第20話 夜会①

 チャイムとともに教室にはいってきた、魔術学のニコレ・グリエーコ教授は言った。


「さて、私が貴方たちに問うたときから三か月が経ちますね。そろそろ考えはまとまったかしら?」


 彼女の言う〈問い〉とはもちろん、


『魔導士としていちばん大切なのは〈正義〉〈魔力〉〈知識〉の三つのうちどれでしょう?』


 という最初の授業でのことだろう。

 教室には「三か月」という重い空気が流れる。ニコレ教授は嘆息した。


「考えている最中の人もいるでしょうが、どなたか意見はありますか?」


 すっと手があがった。

 ルアーナの目のまえである。


「ではそこのあなた」

「フランチェスカ・バルベリーニですわ。私は〈魔力〉こそ魔導士にいちばん重要だと考えます」

「理由は?」

「魔導士とは〈魔力〉を扱う者。〈正義〉や〈知識〉は魔力を持たずとも得られますもの。もちろんその二つが不要とは申しませんが、優先順位をつけるなら〈魔力〉だと答えますわ」

「よろしい。ほかには?」


 教室を見渡す教授と目を伏せる生徒。

 ルアーナはおずおずと手をあげた。教室じゅうの注目が集まる。


「私は〈知識〉……だと思います」


 まわりの圧にだんだん声が小さくなる。


「つづけなさい」

「私、じつは魔導術式レシピが描けません。なので、今の私には〈知識〉が必要なのだと思います。でも『いちばん大切なもの』と言われると、まだ分かりませんが……」

「正直な意見ね。今の段階ではそれで十分でしょう」


 ニコレ教授の言葉にほっとする。


 ――私やれてる。ちゃんと授業に参加できてる!


 最近なんだか調子がいい。

 授業にもついていけるようになったし、以前のように息苦しくない。

 言い渡される〈レポート三十枚〉はまだつづいている。それもニコレ教授から愛のムチだと思いはじめている。


 うしろをむいていたアンジェロと目があって微笑みあう。すべてが順調にいっている。


 今日こそエドアルドに報告しようと喜び勇んで図書館へ向かう。しかしこの日も彼の姿はなかった。もう十日以上彼の顔を見ていない。


 ――忙しいのかしら?


 考えてからふと気づく。グラーヴェ魔導学院の生徒ではないということ以外、彼についてなにも知らない。


 ベリンダあたりに聞けば教えてくれそうだが、本人のいないところで話題にするのは気が引ける。

 本人がはなしてくれるまで待とう、などとカッコつけてみたが、あの迷惑そうな顔を考えると望みは薄そうだ。

 思いきって本人聞いてみようか――いや、世のなかには知らないほうがいいこともある。


 うだうだと考えながら閉館時間までねばったが、やはりエドアルドはあらわれなかった。


 諦めて談話室をでると、フランチェスカとクラスメイトが数人はなしをしていた。こちらに気づいたフランチェスカがその輪からはなれてやってくる。身構えたルアーナに伯爵令嬢は笑いかける。


「週末に夜会があるのだけど、あなたもいらして」

「夜会ですか?」

「ええ。社交シーズンのはじまりに親睦もかねて。いかがかしら?」

「フランチェスカさまの夜会に誘われるなんて光栄です。喜んでおうかがいさせていただきます」

「気軽なものだから、気負わなくてよくてよ。ただしドレスは着ていらしてね」

「ええ、必ず」


 とうとうフランチェスカが認めてくれた。

 夜会に招待するとはそういうことだ。


 ルアーナは喜びに胸を震わせて家に帰った。王都へくるとき両親が仕立ててくれた、夜会用のドレスをマリラに準備してもらう。


 胸元と背中が大きく開いている紫がかった淡い桃色のサテンドレス。レースでできたドレープを右肩のビジューでとめてある。下はふわりとしたAラインシルエットで年相応の可愛らしさを演出した。イヤリングとネックレスは揃いのものをつける。フランチェスカに親愛をこめてアクアマリンを選んだ。


「本当にエスコートもなしに大丈夫でございますか?」

「気軽にとおっしゃってくださったわ」

「お嬢さま、くれぐれもお気をつけくださいませ」

「まーた、マリラの心配性がはじまったわね」


 馬車を呼んでむかった先は、バルベリーニ伯爵家の別邸。

 入口ではやはりというかなんというか、不躾な視線で上から下までじろじろと見られる。もうお約束すぎてこの扱いにも慣れた。


 ようやく会場にはいるなりルアーナはあっけにとられた。そこにはとても「気軽なもの」とはいえない光景が広がっていた。室内の装飾も、演奏するオーケストラも、そこで踊る人々も、なにもかもがケタ違いに豪華である。


 ホスト役のフランチェスカはまだ姿をあらわしていなかった。ルアーナは会場の隅でしばらくようすを見ていた。


 目のまえでは華やかな社交が繰りひろげられている。美しいおじぎからはじまり自己紹介へつづく。その後手に手をとってダンスフロアにむかってゆく。白いドレスの彼女たちはデビュタントだろうか。


 ちらほらと知った顔も見える。

 いつもはつましいローブを纏う彼らも、夜会となれば豪奢に着飾って優雅に踊る。


 ――住む世界が違うのだわ。


 分かっていたこととはいえ、あまりの違いに夢のなかにでもいるように感じる。

 心を奪われて見入るルアーナに、金髪の派手な身なりをした男が近づいてきた。


「美しい尻軽女レディ・ローザ、僕と一曲踊っていただけませんか」


 恭しく頭をさげたポーズとは裏腹に、言葉にはトゲがある。


「も、申し訳ありません。私……」

「おや、パートナーのお許しがいるのかな?」

「い、いえ、そんな」

「では、僕ではご不満というわけですか」

「まさか……」

、エスコートなしに夜会に参加したご令嬢が、僕の誘いを断るなんてことはしないでしょう?」


 どう見ても場慣れしている男の言葉に、ルアーナは背筋が凍った。

 グラーヴェ魔導学院ならともかく、ここは貴族のルールだけで動いている社交場なのだ。不敬であると言われたら、田舎娘などどうとでもなる。


「おいよせよ。デビュタントより震えちゃってるじゃないか」

「ダンスがダメなら酒につきあってもらえよ。あっちに個室がある」


 ねっとりとした視線をむけられ、恐ろしくなったルアーナは「ご容赦ください」と頭をさげた。げらげら笑う声に、逃げるように会場をでる。


 貴族の男はいつもこうだ。女は自分たちの玩具おもちゃだとでも思っているのだ。ため息をつきながら、どうやって目立たずやり過ごそうか頭をめぐらせる。


 そのときである。


「どうしてあなたがここにいるの?」


 ルアーナは頭を抱えたくなった。

 金髪三人娘である。


「フランチェスカさまにご招待いただいてまいりました」

「へえ……そう」

「さすがフランチェスカさまね」


 双子が嬉しそうに笑う。縦ロールだけはなんともいえない表情をしている。

 まだ、公開訓練のときのことを気にしているのだ。そんなに心配しなくても告げ口なんてしないのに。


「そろそろフランチェスカさまにあいさつしてお暇しようと……」

「あら、ダメよそんなの」

「ええ、ダメねそんなの」

「え?」

「まだはじまったばかりじゃない、ねえ」

「まだゆっくりしていけばいいじゃない、ねえ」


 そう言って両脇から双子に掴まれ、近くの部屋に連れられていく。そのままソファに座らされると、縦ロールがドアに鍵をかけてしまった。


「ちょっ……お待ちくださいませ」


 せっかく男たちから逃れたというのに、これではさっきと変わらない。

 それにいつもルアーナを目の敵にしている三人が、こうも絡んでくる理由に心当たりもない。

 すると、縦ロールがおもむろにきりだした。


「あなた、〈進路希望〉に〈魔導騎士クラス〉と書いたんですって?」

「ええ? なんで……」

「しらばっくれても無駄よ。見た人がいるんだから」

「身の程知らずよ、ねえ」

「身の程知らずだわ、ねえ」


 そんなことは自分がいちばんよく分かっている。分かってはいるが、人から指摘されると傷つく――否、腹が立つ。


「ルッソ教授は期待しているとおっしゃってくださったわ」

「あらあら」

「あらあらあら」

「そんなことを真に受けるなんて、平民はずいぶん平和な世界にいらっしゃるのね」

「どういう意味でしょうか?」


 ルアーナは歯を食いしばって三人を睨む。

 魔力の少ない自分が魔導騎士になれるとは思っていない。しかし、それでも背中を押してくれた教授を否定するのは許せない。


 縦ロールがルアーナのまえにつかつかと歩み寄る。仁王立ちし、憐れみをはらんだ目で見下ろす。


「早いところ諦めたほうが身のためですわ」


 ――え?


 なにかは分からないが、彼女の言葉に違うものを感じ戸惑う。はっきりさせようと口を開きかけたところで、柱の時計が鳴った。


「そろそろじゃないかしら」

「そろそろだと思うわ」


 双子は楽しそうに言うと、ふたたびルアーナの腕を両方から掴んで引きずる。

 縦ロールがドアのカギを開ける。意地の悪い笑みを口端に浮かべている。


「さあ、今日のメインイベントですわ」

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