第9話 新たな門出

 ルアーナは南を背にして絨毯のうえに座ると、魔法陣の描かれた羊皮紙を広げた。


 麻袋からアロアロの実をとりだして両手に乗せる。そのまま魔法陣のうえにかかげて小さく呪文を唱えると、手のひらがだんだん暖かくなって白く光りはじめた。


 アロアロの実がほろほろと崩れ、粉となって魔法陣に降り注ぐ。

 きれいに手を払うと羊皮紙の端を持ちあげ、できた粉を器に移しかえる。


 まずはこの作業を麻袋がカラになるまでつづけた。


 つぎに、アロアロの葉をいれた鍋を火にかける。

 弱火でじっくり一時間ほど煮込むとなかの繊維が溶けだした。


 葉がくたくたになったところで鍋を火からおろし、ろ過器にとおす。


 さあ、ここからが勝負だ。

 かき混ぜて熱を冷ましながら、ちょうどいいところで先ほどの粉を投入する。


 早すぎても遅すぎてもいけない。

 煮汁が冷めてすこし粘り気を帯び、空気とあわさって白っぽくなる。かき混ぜ棒が重くなったタイミングで、粉がダマにならないように素早く混ぜあわせる。


 けっしてかき混ぜすぎてはいけない。

 使いものにならなくなる。


 最後に玻璃に詰めて完成。


 しばらくして熱が完全に冷めると、なかの液体がふたたび透明になった。


「よし、成功っと」


 最後まで見届け、三十ほどの玻璃をまえにルアーナは満足してつぶやいた。


 彼女の作る〈アロ美容液〉の原液である。


 植物エキスは体に良いが、人の肌には薬効が強すぎて拒否反応がでることもある。ロンバルディ商会では、ルアーナの作った原液を精製水で薄めて販売している。


 すべては薬草学の魔導書から得た知識である。


 薬草学魔導書というと仰々しいが、たまたまマーレにきていた古本市で手にいれた、子ども用の魔導書で魔法陣はその付録だった。


 裏をかえせば、ルアーナは魔法陣がなければ術を発動できない。そのていどの〈魔力持ち〉だ。

 そして魔力を使うとかなりの体力が奪われる。


 ルアーナは倒れるようにベッドに横になり、そのまま深い眠りに落ちていった。



 翌朝目を覚ますと、すでに部屋のなかまでトマトを煮こんだいい匂いが漂っていた。

 待ちきれなくなってベッドからでると、マリラがちょうどノックして部屋にはいってきた。


「おはようございます。お嬢さま」

「おはようマリラ」


 カーテンを開けると窓から輝く朝日が射しこみ、部屋のなかが明るくなる。

 作業台に並ぶ玻璃に目を留めたマリラがあきれて言った。


「昨晩も遅くまで起きておいでで?」

「すこしだけよ。忙しくなるまえにやってしまおうと思って」

「今日は初登校ですよ」

「大丈夫、ちゃんと寝たわ。初日から遅刻なんて不名誉は避けたいもの」


 グラーヴェ魔導学院に通うにあたって寮にはいることもできた。しかしロンバルディ夫妻は街に部屋を借りてくれた。

 それはルアーナにとってもアロ美容液の材料を運びこむのに都合がよかった。


 マーレの屋敷にくらべれば小指の爪ほどの広さだが、二人で暮らすには十分と言えた。


「髪はどうされますか?」

「そうね、魔導士ってローブのフードをかぶるものかしら? 引っかかったりしたら困るわ」

「ではシンプルに編みこみましょう」


 朝食をすませると制服に着替えた。

 グラーヴェ魔導学院の制服は、白いブラウスに、黒のベスト、スカート、ウエストポーチ、そしてグラーヴェ魔導学院の紋章のはいったネクタイ。


 鏡に映る自分の姿を見て誇らしくなる。


「制服を着ると私もそれらしく見えるものね。そう思わない?」

「ええ、とても可愛らしい魔導士さまです」

「ありがとう。私、すごくわくわくしてるの。アンジェロさまもきっと驚くわ」


 鏡のまえでくるりとまわってはしゃぐルアーナに、マリラは忘れず釘をさす。


「ルアーナお嬢さま。魔導学院に通うのは魔導術式レシピのためですから、あまりよそ見をされませんように」

「分かってるわ」

「それと、王都の貴族はバカンスで訪れる貴族とは違いますから、くれぐれもお気をつけください」

「分かってるってば。マリラは本当に心配性ね」


 ルアーナは忠告を笑い飛ばすと、ローブのまえに立つ。

 薔薇色ローズに金糸の刺繍が施されたものと、紫色ヴァイオレットのシンプルなデザインのものの二種類用意されている。


 ルアーナは迷わず薔薇色ローズを手にとる。


「お嬢さま、今日くらいはこちらのほうが……」

「ローブは自由のはずでしょう?」

「ですが……」

「ねえ。おなじ年のおなじ試験を突破した仲間だもの。ローブの色くらいでなにもないわよ」


 ルアーナは半分意地になって薔薇色ローズのローブを羽織った。

 まだ心配そうな顔をしているマリラを尻目にアパートをでる。


 二人が王都にきて十日が経っていた。

 マーレとは異なり、王都の空気は肌に纏わりつくような湿り気を帯びている。はじめは不快に感じたそれとて、王都へやってきたことを実感して嬉しくなる。


 まだ朝だというのに、街はすでに太陽に照りつけられていた。

 通りに沿って軒を連ねる店では、店主が忙しそうに開店の準備をはじめている。


 ――下見をしておいてよかったわ。本当に。


 二人で暮らすアパートはグラーヴェ魔導学院からすこし離れている。

 それでも生徒が通う朝なら、おなじ制服を着ている生徒がいるだろうと思っていた。


 だが違ったらしい。

 先ほどからルアーナのことを物珍しそうに見つめる視線ばかりで、肝心の生徒はひとりも見かけない。ルアーナはそわそわして歩きながら視線をあちらこちらに走らせた。


 グラーヴェ魔導学院の立派な門が見えてきたところで、ようやくその理由に思い至った。


 ここは敷地内にある寮から通う生徒がほとんどなのだ。そしてルアーナとおなじく街から通う生徒は馬車を使う。


 貴族の子どもが集まる王立グラーヴェ魔導学院に、徒歩で通う生徒などほんのわずか――すなわち街から通う平民しかいない。


 ――もしかして、とんでもないところにきちゃったのかしら。


 今朝のマリラの忠告が頭をよぎる。

 そびえ建つ校舎が、急に魔物の城に見えてきた。

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