第11話 不穏な足音

 一年生の授業は座学が中心である。

 貴族、平民、魔力属性も関係なく、みなおなじ授業を受ける。


 二十人のクラスが四組。確立にして四分の一。幸運にもアンジェロとおなじクラスになれた。教室のほぼ中央に座る彼を、斜め後ろから眺められる特等席スペシャルシートに陣どった。


「アンジェロさま。授業が終わったら街にいきませんか? 美味しそうな屋台を見つけました」

「あー、今日はちょっと予定が……」

「そうですか……、では明日はいかがでしょうか?」

「お断りしますわ。アンジェロさまは私と図書館で勉強しますの。毎日ね」


 とんがった声が飛んできた。アンジェロの隣に座るご令嬢がルアーナを睨んでいる。


 なぜかいつも彼の隣に座っているご令嬢だ。制服をきっちり着こなし、上質なボルドーのローブは足首まで隠れるほど長い。

 空色の髪と、はっきりとした美しい目元には見覚えがある。たしか、初登校の日にルアーナを「田舎の成金なりきん」と呼んだご令嬢だったか。


「ええっと……?」

「バルベリーニ伯爵家のフランチェスカ・バルベリーニよ」

「ルアーナ・ロンバルディと申します」

「ローブを紫色ヴィオレットに替えたくらいで、いい気にならないことよ」


 初登校の翌日から、ルアーナは紫色ヴァイオレットのローブを着ていた。郷にいっては郷に従え。まずは服装から。グラーヴェ魔導学院の生徒として、ふさわしくあろうという気持ちからである。


 クラスの大半を占める貴族の反感をやわらげたいのもある。早くクラスになじみたい。できれば夜会に呼んでもらえるくらいには。


 それを、そんな言い方はないだろうとアンジェロを見ると、彼は気まずそうに視線を反らした。


「今、フランチェスカ嬢とお見合い中なんだ」

「ええっ!?」

「分かったら、彼に色目を使うのはよしてくださる?」


 ルアーナは絶句した。

 王都にきてから三人とお見合いしたことは聞いた。彼女もそのひとりなのだろう。伯爵家のご令嬢ともなれば、男爵家三男のアンジェロにはまたとない相手である。


 これが宮廷魔導士に必要な〈実力と〉ということか。


 彼女が見せつけるようにアンジェロに寄り添い、そのたくましい腕に触れるのを黙って見ていた。


 焦ることはない。


 今朝、出来上がったばかりの肖像画をアンジェロに渡した。これでルアーナはほかのご令嬢たちとおなじく、アンジェロのお見合い候補になった。

 あとは彼にルアーナを選んでもらうだけ。


 そのためには、貴族のご令嬢に負けないだけの実力を身につけなければならない。



 魔術学を担当するニコレ・グリエーコ教授は、チャイムとともに教室にはいってきた。


 だれかが「魔女だ」と小さな声でつぶやいた。

 なるほど。白髪はくはつとわし鼻、首まで隠れる黒いロングドレスは絵本のなかの魔女そのものだ。


 ニコレ教授は小さな丸いメガネの奥から鋭い眼光で教室を見渡すと、ルアーナのところで視線を止め、一瞬目をすがめた。


「まずはじめにみなさんに問います。魔導士としていちばん大切なのは〈正義〉〈魔力〉〈知識〉の三つのうちどれでしょう?」


 教室はシーンとした。

 うつむいたり急いで教科書をめくったりする生徒たち。なかには真っすぐにニコレ教授を見据え、「当ててくれ」と言わんばかりのものもいる。


 ひりつくような緊張感のなか、ばちりと教授と目があったルアーナは、思わずしたをむいてしまった。


 そんなこと、考えたこともなかった。いや、今考えてもまったく分からない。当てられないようにただ祈るのみ。


「今は答えなくて結構。ここで学びながら各自が考えるように」


 教授が言うと、教室の空気が緩んだ。

 ルアーナもホッと息をつく。


「では、本日は初日ですから基礎魔術について復習しましょう。――魔術とは自然科学の一部でした。やがて黄金こがねを求める錬金術師が、魔物と契約したことから禁忌として扱われるようになりました。しかし偉大なる魔導の父……」


 ――復習ってどういうこと?


 ルアーナは必死にノートをとった。ニコレ教授は基礎魔術の教科書をなぞっているが、そのスピードは一章を一行に要約するほどである。とてもじゃないがついていけない。


 しかしだれもなにも言わない。


 まわりを見ても、ほかの生徒はだれひとりとしてノートをとっていなかった。ニコレ教授のはなしに耳を傾け、ときおりうなずいている。まるで、今はなしていることはすでに頭にはいっているみたいに。


「では、次回から応用魔術にすすみます」


 ルアーナが混乱しているあいだに授業は終わってしまった。しかたなく、ニコレ教授がいってしまうまえに捕まえ、恐る恐る聞いてみた。


「ニコレ教授。基礎魔術は本日の講義で終わりでしょうか……? 私、魔導の勉強ははじめてで……」


 ニコレ教授はじっとルアーナを見つめると重いため息をついた。


「あなたお名前は?」

「ルアーナ・ロンバルディと申します」

「初日に薔薇色ローズを着てた子ね」


 ニコレ教授は上から下へと目を走らせる。

 ルアーナは視線をずらしてじっと耐えた。

 オオカミに睨まれた子羊とは、きっとこういう気分を言うのだろう。


「……でもあの……反省してます。目立つのは成績であって、見た目じゃないって……」

「入学前に気づくべきでしたね」


 ぐうの音もでない。


 うしろからくすくす笑う声が聞こえた。

 首だけで振りかえると、金髪の三人娘がいた。


 三人ともおなじような黒いローブを着て、おなじような黒いブーツを履いている。

 ひとりはつり目で長い縦ロールの髪。ほかの二人はツインテール。面立ちがよく似ているから双子か。


「なんです? 貴方たちも質問かしら?」


 ニコレ教授の声に三人は廊下へ逃げていく。

 二人きりになると教授は険しい顔でルアーナに言った。


「環境が不利ならば、そのぶんほかの人以上に努力する必要があることを肝に銘じることね。グラーヴェ魔導学院は怠けものに優しくありませんよ」

「肝に銘じます……」

「よろしい」

「ありがとうござ……」

「では、次の授業までに基礎魔術についてのレポートを三十枚提出しなさい」

「えっ、宿題もあるのに……ッ?」


 思わずでてしまったセリフに、ふたたび教授の眼光が鋭くなる。


「五十枚にしましょうか?」

「……いえ。三十枚……ちゃんとやります」


 ルアーナはがっくりと肩を落とす。

 ここには味方がひとりもいない。そのことをあらためて思い知らされたのだった。

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