第13話 二つの出会い①

 学校に通うだけで、こんなにも息苦しいなんて思いもしなかった。

 本を抱えて立ちあがると、むかいの席から声がした。


「べつに……でていけなんて言ってない」


 ルアーナは驚いてまじまじとむかいの席を見た。


 銀髪の青年だった。グラーヴェ魔導学院の制服ではない。外部の人間だろうか。


 本を開き、一心不乱にノートに書きつけているから顔は見えない。かろうじて魔導士だと分かる群青色のローブは、袖元がインクで汚れてしまっている。頓着しない性格なのだろうが、元は相当に上質なものであることはひと目で分かる。


 まったくこちらを見ない。が、さっきの言葉は間違いなくこの青年が発したものだ。


 彼の許しを得て、ルアーナはふたたび腰をおろし宿題をはじめようと教科書を広げた。

 そのとき机に影が落ちた。横を見やると、いつのまにか先ほどの図書館員が立っていた。


「エドアルドさま」


 彼女は青年に声をかけた。

 しかし彼は黙ったままだ。


「あの……エドアルドさま?」


 彼女が遠慮がちにもういちど声をかけると、青年はようやく顔をあげた。


 春の雪のように青い瞳がちゅうをさまよい、やがてその瞳に図書館員をとらえる。


 彼女はルアーナを見て、なにかを訴えるように青年を見つめる。しばらく見つめあったあと、ようやく理解したのか青年はひと言だけ口にした。


「大丈夫だから」


 それだけ言うとふたたび本に没頭してゆく。


 彼女はあきらかに不満げな顔をしていた。しかしそれ以上はなにも言わず、ただルアーナに厳しい視線を投げかけて戻っていった。


 あの図書館員を黙らせるなんてどこのだれだろう。

 身なりを見るかぎりは、どこぞのご子息。談話室は混んでいる。にもかかわらず、六人掛けの机をひとりで占領しても許される人間。


 ――だれかしら!?


 分からないものは考えても仕方ない。とりあえず勉強する場所が確保できたことに感謝する。


「ありがとうございます。とても……とても助かります」

「……べつに」


 そっけない「べつに」がこんなに嬉しいことがあるだろうか。ルアーナは眉間に力をいれる。ぎゅっと口を結んでいないと泣いてしまいそうだった。


 集中して宿題を終わらせレポートにとりかかる。

 基礎魔術で助かった。マリラと受験勉強した範囲といくらか被っている。この調子なら次の授業までには三十枚書けそうである。


 ボーンと五回、古時計が鳴った。


「閉館時間です。本を返却してください」

「もうそんな時間?」


 まわりを見渡すとすでに生徒の姿はまばらだった。

 アンジェロたちのグループもいつの間にかいなくなっていた。むかいの青年もノートを鞄にしまっている。図書館員が監視するようにルアーナを見ていた。


 ルアーナは急いで本を棚に戻すと鞄を肩にかけ外にでた。まだそう遠くへはいっていないだろう銀髪を探す。


 傾きかけた日射しに輝く銀髪が、レンガ造りの角を曲がるのが見えた。ルアーナは走った。はしたないことだと分かっていても、今を逃したら二度とチャンスは訪れないような気がして、全速力で追いかける。


「あのー! 待ってくださーい、そこの銀髪のひとー」


 大声で叫ぶと、青年がぎょっとした顔で振りむいた。安心したのもつかの間、彼はきびすをかえすと足早に立ち去ろうとする。


「ええ!? エドアルドさま―ッ! 待ってー!」


 マーレで伸び伸びと育ったルアーナが追いかけっこで負けるはずもない。すぐに追いついた。


「も、申し訳ありません……お、お、大声だして」


 息絶え絶えに謝罪する。手は群青色のローブをがっしり掴んでいる。顔をあげると、これ以上ないくらいに迷惑そうな顔でルアーナを見おろしていた。


 きれいに歪む眉と、深い青色の瞳が全力でルアーナを不審がっている。


「ちょっときて」


 青年はそのまま人目につかないところまでルアーナを引っぱっていく。

 ルアーナは乱れた髪と制服を整えてはなしはじめる。


「あらためまして、先ほどはありがとうございました。グラーヴェ魔導学院一年のルアーナ・ロンバルディと申します。見てのとおり平民です」


 ちらりとエドアルドを見るが、彼は先ほどとおなじ顔でルアーナを見ている。


「ひ、ひとつ教えていただきたいことがございます。ご迷惑は重々承知です。ですが……」

「べつに……驚いただけで」


 やっぱり。この人はクラスメイトとは違う。

 たとえ迷惑だと思っていても、頼ってきた人間を突き放すような意地の悪さは感じられない。


 ルアーナは彼に紙きれを見せた。


「この本が手にはいるお店を教えていただけないでしょうか?」


 図書館が使えるのは授業が終わってからの二時間。ひとりで勉強するには時間が足りない。

 青年はメモを見ると言いにくそうに口を開いた。


「……この本けっこう高いよ」


 ルアーナはにっこり笑った。

 お小遣いなら父のファビオからたっぷりもらっている。本来なら貴族とのつきあいに使われるはずだったが、今のところその予定はない。それより家でも勉強できる環境を整えるほうが先だ。


「ありがとうございます! 今日エドアルドさまに出会えてよかったです。グラーヴェ魔導学院ここにきてから自信喪失しておりまして……。あの、明日からも相席してよろしいですか?」

「え、イヤだよ……」

「ええ? そこは快く『いいよ』とおっしゃる流れではないですか!?」

「悪いけど、ひとりがいい」

「貴族に不当にいじめられている、か弱い平民少女を助けようとは思わないんですか?」


 ルアーナが言うと、エドアルドはハッとした。そして考えこんでいる。


「……思わない」


 ――え、じっくり考えた答えがそれ……!?

 ほかの人とは違うと思ったのは勘違い?


「じゃ、じゃあ……談話室はみんなのものなのに机を占領するのはどうなんです?」

「そのまえに、さっきの本買ったら図書館にくる必要なくなるんじゃない?」

「あ……」

「じゃあ、そういうことで」

「待ってください、待ってくださいませ。友達いないから寂しいんです。おはなししましょうよ」


 立ち去ろうとするエドアルドの腕を両手でつかんだ。と、彼の眉間に深いしわが刻まれる。


 ――間違えた。


 ルアーナはぱっと手をはなして頭をさげる。頭から冷や水を浴びたような気分だった。


「申し訳ありません、不敬でした」


 今までアンジェロにだってこんなふうに軽口を言ったことはなかった。

 のご子息ということは分かっていたのに。不敬罪で捕まったらどうしよう。


「友達いないんだ……」


 ぼそっとつぶやくのが聞こえた。

 驚いて顔をあげると彼は横をむいて右手で口元を隠していた。


「ええ。ですから、エドアルドさまが仲良くしてくだされば……」

「え、イヤだよ……」


 イヤだよ……イヤだよ……イヤだよ……イヤだよ……イヤだよ……


 ――ハッ!


 気づけばエドアルドの姿はなく、ルアーナはひとり図書館の裏手にたたずんでいた。

 しっかりと握りしめた紙には、いつの間にか魔導具店の名前と場所が書き足されていた。

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