11.退院

 患者レシピエントが移植した翌日に、俺は退院した。

 痛みはまだ少し残ってるが、尻餅をつくとかしない限りは問題ないだろう。

 会計に行くと、患者レシピエントが出すので患者ドナーの支払いはないが、医療の点数を見ると三十六万円ほど掛かっているみたいだ。

 三割負担だとしても、十万は払わなきゃいけないってことだよな。骨髄移植を希望すると、結構お金が掛かるものなんだ。

 高額医療で幾らかは戻ってくるだろうし、年齢によってはこども医療助成制度で支払いはないかもしれないが。あの制度も市町村によって助成の年齢がまちまちだからな。なんとも言えない。

 なんにせよ、患者レシピエントの家族の金銭的な負担が少ないといいんだが。


 そんなことを考えながら家に帰ってくると、やたらと懐かしい感じがした。

 たった三泊四日だったのに、長い間病院に閉じ込められていた気分だ。

 一緒に退院の手続きをしてくれた美乃梨が、エプロンを掛けながら問いかけてくる。


「お昼ご飯、なにか食べたいものある?」

「美乃梨の手料理ならなんでもいいよ。病院の料理も悪くはなかったけど、やっぱり美乃梨の料理が一番いい」


 俺がそう答えると、美乃梨は嬉しそうにいそいそと冷蔵庫を開けている。

 やっぱり家はいいよな。

 自由に動けて、自分のしたいことがすぐにできて、妻の作った美味しい料理が食べられる。

 今まで当たり前に過ごしてきたことが、幸せだったんだって気付かされた。

 病院は暇だし、お尻は痛かったし、先生や看護師さんやコーディネーターさんは本当によくしてくれて有り難かったけど、俺には三泊が限度だった。

 熱を出して長引く人もいるらしいが、俺は順調に退院できて本当によかったと思う。

 でも、ずっと病院で過ごしている人たちがいるんだよな。

 帰りたくても帰れない人たちが、たくさん。

 俺の患者レシピエントも、きっと何ヶ月も病院にいるんだ。

 大地を踏みしめることもできずに、病室のベッドの上でずっと。


 十代の男の子なら、友達と追いかけっこをして……いや、中高生なら部活かな。インドア派じゃなきゃ、活発に運動している年頃だろう。

 君が外の空気を味わえる日は、きっともうすぐ。そう信じたい。

 医者には、俺の骨髄が少年に根付く〝生着せいちゃく〟というものができたかどうかは、教えられないし気にしなくてもいいと言われた。

 今後の少年に関する情報は、俺はなにも得られないということだ。

 そう、たった一つの方法を除いては。


 君からの手紙が、今から待ち遠しい。


 こんなことを考えるなんて、まるで恋する乙女みたいだな。

 俺は苦笑しながら、それでも患者レシピエントのことを考える。

 この世でたった一人、同じDNAを持つ少年がこの世にいるんだ。嬉しいような、少しくすぐったい気分。

 生きて、元気になってほしいって願うのは当然だろう?

 会ったことがなくても、どこの誰だかわからなくても。

 他人だけど、他人じゃないから。


「晃、ご飯できたわよ」


 美乃梨に呼ばれた俺は、食卓に着く。

 そこに置いてあったのは、おろし鴨蕎麦と天ぷらだ。どうやら俺の好物を選んでくれたらしい。


「ありがとう、美乃梨」

「ふふ、この三日間、頑張ってたもの。あなたの好きな物くらい、作るわよ」


 家にいれば、こうして好きな物も作ってもらえる。有難いことだ。

 俺はいただきますと手を合わせると、蕎麦に手を伸ばした。

 やっぱり冬はおろし鴨蕎麦が一番だよな。大根おろしと鴨肉の絶妙なコンビネーション。蕎麦だけでも俺は好きだけど、この二つが合わさると最強だと俺は思ってる。

 天ぷらも王道の海老から食べると、サクッといい音が聞こえた。

 レンコンや春菊といった、俺の好きな具材もちゃんと揚げてくれている。どれを食べても美味くて幸せだ。

 明日は月曜日。また、通常の生活が始まる。

 なんの変わり映えもしない、平凡で幸せな日々が。

 食事をすべて平らげると、俺は手を合わせて「ごちそうさま」と感謝を捧げた。

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