10.レシピエントの移植日
朝は早くから起きてしまって、雑誌を読みながら過ごす。
痛み止めが切れてきたのか、やっぱりまだ腰の辺りが痛い。通常は一週間くらいで痛みがなくなるそうだから、そんなに心配はしていないが。
担当医が早くからやってきて、尿道カテーテルを抜いてくれた。ちょっとピリっと痛かったけど、一瞬だし悶えるほどじゃない。
「今日から動いてくれて結構ですよ。食事は今朝はお粥ですけど、それを食べて問題なければなにを食べてもらっても大丈夫です。お昼からは普通食になりますから」
医師の言葉に、ようやくご飯が食べられるのかとホッとする。
丸一日以上絶食したのは、生まれて初めてだ。絶食はデトックス効果があるっていうし、医師の元でそれをできたと思うとお得な感じがするな。
少しして朝食が出されると、ゆっくりとお粥を食べる。
今日は少年の移植日だ。朝のうちに移植は終わるみたいだが、まだ始まってないよな。
俺の手紙は届いたかな。読んでくれているだろうか。
食事の後痛み止めを飲むと、割と普通に歩けた。
昼食は普通に出たが足りなくて、売店でパンを買おうかと思ったら社長が来てお見舞いの和菓子をくれた。
「社長、わざわざありがとうございます」
「わしもドナーになりたかったが、通知が来なかったからこれくらいはな。どうだ、ドナーは」
「そうですね、寝ていることが苦痛じゃない人には快適かもしれませんけど、自分のことが自分でできないのはつらいです。あと、暇ですね」
「ハハハ、そうか! そうだろうな!」
俺の感想に、社長は大きな口を開けて笑っている。
ちょっと素直に言い過ぎたかな?
「でも、すごくいい経験をさせてもらいました。病気の人の気持ちも少しわかったような気もしますし、レシピエントが喜んでくれると思うとやりがいがありました。なにより妻の美乃梨の考えも変わったように思うので、やってよかったです」
今度はうんうんと嬉しそうに頷いてくれた。どっちも俺の本心には変わりない。
「進藤くん、よくやってくれたな。ありがとう」
礼を言われた俺は、少し反応に困ったものの笑顔で応える。
社長も一昨日に会った女性と同じだ。
例え自分の妻が亡くなっていたとしても、俺の提供で同じ病気の人が助かるのは嬉しいに違いない。
社長は
「そうだ、知っているか? ドナー登録した人が実際に提供までいけるのは、たった二パーセントなんだそうだぞ」
「ええ、そうなんですか?」
「進藤くんはそのたった二パーセントのドナー経験者だ。貴重な体験をしたな」
「……はい!」
そうだ、
家族に反対されて断念する人もいる。
会社が休めず諦める人もいる。
病気や事故や天災等で提供できなくなることもある。
提供が決まっても、
「社長、ありがとうございました!」
「うん? わしはなにもしておらんぞ」
「いいえ、会社の理解やサポートがなければ、提供まではいけませんでした。社長のおかげです」
「いいや、それは違うぞ」
俺の言葉を否定する社長。
どういう事だ? 会社の体制を整えてくれていた社長のおかげもあるに違いないんだが。
社長は笑顔を一転させて、真剣な瞳に変わった。いつもの職場での社長の顔だ。
「うちの会社は特別じゃない、これが普通なんだ」
「え? でも、ドナー休暇なんて取り入れているところは少ないのでは?」
「そうだな。しかしわしは、取り入れていない会社の方が普通でないと考えるね。折角人助けをしようとしている社員がおるというのに、休みを与えようとせん企業なんぞ、普通以下だと思わんか?」
そう言って社長は不敵に笑った。
検査や採血で何度も会社を抜けたり休まないといけないから、引け目を感じる人もいるようだ。
どうして日本はこういう社会になってしまったんだろう。
この社長を見ていると思う。うちの会社は普通だと言い切った社長。
普通に考えて、有給すらまともに取れない会社はおかしいし、骨髄を提供しようとして引け目を感じるのもおかしいんだ。
悪いことをしているんじゃないんだから堂々とすればいいし、休みも取ればいい。それができない会社は、確かに社長の言う通り普通以下なのかもしれない。
「僕は、いい会社に就職できました」
「だから、普通だと言うとるだろうが」
そう言って社長はまた豪快に笑った。でも俺は、本当にいい会社に入れたと思った。ちょっと給料は安いが、それを差し引いても余りあるほどの恵まれた会社に。
その社長が帰ると、俺は窓から空を見上げて
もう骨髄液は、少年の中に入っただろうか。
俺のことは気にしないでくれよ。恵まれた環境で、なんの問題もなく過ごせてる。
骨髄を受け取った君が良くなることを、心から願っているよ。
空に向かって、心の中で君に伝えた。
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