第8話 旅立ち

 両親の許しを得たルアーナは入学試験にむけて準備をはじめた。


 家庭教師を雇えればよかったが、こんな田舎町で、しかも平民に魔術を教えるという奇特な教師はいなかった。


 しかたなくマーレじゅうの本屋でかたっぱしから魔導書を買いあさった。しかし王都から遠く離れたマーレでは、手にいれられるものはかぎられている。

 そこでファビオが商業組合のつてを使って、王都から魔導書をとりよせてくれた。


「やるなら思いっきりやってみるんだよ」

「ええ。必ず合格してみせるわ」

「心配ないさ。だけど、無理はするんじゃないよ。健康がいちばんだからね」


 両親が自分に期待していないことはなんとなく感じていた。

 自由にさせてみて、気がすんだらそのうち飽きるだろうと思われているのだ。


 たしかに今までのルアーナならそうだったかもしれない。勉強はもとより嫌いだし、バカンスの時期に教会学校にいかなくていいのも喜んでいた。


 しかし両親もマリラも忘れている。

 恋する乙女の本気のパワーを。


 ――これは私の愛が試されているのよ。


 バカンスの季節が終わって貴族たちが王都へ帰っても。年が明けても。マーレの短い冬が終わり春が訪れても。ルアーナは飽きることなく――実際にはすぐにでもやめたかったが、アンジェロを想って勉強をつづけていた。


「お嬢さま問題です。〈魔導の父〉と呼ばれる貴族の名は?」

「コンバット・モンテーニュ伯爵……だったかしら?」

しいですが、コルンバーノ・モンテフェルロ伯爵です」


 平民の通う教会学校に魔導の授業はない。植物魔法をすこしかじったていどのルアーナには、覚えることが山ほどあった。


「計算ならまだしも、暗記ものは苦手だわ」

「そうおっしゃらずに。これが終わったら、お嬢さまの好きな檸檬リモーネパイで休憩にいたしましょう」


 ルアーナが投げだしそうになると、マリラがお菓子で釣る。


「そんなにすごいオジサンなら、一発で覚えるようなもっとババーンとした名前にしてほしいわ。ほら、マッドサイエンティストのドロドロ伯爵ならみんな知ってるでしょう」

「ドロドロ伯爵はフィクションです」

「ふーん、ならきっと控えめなのね。術のひとつにでも自分の名前をつければよかったのよ。『くらえ殺戮の極みモルターレ・コンバット!!』みたいな」

「……コルンバーノです。モンテフェルロ伯爵家は今でも大貴族ですよ。ただ、学者気質な血筋のため表舞台では目立たないようです」

「マリラよく知ってるわね?」

「ここに書いてありますから」


 マリラは教科書を指した。どうやらルアーナの勉強につきあっているうちに、覚えてしまったらしい。

 彼女もまた、商人ファビオ・ロンバルディのお眼鏡にかなったひとりである。


「マリラはもともと賢いもの。私のかわりに試験受けてくれる?」

「ご冗談を。ほしいものは自分の手で勝ちとってくださいませ」


 マリラがあきれた顔をする。

 ルアーナは思いきって聞いてみた。


「ねえマリラ。グラーヴェ魔導学院なんて本当は反対でしょう?」


 マリラは驚いたようにルアーナを見た。そして、唇の端をわずかにあげる。


「お任せください。このマリラが、必ずお嬢さまを魔導士にしてみせます」

「ええ?」

「お嬢さまが可愛いだけじゃないことを思い知らせてやるのです」

「マリラ!?」


 息巻く彼女に「だれに?」とは聞かなくても分かる。

 やけに協力的だと思っていたら、そんなことを考えていたのか。ルアーナはこの従順な世話係にすこしあきれる。


「それに、王都にいけば出会いの予感がするのです」

「そういえば、むかしからマリラの予感はよくあたるわね」


 彼女の言う「出会い」がどういうものかは分からないが、味方になってくれるなら、こんなに心強いことはない。


「ところでお嬢さま、勉強だけで本当に試験に合格できるのでしょうか?」


 魔導書をめくる手を止めて、マリラが不穏なことを言いはじめた。


「信じるしかないわ」

「しかしながら、入学要項を読んでも〈総合的に判断して〉としか記載されておらず、合格の基準が曖昧あいまい過ぎます」

「なにが言いたいのよ?」

「もしかしたら、貴族の序列が関係しているのでは?」


 ルアーナは深いため息をついた。

 その可能性は考えていた。考えてはいたが、考えないようにしていたのだ。


「ないとは言いきれないけど、ボナパルド侯爵夫人は平民も受けいれているとおっしゃっていたわ。そりゃあ、数は多くないでしょうけど。それに魔導学院というくらいだから、学力よりも魔力重視なのかもしれないわ。そうなるとお手上げね」

「申し訳ありません。余計なことを言いました」


 そんな二人の心配をよそにルアーナの努力は実を結び、見事に一次試験を突破した。

 合格通知とともに届いたのは、二次試験だという乳白色の石だった。ルアーナとマリラは顔を見あわせる。


「これは〈魔晶石〉……? とか言うらしいわ」

「そのへんに転がっている石と変わりありませんね。これが二次試験ですか?」

「そうみたい。この石に魔力をこめて送りかえせと書いてあるわ」


 それでなにが分かるのか、ルアーナには見当もつかない。でもまあこれ以上勉強しなくていいなら、願ったりかなったりである。


 ルアーナは商業組合を訪ねると、二次試験の包みを王都へ運んでもらうようお願いした。


「よし、これでやっと試験も終了ね」


 やれることはすべてやった。あとは運を天に任せて、ひさしぶりの解放感を心ゆくまで味わおう。

 海岸沿いに歩いていくと、次々と声をかけられる。


「ルアーナ、ひさしぶり!」

「最近見なかったけど、どうしてたの?」

「今日のドレスもいいね。今度デートしようぜ」

「みんな! ひさしぶりね。そうだ、ちょっと店によっていかない? 果汁水ジュースだすわ」


 小さな町で育ったもの同士、みんな幼なじみである。王都へいくことになったら、こんなふうに遊ぶこともできなくなる。そう思うと、急に寂しくなった。


 いつもルアーナが店番をしていた、海岸沿いの店に五人が集まった。店は今日も閑古鳥が鳴いている。ルアーナは果汁水ジュースと店にあったお菓子でもてなす。


「そういえば、あの上級生アンジェロさまに告白したらしいわよ」

「ちょっと、そのはなしはダメよ」

「いいの、気にしてないわ。で、アンジェロさまはなんて?」

「それが『遊びでいいなら』だって。彼だけはほかの貴族と違うと思ってたのに、ガッカリよ」

「ねー、私もあの上級生に同情しちゃった」

「ただの噂だろ? 俺は学業に専念したいから断ったって聞いたぜ」

「なによ、あっちの肩持つ気?」


 遊びでいいなら半年もまえにルアーナをふる必要はなかったはずである。恐らく後者が正しいのだろう。

 フラれた上級生がアンジェロの悪評を広めたに違いない。


「私も彼は真面目な人だと思うわ……」


 ルアーナが言うと、幼なじみは優しく抱きしめてくれた。


「ルアーナには私たちがいる。あれだけ気を持たせておいて、貴族なんてクソくらえよ」

「んー、ありがとう。私もあなたたち大好きよ」


 抱きしめかえしたルアーナは幼なじみの言葉に引っかかった。


「そういえばあのとき『いい女だから自信持て』って言わなかった? あの言葉のせいで私余計に期待しちゃったのよ?」

「なにあんた、そんなこと言ったの?」

「ああ――いや、だから……貴族の事情でフラれても気にするなって意味で」

「はあ!? あんた分かりにくいのよ。男ならはっきり言いなさいよ」


 ばしっとルアーナのかわりに幼なじみが男の頭に鉄槌をくだす。男は顔をしかめながら弁明する。


「いてて。言えるわけがないだろう。アンジェロさまに口止めされてたんだぞ」


 すると目を吊りあげた幼なじみにもう一発ばしっと頭をはたかれた。


「貴族と幼なじみどっちが大事なのよッ?」

「悪かったって」

「私じゃなくて、ルアーナに謝りなさいよッ!」


 大男がかたなしである。


 嫌いになったからフラれたわけじゃない。

 幼なじみの犬も食わない喧嘩を眺めながら、ルアーナの心はすこし軽くなっていた。



 ひと月後、ルアーナ・ロンバルディの王立グラーヴェ魔導学院への入学が決まった。


「体に気をつけるんだよ」

「なにかあったら、すぐに帰ってくるのよ?」

「お父さま、お母さま、いってまいります。大丈夫、たった三年だもの。きっとすぐよ」

「マリラ、くれぐれもルアーナをよろしく頼んだよ」

「お任せください旦那さま」


 こうしてルアーナは、アンジェロの愛を勝ちとるため、マリラとともに故郷のマーレを旅立ったのである。

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