第22話 初恋の終わり

 木々が葉を落とし冬空が広がる休日。

 マリラがお茶を淹れてケーキと一緒に部屋へ運ぶと、ルアーナはアロ美容液を作っていた。

 声をかけて二人でお茶にし、ルアーナに手紙を渡した。マーレから月にいちどの定期便である。


「旦那さまはなんと?」

「いつもどおりよ。マーレのみんなは元気だとか、こっちは変わりないかとか、あとレシピはできそうかとか……」


 ロンバルディ商会で扱っているアロ美容液は、アロアロの実が原料で、ルアーナが作った原液を精製水で薄めて販売している。

 原液のレシピはなく、ルアーナしか作れないため流通量はごくかぎられている。


 ルアーナは勉強の合間に美容液作りもしなければならなかった。魔力を消費するので実技授業のある日はきつそうだが、ロンバルディ商会の在庫もだんだんとすくなくなっているのだ。


 現在ロンバルディ商会はパッツィ領のみで運営している。

 しかしバカンスでマーレを訪れたボナパルド侯爵夫人が、ルアーナの作るアロ美容液をたいそうお気に召し、王都での販売をすすめてくれた。もしアロ美容液を王都で販売するとなると、今の三倍は在庫が必要となるだろう。


 主がレシピを急ぐのも分かる。分かるのだが……。


「お父さまはロンバルディ商会の王都進出を狙っているのかしら?」

「どうでしょう。マーレとはずいぶん離れていますし……」


 両方の面倒を見るのは難しいだろう。よほど信頼のおける人間を雇う必要がある。

 それに王都の商業組合やほかの商会への根回しも必要になる。一朝一夕にできることではない。


 だが。


「あの旦那さまのことです。やるとなったら、たちまちやってしまいますわ」


 いつもはのほほんとした親バカにしか見えないが、こと商売に関してファビオには天性のものがあった。彼がいいと思えば必ず売れ、人は自然と彼に引き寄せられる。


 まるで見えない力に導かれるがごとく商会を大きくしてきた。


「私もそう思うけど、魔導術式レシピは専門教科だから、二年生になるまで無理なのよね」

「さようですか。それは残念でございますね」

「ええ。でも、最近は勉強が楽しくって」

「それはようございました。お嬢さまが勉強に集中できるよう、マリラもお支えします」

「いつもありがとう」


 ルアーナが勉強に熱中している理由は分かっている。

 アンジェロが正式に婚約したというはなしはマリラの耳にも届いていた。


 あのときのように、ルアーナがふたたび部屋に閉じこもってしまうのではと心配していた。しかし夜会の翌日も彼女は何事もなかったように朝食を食べた。学院にも休まず通っている。


 あれから一週間、ルアーナの心の内をどう推し量るべきかはかりかねていた。

 そんなマリラの心の機微を察したのか、ルアーナは穏やかにはなしはじめる。


「ねえマリラ。私このあいだ領主さまにあったの」

「どちらで?」

「夜会よ。それでね、おかしなことを言われたわ」


 イヤな予感がした。

 頭のなかで警告音が鳴り響く。


「おかしなことでございますか?」

「ええ。アンジェロさまが私と恋人だった二年間に意味があったんですって。その言い方がまるで……」

「まるで……?」


 マリラは固唾をのんで見守った。

 ルアーナがふっと表情を緩める。


「マリラも知っていたのね」


 そう言われて観念した。


「……申し訳ございません」

「いつから?」

「お嬢さまが……グラーヴェ魔導学院に合格したときに旦那さまよりうかがいました。お嬢さまの身を心配して、領主さまにお嬢さまの保護をお願いした。と」


 バカンス中の貴族がルアーナを気に入ってもらい受けようとしたことがあった。

 リゾート地のパッツィ領ではそう珍しいことでもない。優雅な生活に憧れた田舎娘が自ら貴族に近づくこともある。


 そしてロンバルディ夫妻は、愛娘を守るために領主であるパッツィ男爵へ相談した。二人の交際はその結果の苦肉の策だった。


 アンジェロは承知のうえで領主の命令に従った。その際、ルアーナには手をだすなと領主よりきつく言い渡されていたらしい。


 湖での終わらせかたこそヒドかったが、誠実という意味ではアンジェロを評価してもいい。

 だからルアーナが王都へいくと言いだしたとき、焦ったのはロンバルディ夫妻のほうである。


「そう。それなら納得だわ。正真正銘アンジェロさまは私の騎士ナイトだったってことよ」


 ルアーナの笑顔が胸に突き刺さる。

 こんな顔をさせたくなくて黙っていたはずなのに、と己の不甲斐なさを痛感する。


「騙すようなまねをして申し訳ございませんでした」

「マリラは悪くないわ。それに……それほど落ちこんでいないのよ」


 ルアーナは夜会でのアンジェロとのやりとりを語って聞かせてくれた。


 前言撤回。

 あんな男は地獄へ落ちてしまえばいい。なんならこの手で突き落としたっていい。


 ルアーナを守った二年の対価は今回のお見合いの資金となっているはずだ。でなければ、田舎男爵の三男坊と伯爵令嬢の縁談がまとまるはずもない。大人の事情というものだ。


 ――それを、あのぼんくら三男坊めッ!


 大事なお嬢さまを愛人とは、どの口が言う。


「マリラ、顔が怖いわよ」

「お嬢さまはもっと怒ってもよろしいかと」

「不思議だけれど、彼に『愛してる』と言われても全然嬉しくなかったのよ。だってあれは私を認めてくれたんじゃないもの。それより授業で褒められたときのほうがずっと最高の気分だわ」

「そうですか。それはよろしゅうございました」

「百年の恋も一時に冷めるってああいうことなのね」


 ルアーナは「だから初恋は終わったの」と小さな声で告げた。

 無理して笑うルアーナの震える手をマリラはそっと握った。


「お嬢さま、まえにマリラが言ったことを覚えていらっしゃいますか?」


 ルアーナはきょとんとした顔で見かえす。


「王都で新たな出会いの予感がする、と申しました」

「そういえば……そんなことを言ってたわね」

「アンジェロさまのことは残念ですが、お嬢さまがひとつ大人になったことは間違いありませんわ」

「でしょうね。自分で言うのもなんだけど、私ひと皮むけた気がするわ」


 ルアーナが得意げに胸をはる。

 いつもの調子が戻ってきたようでなにより。


「ええ。ですからこれからも人との関りを恐れず、お嬢さまらしくいらしてください」

「もちろんよ。そのためにももっとがんばらないと。認めてもらいたい人がたくさんいるの」


 ようやく大輪の花がほころぶような笑顔が見られてほっとする。


「ですが、あまり根を詰めすぎないでくださいませ」


 マリラは注意するのも忘れなかった。ルアーナのそれがカラ元気であることは分かっている。


 あと半月で今年も終わる。

 大掃除とともにルアーナの傷心も掃いて捨ててしまえればいいのに。そして新たな年を期待とともに迎えて欲しい。

 そう願わずにはいられないマリラだった。

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