第21話 夜会②

 どうしよう。会場にはさっきの男たちがいる。もうあそこには戻りたくない。

 どうにかして男たちに会わずにフランチェスカにあいさつする方法はないものか。


「あの、会場へいくのは困ります……恥ずかしながらダンスは不得手で……」

「ダンス?」

「踊るの?」


 双子は口をそろえる。

 傾げる小首の角度までみごとにシンクロする。


「ダンスなんて断ればいいのよ」

「でもさっき……」

「社交場に慣れていない令嬢をカモにする常套手段ね」


 うしろを歩いていた縦ロールが口をはさむ。

 双子は顔を見あわせると合点がいったようすで「ああ」とうなずく。


「個室に連れこんで、酒を飲ませて、自由を奪って――ねえ?」

「でも、名家のご子息と親密になりたいご令嬢もいらっしゃるから、ねえ?」


 双子はそろってルアーナを見る。


「わ、私はそんなこと思っておりませんよ?」

「あら。アンジェロさまはもうよろしいのかしら?」

「あら。アンジェロさまはもう婚約なさったのよ?」

「え……?」


 ――今なんて言ったの?


「アンジェロさまが、婚約!? 相手は……?」


 祈るような気持ちで双子を見つめる。だって、お見合いは社交シーズンがはじまってからが本番なんでしょう?

 しかし双子は楽しそうに笑うだけでなにも答えてはくれない。

 ルアーナの顔から血の気が引いていく。


「もちろんあなたもお二人を祝福するでしょう? クラスメイトですもの、ねえ」

「まさか婚約発表に呼ばれてあいさつもせずに帰るなんて言わないでしょう? ねえ」


 彼女たちの言うとおり、夜会の主にあいさつもなく帰る、などという無作法はできない。もしかしたらなにかの間違いかもしれない、という一縷の望みを捨てきれないのも本音。


 引きずられるようにして夜会に戻ると、オーケストラの演奏は止み、招待客は前方を注目していた。

 つられてルアーナも視線をやる。

 アンジェロにエスコートされるフランチェスカの姿が嫌でも目にはいった。その脇にはパッツィ領の主、パッツィ男爵の姿もある。


「今夜みなさまのまえで、私の娘フランチェスカの婚約を発表できたことを心より嬉しく思う――」


 高らかに述べるいかめしい顔のナイスガイは、バルベリーニ伯爵か。


 ――ああ、やっぱり。


 夜会の招待は自分を認めてくれたからではなかった。アンジェロとの婚約を見せつけるためにここへ呼んだのだ。

 ルアーナはひざから崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。


 そこからは、どうやって彼らにあいさつしたのか覚えていない。

 ただ、ルアーナを見たアンジェロが、ひどく気まずそうな顔をしたことだけはうっすらと頭に残った。


 いつの間にか金髪三人娘ともはぐれてしまった。

 ルアーナは暗澹あんたんたる気持ちでひとりコテージへでる。

 だれとも話す気にはなれない。ころあいを見はからって帰るまで、ここで時間が過ぎるのを待とう。


 どれくらい時間が経ったのか、ルアーナが隠れるコテージにふらりとアンジェロがやってきた。祝杯を飲まされたのだろう、ほんのりと顔が赤い。

 ルアーナに気づいた彼に声をかけられる。


「やあ、ルアーナ。こんなところでどうした?」

「……月が綺麗なので眺めておりました」

「ほんとうだ――」


 そう言いながら、アンジェロの視線はルアーナにむいている。


「――やはり君は月の女神だ」


 その言葉に記憶がよみがえる。

 そうだ。この人はあの湖でもおなじ顔をしていた。


「そろそろお暇させていただきますわ。婚約したかたが、ほかの女と二人きりではよろしくありませんもの」

「そうだな。だが政略結婚だとだれもが知っている」

「でしたらなおのこと、相手に尊敬と慈愛を……」

「怒っているのか?」


 ――怒る?


 はたしてそうなのか。たしかに驚いたし、ショックも受けた。でもこの気持ちは――?


「私が怒るのは筋違いというものですわ」

「よかった。君とはこんなことでこじれたくないんだ」

「こんなこと?」

「ああ、だってそうだろ? 家のための婚姻は貴族にとって義務さ。だけど心はもっと自由にあるべきだろ」


 なにを言っているのか、さっぱり分からない。


「あの、アンジェロさま。理解が及ばず申し訳ありませんが……」

「分からない?」


 ルアーナは小さくうなずく。

 アンジェロが熱いまなざしをむける。ルアーナの顎に指を添えるとそっと持ちあげた。


「ルアーナ、君は美しい。王都にくると決めたとき、この想いは捨てたつもりだったが、俺は君に傍にいてほしい」

「それは……」

「愛してる」


 いくら貴族の政略結婚といえども、婚約したその日になにを言うのか。しかも相手は伯爵家でありクラスメイトでもある、フランチェスカ嬢である。

 震える唇を閉じ、ルアーナは一歩うしろへさがる。


「卒業したら君はマーレに帰るだろう? 俺は宮廷魔導士になる。だが領地に帰ったときには君に迎えてほしい……だから、仲直りしよう」


 アンジェロは両手を広げて抱きしめようとする。ルアーナはさらに一歩さがってそれをかわした。

 自分の耳を疑った。


 ――愛人になれって言うの?


 貴族が側室や愛人を持つことは珍しくない。しかしルアーナが王都まできたのは彼の愛人になるためではない。オンリーワンの相手として愛されるためだ。


 結局、あの湖のデートからなにも変わっていなかった。彼はどこまでも貴族で、ルアーナの上っ面しか見ていない。


 まさに夢から覚めたような気分だった。あれほどまでに焦がれたアンジェロの「愛」がまったく嬉しくない。


「私、やっぱり帰ったほうがいいみたい……」


 ルアーナはアンジェロをふりきって会場をでた。

 湖のときよりひどい気分だった。もう時間など気にせず今すぐにでも帰りたい。


 重い足どりでとぼとぼと歩いていくと、廊下の先によく見知った顔が立っていた。ルアーナはとっさにおじぎをして礼を尽くす。


 アンジェロの父、パッツィ男爵だ。


「久しぶりだね、ルアーナ」

「領主さま。このたびはアンジェロさまのご婚約、心よりお祝い申し上げます」

「うむ、私もようやく肩の荷がおりたよ。あとはあの子が宮廷魔導士になるのを待って結婚だ」


 パッツィ男爵の「結婚」という言葉にどきりとする。

 あの二人が夫婦になる。それも早ければグラーヴェ魔導学院を卒業して数年以内に。


「アンジェロさまなら大成されますわ」

「そうだな……。ところでルアーナ。君がグラーヴェ魔導学院に通うのは――」


 ああそうか、と得心した。

 どうしてわざわざこんなところに、と不思議だったのだ。

 領主として、探りをいれにきたのだ。そして「夢を見るな」と釘を刺しにきた。

 もしかしたら、コテージでのやりとりも聞いていたかもしれない。


「はい。ロンバルディ商会の新たな事業のために、魔導術式レシピを学びにまいりました」

「そうか。君を守った二年も意味があったな」

「意味でございますか?」

「あ……ああ。商会の繁栄は領地になくてはならんという意味がな」

「恐れ入ります……?」

「君はすばらしい子だ。グラーヴェ魔導学院は貴族でも入学が難しい。領主として私も鼻が高いよ」

「ご期待にそえるよう精進いたします」

「引き留めてしまって悪かったね。今夜はもう帰りなさい。馬車は私が呼んであげよう」

「はい。お心遣い感謝いたします」


 まだ帰る時間ではないが、男爵が「帰れ」と言うなら大手を振って帰れるというものだ。


 ゴトゴトと揺れる馬車にひとりになると、ルアーナはようやくひと息つくことができた。

 アパートに帰りマリラにドレスを脱がせてもらうと、放心したようにベッドに倒れこんだ。


 なんと長い夜だっただろう。そして疲れた。

 慣れないドレスを着た体もさることながら、精神的なダメージが大きすぎる。


 目をつむっていても頭が勝手に今夜の出来事を反芻する。幾度も幾度も胸を刺されるように痛かった。


 だが不思議なことに、どんなにつらく悲しくても涙はひと粒も零れない。

 ただ静かに、心の一部がゆっくりと溶けてなくなっていくのを、つつ闇のなかで感じていた。


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