第6話 ボナパルド侯爵夫人の誘い
結いあげた髪には黄色のバラを飾り、白いドレスに黄金の刺繍のはいったグリーンのケープを羽織っている。涼し気な目元には溢れんばかりの気品が漂う。
「いらっしゃいませ」
ルアーナが声をかけたが、美しい貴婦人はもの珍しそうに店のなかを見てまわっている。
従者がそっとマリラに耳打ちした。
「ボナパルド侯爵夫人でございます」
マリラはうなずいてうしろにさがる。おそらく今までの注文票を確認しにいったのだろう。
町の中心にある店ならともかく、海岸沿いのこの店に貴族が足を運ぶのは珍しい。ルアーナは気を引き締めて侯爵夫人をうかがった。
こういうばあいはクレームと相場が決まっている。もっとも、クレームなら真っ先にカウンターへつめよるのが普通なのだが。
ルアーナは注意深く侯爵夫人の動向を見守った。緊張で手にじっとりとした汗をかいていた。
ひととおり店のなかを見学した侯爵夫人は、ようやくルアーナのところへやってきた。
「あの美容液を作った娘に会いたいのだけど」
指したのは、ルアーナ特製のアロ美容液である。
「その商品は、私が作っております」
「え、あなたが?」
「……さようでございます」
返事をしながら、ルアーナは
しかし、侯爵夫人の反応はルアーナの想像とは違うものだった。
「ごめんなさいね。あまりにも可愛らしいお嬢さんだったからびっくりしてしまって。ロンバルディ商会の娘さんが作っているというのは聞いていたから、疑ってるわけじゃないのよ」
優しい声だった。ルアーナが顔をあげると、美しく微笑んだ。
「
「ルアーナ・ロンバルディと申します。ボナパルド侯爵夫人にお気に召していただき、光栄に存じます」
「バカンスだから堅苦しいのは要らないわ。すごく気にいったから、直接お礼を言いにきたのよ。それで、王都でこれを手にいれられるお店を教えてくださる?」
ルアーナは目をぱちくりさせた。
今までも貴族の奥方にお褒めの言葉をいただいたことはある。バカンスのたびにリピートしてくださるお客さまもいる。しかし、それはすべて御用聞きを介してのことだった。
店まで足を運び、なおかつ王都でも使いたいと言ってもらったのははじめてのこと。
――嬉しいッ!
嬉しいが、ロンバルディ商会はパッツィ領以外に店をかまえていない。
「申し訳ありません。パッツィ領のみで運営しておりまして……」
「あら、そうなの。もったいないわね。お店を見るかぎりとても上手に商売しているようだし、王都に店をだす予定はないのかしら?」
「商会の運営は父がしておりますので……」
「じゃあ、こういうのはどう? 王都にある店にこの美容液を置いてもらうの。そうしたら出荷して売れた分の代金をもらうだけでいいわ」
ずいぶんとグイグイくる侯爵夫人である。王都の貴族は商売にも熱心なのだろうか。
するとルアーナの顔色を読みとったのか、侯爵夫人は苦笑した。
「旦那さまがおさめるボナパルド領は、他国との交易が盛んなの。だから
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。父からは増産のはなしをもらっているのですが……」
ルアーナが言うと、侯爵夫人の顔がぱあっと明るくなった。
それを見て、ますます心苦しくなる。
「なにか問題があるの?」
「はい。じつはこの美容液は魔力で生成しております」
「まあ! あなた〈魔力持ち〉なのね」
侯爵夫人が驚くのも無理はないが、今はそれを気にしているばあいではない。
「ですが独学なもので、レシピと言われると自分でもよく分からず困っております」
「なるほど。貴族なら幼いころから家庭教師をつけて学ぶけれど、習っていないものにいきなり
「やはり、私には無理なのでしょうか?」
「そうねえ……」
ボナパルド侯爵夫人の言葉にルアーナは内心喜んだ。平民がレシピを作れないのはあたりまえ。
ならば――レシピが作れない以上、魔導士を雇うことはできず、ルアーナがこれまで以上に働くしかない。それなら『用済み』などと言われることもなくなる。
「ルアーナさんはおいくつかしら?」
「十五になりました」
「なら、ちょうどいいんじゃないかしら。王都の学校で魔導士の勉強をすれば、
「王都の学校というと――グラーヴェ魔導学院……ッ?」
たじろいで、思わず声がうわずった。
「あら、よくご存じじゃない」
「ええ……まあ」
ルアーナはあいまいに微笑んだ。
ここで自分からアンジェロを奪った、憎き魔導学院の名前を聞くことになるとは。
だけど、これはチャンスだ。
ボナパルド侯爵夫人の言うとおり、ルアーナもグラーヴェ魔導学院に入学すれば、すくなくともアンジェロの
彼とヨリを戻せるならレシピだって渡してかまわない。レシピがあれば父も喜ぶだろう。一石二鳥とは
ルアーナはちらりと店の奥を見た。マリラが戻ってくる気配はない。聞くなら今のうちだ。
「私でも入学できるのでしょうか?」
「入学試験に受かれば平民でも受けいれているはずよ。もちろん簡単ではないけれど。いちど、ご両親に相談してみたらいかがかしら?」
明るく告げ、侯爵夫人は店をあとにした。
ボナパルド侯爵夫人が馬車へ乗りこもうとしているのを見て、ルアーナはたまらず店を飛びだした。
驚いた従者がルアーナのまえに立ちふさがる。いつでも抜けるよう剣に手をかけるのをボナパルド侯爵夫人が制した。
ルアーナは夫人のまえで深々と頭をさげた。
この機を逃すものかと必死だった。
「ボナパルド侯爵夫人! あの、近々お屋敷へおうかがいしてもよろしいでしょうか。グラーヴェ魔導学院のことをもっと詳しく教えていただきたいのです」
顔をあげると、夫人は目を丸くして固まっていたが、やがて破顔する。
「ええ喜んで。あさっての午後一時でいいかしら? 一緒にお茶でも飲みながらはなしましょう」
「ありがとうございます」
馬車を見送りほっとして店に戻ると、マリラが伝票を手に待っていた。
「大丈夫でしたか?」
「ええ問題ないわ。美容液のお礼をしたかったんですって。せっかく伝票を探してくれたのに無駄になっちゃったわね」
侯爵夫人との会話をマリラに聞かれなくてよかった。
はっきりとは言わなくても、マリラがアンジェロにいい感情を持っていないことは知っている。ルアーナを大事に思ってくれているのも分かっている。
けれど、ルアーナはまだ終わりにしたくない。
「あさっての午後、侯爵夫人のお屋敷にいくことになったわ」
「ええッ!? どういうことですか?」
「お父さまに美容液のレシピを頼まれたでしょう? それについて教えてもらうことになったの」
「侯爵夫人に、ですか?」
「だってほかにいないでしょう? アンジェロさまには言えないわ」
アンジェロの名前をだすと、マリラは口を閉ざした。
ルアーナは思った。これは試練なのだと。
愛する二人はいつだって運命に翻弄されるものだ。
アンジェロは男爵家のために愛を捨てる覚悟をしたようだが、やがて気づくはずだ。それが気の迷いだったことに。
そして、最終的にルアーナを選んでくれる。
乗り越えるべき壁が高いほど、二人の信頼は厚く、絆はより強く結ばれるだろう。
そのためなら、大好きなマーレを離れることもいとわない――。
十五のルアーナにとって、目のまえの愛がすべてだった。
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