第5話 失恋

 太陽が真上に到達するころ、ルアーナはまだベッドのなかにいた。


 自慢の髪はぼさぼさ。泣き疲れた顔はくすみ、目も腫れてクマができている。

 何日もそのままの寝間着は、年ごろの娘とは思えない、ちょっとアレな臭いをはなっていた。


 人生最悪のデートから五日が経っていた。


 そのあいだルアーナは部屋に閉じこり、ときおりマリラが差しいれる、甘いお菓子ばかり食べて気を紛らわしていた。

 今朝も何度か部屋のドアが開いたことに気づいていたが、ベッドからおりる気にはならなかった。


 ルアーナはあの夜を思いだすだけで涙が溢れてくるというのに、アンジェロからはなんの音沙汰もない。


 このまま身体じゅうの水分がなくなって干からびたら、すこしはアンジェロも気にかけてくれるだろうか。そう思うと、このまま一生ベッドの上で過ごすことになってもかまわない、とさえ思えてくる。


 コンコンコン。

 ドアをノックする音がして、ルアーナは急いで頭から布団をかぶる。


「お嬢さま、失礼いたします」


 マリラの声がした。


「今日はこちらにお食事をご用意いたしましたよ」


 焼きたてのパンの香ばしさと、野菜のうまみがたっぷり染みでた、ミネストローネの柔らかな香りに鼻がひくついた。正直なお腹がぐうっと大きな音を立てる。

 もぞもぞと布団から這いでてみると、マリラの笑顔があった。途端にルアーナのにふたたび涙がこみあげる。


「笑っちゃうわね。こんなに悲しいのにお腹は空くの」

「元気だしてくださいませ。お食事が終わりましたら、支度をして店にいきましょう。みなさま、お嬢さまをお待ちでいらっしゃいますよ」

「イヤよ。あれだけ盛りあがったあげくフラれたなんて、恥ずかしくてみんなのまえに顔だせないわ」

「そう言わずに。旦那さまや奥さまも心配しておりますよ」


 それこそがルアーナの不満だった。

 アンジェロと破局して、人生でいちばん辛い思いをしているのに、家族は心配するだけで、だれひとり復縁に力を貸そうとは言ってくれない。


「そういえば、お嬢さまの美容液の在庫がすくなくなっているようですよ。本当に大人気でマリラも鼻が高いです」


 マリラの言葉にルアーナがぴくりと反応する。


「……そう?」

「ええ。お客さまもお待ちですわ」

「そうよね……」

「そうですとも。ですから美容液の補充がてら店にいきませんか?」

「もう……しょうがないわね」


 どんなに落ちこんでいても、商売となればはなしはべつだ。お客さんが待っているというなら、なおのこと急いで商品を届けなければなるまい。

 そんな商人としての使命感がルアーナを動かした。


 ――マリラのおべっかに上手く乗せられた、とも言うが、そこにはあえて触れないでおく。


 気分をあげるために、お気にいりの赤いワンピースにブーツをあわせた。髪は高い位置でポニーテールにする。


「おや、ルアーナでかけるのかい?」

「お父さま」

「ルアーナに頼みがあったんだが……」

「もちろん、なんでもおっしゃって」


 階下に降りたところで、父親であるファビオ・ロンバルディと顔をあわせた。ふくよかな体と赤いほっぺたが特徴のファビオは、見た目どおりおおらかな性格をしている。


 ロンバルディ商会を営む父が、こんな時間に屋敷にいるのは珍しい。


「うむ。おまえの作る美容液が貴族のご婦人のあいだで好評だろう? それで、もうすこし数を増やせないかと思ってね」

「マリラから聞いたわ。さっそく今から在庫の補充にいくところよ」


 ルアーナは美容液をいれた籠をかかげて見せた。


「いやいや、そうじゃなくてね。これ以上作る量を増やすとおまえの負担が大きくなるだろう? だったらもう人を雇おうかと思ってね。おまえには美容液のレシピを用意してほしいんだ」

「レシピですか……」

「ああ。すぐにとは言わないから、考えておいてくれるかい?」

「……ええ、考えておく」


 ルアーナはあいまいに答える。


「それとその……アンジェロさまのことだが……。おまえには父さんがいい相手を見つけてやるから、あんまり気にするんじゃないよ?」


 ファビオは、ルアーナの頭をぽんぽんと撫でると、馬車に乗りこみ仕事にむかった。


「お嬢さま、いかがされました?」


 静かなルアーナを怪訝に思ったのか、マリラが声をかけた。


「ねえマリラ。私って、そんなに頼りないかしら?」

「私にとってお嬢さまは、いついかなるときもお守りすべきお方と思っております。なぜそうお思いに?」

「お父さまよ。私の力じゃなくてレシピがほしいってそういうことでしょう? 結婚相手だって、私には見る目がないと思われてるんだわ」

「マリラには、旦那さまがお嬢さまをいたわっておられるようにお見受けしましたよ」


 ルアーナには、父の言葉がまるで「レシピがあればおまえは用済み」と言われているような気がしてショックだった。


 アンジェロからはロンバルディ商会の付属品のように言われた。そのうえ商会からも用済みにされたら、だれからも必要とされなくなってしまうようで怖い。


 海岸沿いの店につくと美容液の補充を終え、いつものイスに座った。


 空はどこまでも高く、海はどこまでも広がっている。

 店番をしながら窓から見える美しい景色を眺めても、以前のように心は躍らなかった。


 店のまえの砂浜で遊ぶ若者のなかにアンジェロの姿があった。相変わらずまわりで騒ぐ娘たちの熱い視線をひとり占めにしている。


 小さな町だ。アンジェロとルアーナが別れたことは、もうみんなが知っているだろう。


 すると突然目のまえの景色が遮られ、立派な馬車が店のまえに停まった。

 貴婦人が降りてきて従者が日傘をさす。マリラが急いで扉を開けると、美しい貴婦人は優雅な足どりで店にはいってきた。

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