04.説得

 確認検査通過の知らせが来てから、十日が経った。もう十月も五日を過ぎてしまっている。患者レシピエントの移植予定日まで、後二ヶ月しかないというのに、俺はまだ美乃梨を説得できていない。

 一体どう言えばわかってくれるんだろう。美乃梨の俺を思う気持ちは嬉しいけど、こういう時は俺の気持ちも尊重してほしいもんだ。


 今日はどう説得しようかと悩んでいると、コーディネーターの坂下さんから電話が入った。催促の電話かな。どう言おうか。


「もしもし」


 電話を取ると坂下さんは簡単な挨拶の後、穏やかな声でこう言った。


『ドナーさんが他の方に決まりました』


 その言葉を聞いた時、すごくホッとした。他にもドナー候補がいたんだな。

 俺が提供できなかったのは残念だけど、患者が助かるなら誰が提供したって構わない。


「そうですか、ドナーが決まってよかったです」

『進藤さんのコーディネートはこれで終了となります。色々とご協力いただき、本当にありがとうございました』


 坂下さんはこれでもかというほど、お礼を言ってくれた。俺は次の機会があれば、今度こそ協力させてくださいと言って電話を切る。

 ふう、一気に肩の力が抜けたな。でもこれで美乃梨と言い争わないで済むかと思うと正直助かった。今日は美乃梨とゆっくりするか。


 家に帰って、ドナーが別の人に決まったことを伝えると、美乃梨もホッとしたように息を吐いた。


「ね? だから言ったじゃない。晃がやらなくても、他の誰かがやってくれるって」

「まぁ、今回はな」


『誰かがやってくれる』っていう考えでいるのは危険だ。みんながみんな、そんな考えを持ってしまったら、誰もやる人がいなくなってしまう。

 それでなくとも骨髄移植を望む人が年間約二千人なのに対して、実際に移植できている人数は約千二百人という状態だ。

 HLAの型が合わなかったり、ドナーの都合がつかず移植できなかったりということもある。


 ドナーの登録者数を増やさないことには、この問題は解決しないだろう。


 美乃梨みたいに骨髄と脊髄を勘違いしてる人もいて二の足を踏んでいる人もいるだろうし、家族の反対を受けて断念する人もいる。骨髄移植に関する理解が、社会に浸透していないんだ。

 かくいう俺も、適合通知が来るまではさっぱりだったから、人のことは言えないんだが。


 次の機会が訪れるまでに、美乃梨にも理解してもらいたい。これからは少しずつ俺の気持ちを伝えていこう。

 今回は色々と急過ぎたのもあったんだ。結婚してすぐにこういう心づもりでいるということを伝えておくべきだった。それをしなかった俺のミスでもあったな。


 出された夕飯を食べながらテレビを見ていると、大きな玉突き事故があったことが報じられていた。その次のニュースは信号待ちをしていた人達に車が突っ込んだというニュース。次は殺人事件、次は建設現場の事故。

 今こうして普通に過ごしているのが不思議なくらい、常に誰かが何らかの形で亡くなったり怪我をしたりしている。

 俺はそのニュースを横目で見ながら、こうして美乃梨のご飯を食べられることに感謝した。



 ドナーが別の人に決まってから、三日が経った。

 今日も普段通りの一日を過ごし終えた──と思った時。一本の電話が俺の携帯に入る。


「……坂下さん?」


 移植コーディネーターの坂下さんだ。俺のコーディネートは終わったはずなのに、どうしたんだろう。

 不思議に思いながら電話を取ると、もう一度ドナー候補になってくれないかという打診だった。


「もうドナーは決まったんですよね? 別のレシピエントのドナー候補ということですか?」

『いえ、実は……決まっていたはずのドナーの方が、事故に巻き込まれたそうで……最終同意後だったんですが、やむなく辞退ということになってしまったんです』


 事故。それを聞いて、先日の玉突き事故の映像が頭を掠める。

 実際はなんの事故なのかはわからないけど、今の世の中なにが起こってもおかしくはない。


「わかりました。でも前にお伝えした通り、妻には反対されているのでどうなるかはわかりませんが……」

『はい、無理には言いませんし、遠慮なく断ってくださって結構です。もしも奥様の疑問に答えるために私も同席してほしいというのであれば、いつでもお伺いしますのでおっしゃってくださいね』

「もしかしたらお願いするかもしれないです。その時にはよろしくお願いします」


 思ったよりも随分早く〝次の機会〟が巡ってきたな。

 この患者レシピエントの型に合う人は少ないのかもしれない。提供者ドナー候補はもう俺しかいないってことも考えられるな。本当のところはわからないけど、なんとなくそんな気がした。



 この事を美乃梨に告げると、『またか』といった表情で溜め息を吐かれてしまう。まぁ気持ちはわからなくはないんだが。


「もう。この話は終わったと思ってたのに……」

「美乃梨、頼むからちゃんと話し合ってほしい」


 美乃梨は嫌そうな顔をしつつも、席についてくれた。じっくり話し合う、の意味だ。

 美乃梨は気だるそうな態度をとりながらも、目は真っ直ぐ俺に向けてくれる。


「私はね、なにも意地悪でドナーになるなって言ってるんじゃないのよ」

「わかってるよ。俺の体のことを考えてくれてるんだろ?」

「体もそうだけど、心もね」

「心?」


 予想外の言葉が出てきて、俺は首を捻らせる。

 心? 骨髄を提供するだけで、どうして心が心配されるんだ?


「あのね、晃。抗がん剤治療だけで治らず骨髄移植を必要としている人の何割かは、移植後に亡くなっているのよ? レシピエントが晃の骨髄を移植して、もし亡くなったら……平気でいられる?」

「……それは……」


 移植の成功率というのはまちまちだ。患者レシピエントの病気にもよるし、症状にもよる。

 場合によっては成功率十パーセントでも強行する人もいるし、成功率九十パーセント近い人もいる。患者レシピエントの成功率がどれくらいなのかは、提供者ドナーには知らされない。

 確かに俺の骨髄液が合わなかったりしたら、亡くなってしまう可能性もあるんだろう。


「でもレシピエントが望んでるんだったら、俺は提供したいと思う」

「患者さんが亡くなっても、平気なの?」

「それは、その時になってみなきゃわからないよ。っていうか、レシピエントが亡くなったかどうかなんて、ドナーには知らされないだろ? 成功したかどうかも知らされないんだから」


 俺の言葉に、また美乃梨は息を吐いた。


「一年以内に二往復の手紙がやりとりできるでしょ。もし亡くなったら……患者のご家族さんが手紙に書いて伝えてくることもあるそうよ」

「え、本当か?」

「その人によるでしょうけどね。手紙のやりとりだって、もし相手からなにも送られて来なかったらどう? 元気になってても、面倒臭がり屋で手紙なんか出さない人だったりしたら? もしかして亡くなったんだろうかって、晃は悩んじゃうでしょ、性格的に」


 確かに、なんの連絡もなかったりしたら気にしてしまうかもしれない。

 患者レシピエントの家族から亡くなったって連絡が来るのも……キツイ。

 でも、やっぱり提供できるのになにもせず断ったら、そっちの方が後悔しそうだ。

 一生、あの時の患者レシピエントはどうなったんだろうってモヤモヤすることになると思う。


「確かに気にして悩むかもしれないけど、それはしょうがないって切り替えられるようにするよ。生活にまで支障はきたさない。俺が提供するってことの方が大事なんだ。レシピエントのためにというより、俺自身のために」

「晃自身のため……?」

「このまま提供せずに終わったら、俺が気持ち悪いんだよ。提供してしまった方が、多分スッキリすると思う」


 そう、もうこれは俺の気持ちの問題なんだ。

 患者レシピエントを助けたいって気持ちはもちろんあるけど、それ以上に俺自身が胸を張って生きたいがための行動でもある。

 大した理由もないのに断る罪悪感。これをずっと抱えて生きていくなんて、とんでもない。


「じゃあ、その患者に晃が骨髄を提供したとして、その人がとんでもない悪者だったらどうするの」

「はあ? そこまで気にするか?」

「するわよ。いい? 骨髄を提供するってことは、その患者の血液はあなたと同じDNAになるのよ。その患者が完治後に犯罪をしないという保証はないでしょ。その際に血を流すようなことがあって、DNAを調べられたりしたら、晃が疑われちゃうじゃない!」

「美乃梨……ミステリー小説の読み過ぎだろ」

「なによ、絶対にあり得ない話じゃないでしょ?」


 限りなくゼロに近い、ほとんど妄想みたいな話で反対されてもなぁ。

 もうちょっと現実を見てほしい。


「レシピエントがどんな人かわからない以上、そんなことを考えるのは無意味だろ。確実に言えるのは、俺が提供することで病気が治る可能性があるってだけだ」

「亡くなる可能性もあるけどね」

「わかってるよ。でもレシピエントはその可能性もわかってて、それでも移植を望んでるんだ。だからそれに応えるのが、ドナーなんだと思う」


 正直に言ってしまえば、自分の骨髄のせいで亡くなってしまったらと思うと怖い。

 こっちが手紙を送って、もしなんの反応もなかったら嫌な想像をしてしまうだろう。

 それでもいいってわけじゃない。それ以上に、提供しないという選択をしたくないだけ。


「どういう結果になっても、俺は提供したことに後悔はしない。なにもしない方が、絶対に後悔するから」


 俺が真剣に訴えると、美乃梨は少しだけ困ったように笑って。


「わかった」


 と一言漏らしてくれた。

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