った。


『初めまして。僕はあなたに骨髄を提供してもらった者です。

 骨髄液と手紙が届いた時はありがたくてうれしくて、涙が出そうになりました。

 移植は無事にすんで、準無菌室から出ることもできました。

 体調はとても良くて、順調だと思います。

 僕は退院したら、やりたいことがあります。それは、幼い頃から続けているサッカーを頑張ることです。

 将来は、プロのサッカー選手を目指しています。

 その夢を追いかけられるのも、ドナーさんのおかげです。

 僕に骨髄をくれて、本当に本当にありがとうございました!』


 体調は良い……その記述を見ただけで、肩の力が抜けた。

 そして、退院したらサッカーを頑張るという箇所を見て、胸が熱くなって涙が溢れそうになる。

 俺の患者レシピエントは、サッカー少年なんだな。そりゃあ、簡単にプロにはなれないだろうけど、夢を目指せるってだけでよかったと心から思えた。


 どうしよう、返事を書きたい。

 こんな手紙を受け取ると、書かずにはいられない。


 一年以内に二往復だけの手紙のやり取り。

 俺はもうすでに一通送ってしまっているから、次が最後だ。

 そう思って一週間くらいは我慢したけど、書きたい熱は収束せずに、結局書くことにした。

 少年の手紙の書き方を見るに、小学生ではないだろう。おそらく、中学生か高校生か……

 骨髄液の採取量も鑑みると、中学生のような気がする。まぁどちらにしろ、前回のように読み仮名をつける必要はなさそうだ。


 俺は言葉を選びながら手紙を書いていく。


『僕の骨髄液を受け取ってくれた君へ』


 封書の宛名にそう書いてから、便箋に移った。


『二度目の手紙、失礼します。

 本当は、もっと後で書くべきだとは思ったのですが、いてもたってもいられず、筆を取ってしまいました。

 君からの手紙を受け取りました。嬉しい報告に、思わず涙が溢れました。

 順調に回復しているようで、本当に良かったです!

 君の中にいる僕の骨髄液に、「これからもしっかり仕事しろよ」と伝えておきますね。

 そして、サッカー選手になるという大きな夢を持っているのを知って、胸が熱くなりました。

 ぜひ、叶えてもらいたい。頑張ってほしい。

 僕が君の一番のサポーターであることを、どうか覚えておいてください。

 僕からの手紙はこれで最後になりますが、ずっとずっと、応援しています。

 いつかテレビで君を見られる日を、楽しみにしていますね!』


 あんまりプロになることを応援すると、かえって負担になるかなとも思ったけど、今は目標を持って頑張ってもらう方が大事だと思ってこう書いた。

 別に、プロのサッカー選手にならなくったっていい。

 途中で夢を変えたって構わない。

 でも、今の君の夢中になれることがサッカーだというなら、俺はそれを全力で応援したい。


 もしも願うだけで力になれるなら、いくらだって俺は願うよ。

 君が大地フィールドに立てるなら、いくらでも。


 彼がどんな風に生きて行くのか、それを知れないのは残念だけど。

 どんな道を選んだとしても、心の中で応援していることに変わりはない。


 まずは無事に退院できますように。

 次の手紙も、いい報告でありますように。


 そう、心から願った。



 手紙を書き終えてホッとしていると、美乃梨が俺の部屋に来て、様子を伺っている。


「晃、ちょっと話があるんだけど……いい?」

「ああ。どうした?」


 居間に移動すると美乃梨が正座をしたので俺もそれに倣った。

 なんだろう、重要な話……かな。


「なにかあったのか、美乃梨」

「えっと……実はね、赤ちゃんができたの」

「え?!」


 美乃梨は嬉しそうに恥ずかしそうに、自身のお腹に手を置いて微笑んでいる。


 赤ちゃん。


 もちろん、考えてなかったわけじゃない。

 いつか欲しいと思っていたし、いつできても構わないと思っていた。

 でも中々コウノトリは来てくれなかったから、普通に過ごしていても無理なのかもしれないと思い始めた矢先のおめでただ。

 嬉しいよりも驚きの方が勝ってしまった。


「想像妊娠とかじゃなくて?」

「もう、産婦人科に行ってエコー写真もらってきたわよ」


 そう言って差し出されたのは、ペラペラのエコー写真。

 小さな丸い子宮の中に、点に近いくらい小さな粒が映し出されている。


「これが……赤ちゃん?」


 コクンと頷く美乃梨の顔は、すでに母親の顔になっているように見える。

 すごいな。女性は子を宿した瞬間から、母親になるんだ。


「えーと……こういう時、なんて言えばいいんだろうな……言葉が、出てこない」

「晃、嬉しい?」

「もちろん!!」


 俺が肯定の言葉を紡ぐと、美乃梨は幸せそうに笑った。

 美乃梨に向けて手を伸ばすと、まだ膨らんでいないお腹にそっと触れる。


「ちゃんと成長して、無事に産まれて来いよ。待ってるからな」


 そう、まだ見ぬ俺の子どもに声を掛けた。

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