第12話 挫折

 グラーヴェ魔導学院の授業は午後三時まで。

 マーレでは夕方まで働いていたルアーナには早すぎる放課後である。


「あんなスピードで授業をすすめて宿題たっぷりだすくらいなら、せめてあと一時間は授業するべきじゃないかしら?」


 宿題とレポートのための参考書を探しに図書館へいく途中で、思わずグチが零れた。


 あのニコレ・グリエーコとかいう教授は貴族の機嫌ばかりとっている。おまけにルアーナにだけレポートを提出させるなんて。今まで本格的に魔導の勉強をしたことのない、平民の苦労をすこしも分かっていない。


 ブーツを踏み鳴らして歩きながら、ふと肝心なことに思い至った。


「図書館はどこにあるのかしら?」


 寮の近くだと聞いたが、街から通うルアーナは寮の場所を知らない。

 広い学院内で途方に暮れていると、ちょうど花壇の手入れをしている庭師がいた。


「すみません、すこしお伺いしてもよろしいかしら?」

「へい、なんでしょうお嬢さま」


 頭を深くさげた庭師に、ルアーナのほうが驚いた。


「やめてください。私平民ですから。ただ図書館の場所を教えてもらいたかっただけなのよ」

「図書館でしたら、通りを渡ったところにある白い建物でございます」

「ちょっと待って。通りをですって!?」

「へい。あちら側も学院の敷地になりますので」


 庭師が示したのは馬車が走る大通り。

 半信半疑のルアーナに、庭師は手に持っていたものを足元に置いて説明してくれる。


 しかしルアーナの目に留まったのは、彼が今置いたもののほうだった。


「それ、ちょっと見せてくださる?」

「これは……お嬢さまにお見せするようなものでは……」

「いいの。見せてもらえる?」


 奪いとるようにしてルアーナが広げると、それは肖像画だった。顔はインクで塗りつぶされているがドレスと背景に見覚えがある。

 お見合い用にアンジェロに渡したばかりのルアーナの肖像画だ。


 ――なんてひどいことを……ッ!


 ここまでするものかと唖然とする。庭師は知っていたのか、黙って頭をさげている。

 彼に非はないのだから、ここで怒っても仕方がない。


「ありがとう。これは処分しておいてくださる?」


 こんな惨状をマリラに見られでもしたら、それこそ怒りの矛先がアンジェロにむきかねない。

 ルアーナは丁寧にお礼を言うと、木々のあいだを歩きはじめた。


 通りを渡ると庭師の言うとおり白い建物が見えた。そのむこうには緑が広がっている。


 ――学院のなかに森。


 いったいどこまでがグラーヴェ魔導学院なのか、目では確認できない。

 ところどころに見えるのは研究所だろうか。こう広くては、通行証が必要になるのもうなずける。


 レンガ造りの図書館は大邸宅のような雰囲気だった。白い壁には色鮮やかなエーデラっている。


 荘厳な扉をくぐって図書館にはいった。館内は、天井まで伸びる本棚がいくつも並ぶ部屋と、生徒が勉強するための談話室に分かれていた。


 ルアーナはまず本棚の部屋へ足を踏みいれた。

 さすがサヴィリア王国で唯一の魔導学院である。魔導に関する専門書がぎっしりと並んでいる。


 本棚のあいだをゆっくりとすすんでいくと、行く手に見覚えのある三つの金髪頭にが見えた。

 嫌な予感がしてきびすを返す。べつの本棚へむかおうとしたが、ときすでに遅し。


「今日は薔薇色ローザじゃないのね?」

「違うわよ。平民のクセに肖像画を渡す尻軽女レディ・ローザよ」

「フランチェスカさまと婚約なさるのにねえ?」

「アンジェロさまもお気の毒よねえ?」


 ルアーナは大きく息を吸って、ゆっくりと振りむいた。そこにいたのは、思ったとおりの金髪三人娘。


「あなたたちの仕業だったの?」


 肖像画のはなしを持ちだされて、さすがのルアーナも大きな声をだしてしまった。むこうもまさか反撃されるとは思っていなかったのか、言葉を失っている。


 勢いにまかせてルアーナが一歩踏みだしたとき、


「なにをしているのですか? 図書館で私語は禁止ですよ」


 図書館員があらわれた。

 ルアーナは我にかえり、すぐに「申し訳ありません」と頭をさげた。が、一方的にルアーナを非難する。


「まったく。行儀作法を知らないのかしら? これだから育ちの違う人は」


 金髪三人娘は悪びれるようすもなく笑っている。

 ルアーナは目で訴えたが、ついと目を反らされた。あろうことか、そのままカウンターへ戻ってしまう。


 ――不公平じゃないの。


 ルアーナは基礎魔術の本を何冊か抱えると、導火線に火がついたまま談話室に移動した。


 談話室には六人掛けの机が並んでいて、それぞれグループ学習をしている。


 空いている席を探していると、おなじクラスの生徒が座る机を見つけた。フランチェスカが中心となっているが、先ほどの金髪三人娘はいない。


「宿題ご一緒してよろしいかしら?」


 近づいたルアーナをフランチェスカが睨んだ。その冷たい目に、爆発寸前の導火線は一瞬で鎮火する。


「申し訳ありませんが、ここはいっぱいですの」

「でも……」


 ルアーナは空いている席を見る。


「埋まっていると言っているでしょう?」


 助けを求めてアンジェロを見た。彼は申し訳そうな顔をしただけでなにも言わない。一緒にいたほかのクラスメイトは顔もあげない。伯爵令嬢であるフランチェスカが言うことに、口をはさむものはいない。

 貴族の序列とは、それほどまでに彼らを縛る。


 頼みの綱を絶たれ、ルアーナはふらふらとべつの席に腰をおろした。

 宿題と三十枚のレポート。どう考えても無理。ひとりでは手に負えない。


 こうなったらニコレ教授に謝ろう。頭をさげてレポートを失くして……いや、せめて十枚にしてもらおう。


 がんばれば平民だってやれる、なんてバカな希望は捨てる。


 試験に受かったのだってまぐれに違いない。

 もしかしたら学院側に不備があって、本当ならほかの生徒を合格にするはずが、間違ってルアーナを合格させてしまったのかもしれない。


 きっとそうだ。そうに違いない。


 ごっほん。


 大きな咳払いがした。

 ルアーナが顔をあげるのと同時に、むかいの男が顔を伏せた。


「ごめんなさい。もういくわ」


 図書館の本は持ちだし禁止。談話室で席を確保できなければ宿題もままならない。


 これは、ニコレ教授に頭をさげるだけではすまないかもしれない。

 ルアーナはこれまでにない絶望を味わっていた。

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