第15話 必要なこと

 マリラの助けもあって、ルアーナは基礎魔術のレポートをどうにか完成させた。

 ニコレ教授はそれを眉一本動かさず受けとる。


「ニコレ教授、先日おっしゃっていた魔導士にいちばん大切なものとは、〈知識〉とお考えでしょうか?」


 だから自分にこんなことをさせるのか。

 ルアーナが訊くと、教授のメガネがキラリと光った。


「私の考えを読めと言った覚えはありませんよ。自分で考えなさいと言ったはずです」

「あ、……失礼いたしました」

「よろしい。来週までに魔術歴についてのレポートを三十枚、提出すること」


 ルアーナは黙ってうなずいた。



 図書館の談話室にいくと、先日とおなじ席にエドアルドがいた。ルアーナはむかいの席へ静かに腰をおろす。

 一瞬、「イヤだよ」という彼の言葉を思いだしたが、そんなことで目くじらを立てる人でないことはすでに知っている。


 れいの図書館員がルアーナに気づいて渋い顔をした。

 離れた席ではフランチェスカがこちらを睨んでいる。おなじ机にはアンジェロもいて、彼女にバレないように小さく手を振ってくれた。


 ルアーナは教科書を広げながら、むかいのエドアルドをそっとうかがう。


 前髪が伸びていて表情は見えない。彼の動きにあわせてときおりのぞく瞳は、髪とおなじ銀色の長い睫毛に縁どられている。肌はこれまで見たどの男よりも白く、細く長い指を見るかぎり剣を握ったことはなさそうだ。インクで染まった手元の羽ペンからは美しく難解な文字が紡ぎだされている。


 そのうえはっきりと〈近づくなオーラ〉をはなっている。


 これなら人が寄りつかないのも分かる。先日のルアーナは、仲間外れにされたショックで空気が読めていなかっただけ。


 エドアルドはルアーナに気づくようすもない。

 古時計が五回鳴って彼が席を立つ。ルアーナに気づいたはずなのに目もくれずでていく。慌てて追いかけて、このまえとおなじ角を曲がったところではなしかけた。


「先日は誠にありがとうございました」

「あそこに座るのは……」

「おかげさまで魔導書も無事に買うことができましたわ」

「人のはなしを……」

「ぜひ、お礼をさせてくださいませ!」


 ルアーナが力強くまえへ踏みだすと、エドアルドは顔を引きつらせてあとずさった。


 あのときの彼はまさに救世主だった。

 慣れない王都で理不尽な扱いをされ、マーレに逃げ帰る寸前のところを救われた。どこに住んでいるかは知らないが、足をむけて寝られない。


 お礼をしなければ気がすまない。


「ほっといてくれ」

「そんなわけにはまいりませんわ」

「いや、ほんとに……」


 しかしてエドアルドは、群青色のローブをひるがえして森のなかへ逃げていってしまった。



 次の日、ルアーナはエドアルドの指定席で宿題をしていた。

 知らず談話室へきた彼は、自分の席に座るルアーナを見て固まり、しばらくして諦めたのかおとなしくむかいの席に座った。


 閉館時間が迫るころ、ルアーナは走り書きを渡して先に席を立った。


 図書館の裏庭にあるベンチで待っていると、しばらくしてレンガのむこうからエドアルドがやってくる。

 大きく手を振ると、フードを目深に被ったエドアルドがあたりを警戒しながら近づいてきた。


「エドアルドさま、こちらお礼の品です」


 ルアーナは黄色い実をつけた鉢植えを差しだした。

 笑顔の彼女とは対照的に、エドアルドは渋面のまま黙っている。ルアーナはかまわず鉢植えを彼のほうへ押しやる。


檸檬リモーネでございます。マーレの特産品なんですよ。エドアルドさまにピッタリだと思いまして」

「……いらない」

「そうおっしゃらずに」

「植物の世話なんてできない」


 エドアルドが鉢植えを押しかえすと、二人のあいだに檸檬リモーネの甘酸っぱい香りが漂う。鼻をすんすんさせるエドアルド。

 そのようすを見たルアーナは強引に鉢植えを押しつけた。


檸檬リモーネの香りにはリフレッシュ効果がございます」

「いや、いらないって」

「遠慮なさらず」

「遠慮じゃない」

「今っている果実だけでもお楽しみくださいませ」

「だから、人のはなしを……」


 鉢植えを抱えて呆然とするエドアルドをひとり残し、ルアーナはその場をあとにした。


 それから毎日のように図書館へ通ってはエドアルドを探した。彼はやっぱりおなじ席にいて、心底イヤそうな顔をしながらも追い払うことはしない。

 味を占めたルアーナは、彼がいないときでもそこで宿題をすませて帰るようになった。


 そんなことが一か月もつづくと、すこしずつだがはなしをするようになった。


「ここは平民に優しくないんです」

「ああ」

「私はみんなと仲良くしたいだけなのに」

「うん」


 はなしをするといっても、ルアーナが一方的にしゃべるのをエドアルドは聞いているだけだ。いや、もしかしたら隣にいるだけで聞いてもいないかもしれない。

 本を読みながら生返事する彼に、ルアーナは口をとがらせる。


「授業もそうなんです。光の速さですすんでゆくのです」

「うん」

「おまけに、ニコレ教授は私にだけ山ほど宿題をだしてイジワルするのです」

「うん」

「人のはなしを聞いているフリをする人もいるのです」


 ちらりと横を見ると、彼はパタンと本を閉じた。

 透きとおった青い瞳に見つめられて、なぜか居心地が悪くなる。


「幼いころから家庭教師に習っているから基礎は終わっているんだ」

「へ、へえ……?」

「領地運営の補佐をしながら、宮廷魔導士を夢見て日々鍛錬してる」

「なんのおはなし……?」

「貴族だって、ただふんぞり返ってるだけじゃないというはなし」

「だからって、平民をバカにしていい道理にはなりませんわ」

「じゃあ、平民だから自分にあわせてくれっていうのが君の道理?」

「それは……」

「彼らは本当に〈平民〉だからないがしろにするのかな? 僕には〈平民〉を言いわけにしているのは君に見える」

「そんなこと……」


 ないと言えるだろうか。


 いやしかし、仕方がないではないか。アンジェロにフラれたのは〈家柄〉のせいで、理不尽な扱いを受けるのは〈平民〉だからだ。


「それと、魔術学のニコレ教授は君とおなじ平民出身だ。博士の称号を得るまでにかなり時間がかかった」


 エドアルドの言葉にはあまり感情が乗らない。淡々と事実だけが述べられ、ルアーナは勢いを削がれる。


「それじゃあ、教授は私のことを思って厳しくしてくださってるの?」

「……さあ」

「さあ?」

「僕にニコレ教授の意図は分からないよ」

「エドアルドさま……。そこは嘘でも『そうだよ』とおっしゃるところですわ」


 ――そういう人よね。


 気づけば、すでにあたりは薄暗くなっていた。

 そろそろ帰ろうかとベンチから立ちあがると、エドアルドがぼそぼそ言った。


「実技の授業には魔晶石を持っていくといい」

「え?」

「ルッソ教授の口癖は『魔導士には備えが必要』だから」

「魔晶石?」

「うん。入学試験で送らなかった?」

「そういえば、そんな石があったような……」


 そうだ。

 二次試験で魔力をこめて送った、あの石を〈魔晶石〉といった気がする。


「そのようすだと、魔力も溜めてないみたいだね」

「残念ながら……。それも貴族ならあたりまえというわけですね」


 魔導士が最も恐れるのは魔力ぎれである。それゆえ、いざというときのために普段から魔晶石に魔力を溜めておく。それが魔導士の鉄則。


 ルッソ教授の授業でもそれは必須アイテムで、持ってこない生徒がいると連帯責任としてクラス全体の評価をさげるらしい。


 ――あぶなかった。


 知らずにいたら、今度こそなにをされるか分からない。


「エドアルドさま。助言、感謝いたします」


 貴族のことも魔晶石のことも。


「べつに……」


 魔導士を目指す理由が「アンジェロの愛をとり戻したい」なんて、くだらないと思うかもしれない。

 それでもルアーナにとっては十分にがんばる理由だ。


『環境が不利ならば、そのぶんほかの人以上に努力する必要がある』


 ニコレ教授に最初に言われたことである。

 まわりに惑わされず、自分のやるべきことに集中する。

 それこそが今のルアーナに必要なことだと心にストンと落ちた。

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