第4話 マリラの誤算

 エスコート役のアンジェロの姿が見えない。

 戻ってきた馬車を出迎えたマリラはいやな予感がした。


 そしてつぎに、従者に手を引かれて降りてきたルアーナを見て、心臓が止まるかと思うほど驚いた。


「お嬢さま! いったいなにがあったんですか!?」


 腕によりをかけて体の隅々まで磨き、今晩のデートのために着飾った。

 今夜こそプロポーズされる。嬉しそうに頬を染め、アンジェロとでかけていったはずではなかったか。


 それが――いったいどうしてこうなった。


 美しい桃金色ピンクゴールドの髪はあちこちからまり、つややかな肌はところどころ泥がついて黒ずんでいる。豪奢なドレスは水をふくみ、きゃしゃな体にまとわりついていた。


 なにより、いつも笑顔のルアーナが泣いている。

 最悪の事態を想像して、マリラはどう声をかけるべきか悩んだ。

 馬車を待たせておくように従者へ告げる。


 すばやくルアーナを浴室へ連れていき、ローズを浮かべたお湯に浸からせた。


 いくらパッツィ男爵家の三男坊であろうとも、自慢のお嬢さまをこんなふうにしたアンジェロには、ひとこと言ってやらねば気がすまない。


 マリラは急いで外に戻ると従者から事情を聴いた。しかし従者は詳しいことは分からないと言う。


 アンジェロは先に馬で帰り、自分はただ、ルアーナを送り届けるようおおせつかっただけだと。

 しかたなく従者にお金を握らせ口止めすると馬車を帰した。


 この状況をロンバルディ夫妻に知らせるべきかとも思ったが、あいにく今晩は戻らない。なにがあったかルアーナに確認するほうが先だろうとふたたび浴室に戻る。


「お嬢さま、マリラです。お湯のお加減はいかがですか?」


 ドア越しに声をかけるが返事はない。ルアーナにもしものことがあったら困る。マリラは思いきってドアを開けなかにはいった。


「お嬢さま、失礼いたします」

「マリラ……わ、私、うッ……」


 ルアーナは湯船のなかでも泣いていた。その姿を見たら、マリラはなにも言えなくなってしまった。

 かわりに、気持ちを落ちつかせるための温かい飲みものを用意した。


「さあ、ルアーナさま。これでも飲んで、ゆっくりと浸かってくださいませ」

「こ、これ葡萄酒ヴィーノ……いいの?」

「ええ。今日は特別です。ただし、旦那さまには内緒ですよ」


 マリラはカップを渡すと、ブラシを手にした。

 お湯をはった桶にルアーナの髪を浸して汚れをとり、絡まりをほどいてオイルを塗りこむと、丁寧に梳いた。


 ルアーナは気持ちよさそうにしている。お湯に浸かりながらゆっくりと葡萄酒ヴィーノを飲む姿に、ほっと胸を撫でおろす。


「お嬢さま。もし、はなせるようでしたら、なにがあったかマリラにおはなしくださいませんか?」

「マリラ……」

「はい」

「なんだか薄いわ、この葡萄酒ヴィーノ

「あたりまえです。お嬢さまにアルコールはまだ早うございます」


 葡萄酒ヴィーノをお湯で割った子ども用である。それでも気持ちを落ちつかせるには、いくらか助けになるだろう。


 しかし、ルアーナは不服そうである。口をとがらせている。

 マリラは安堵した。


「わがままが言えるなら、もう大丈夫そうですね」

「大丈夫なんかじゃないわ。アンジェロさまったら、私を捨てて王都で魔導士の勉強をするんですって。それで貴族のお嬢さまと婚約するって」

「……へえ、さようでございますか」


 どうやら考えつく最悪のシナリオは避けられたようで安心した。


 だがしかし。


 夕方、なにくわぬ顔で迎えにきたアンジェロを思いだして、怒りがふつふつと湧いてくる。パッツィ領の三男坊にしては優秀な男だと思っていたが、そんな野望を抱いていたとは。


 マリラの知るかぎり、恋人になるまで二人に特別な接点はなかったと思う。

 おない年だが、貴族のアンジェロは平民の通う教会学校へはいかず家庭教師に学んでいる。それにルアーナはバカンスにきた貴族の目に留まらないよう生活しており、二人が顔をあわせたのも数えるほどしかなかったはずだ。


 それが二年ほどまえ、突然アンジェロから告げられて恋人になった。


 マリラは不審に思いつつもそれを口にすることはなかった。

 アンジェロは貴族だが平民をバカにすることはなく、浮いたはなしも聞かなかった。漏れ聞こえてくる噂によると、騎士としての腕もなかなかのものらしい。

 信頼をおくロンバルディ夫妻が、二人の交際に口をださなかったことも、マリラの心配にブレーキをかけた。


 なによりルアーナが幸せそうだった。

 だからこの二年間、不本意ながら協力してきたのだ。


 それをあの男は――。


「なんとかして、アンジェロさまに魔導士を諦めさせる方法はないかしら? ねえマリラ、どう思う?」

「まだそんなことを言うのですか」

「だって……」


 マリラはため息をついた。ルアーナは愛情深いがゆえに、心を許した相手に執着するところがある。


「お嬢さま。マリラはこれ以上、お嬢さまが傷つくのを見たくはございません」

「でも、アンジェロさまは私のこと嫌いになったわけじゃないって。私だって彼を愛してるわ」

「それは存じておりますとも。ですが、女は愛するより愛されるほうが幸せと言います。お嬢さまを大事にしてくれるかたがいつか必ずあらわれますわ」

「そうかしら? 彼以外にそんな人があらわれるなんて、とてもじゃないけど信じられないわ」


 マリラにしてみれば、彼がルアーナを愛しているというのもはなはだ疑問ではあったが、それを口にするほどマリラは木石ではなかった。


「そんなことおっしゃらずに。お嬢さまはまだ十五ではありませんか。それに、こんなにも可愛らしいんですよ。まわりの殿方がほっとくわけありません。今まではみな、アンジェロさまに遠慮していただけですわ」

「そうだといいけど……」


 貴族がバカンスに訪れるマーレは、ほかの田舎町と違って華やかである。


 そのなかにあって、ルアーナは目を引く娘だ。そこいらの貴族よりよほど財力のある豪商の娘らしく、自分への投資にも余念がない。

 ロンバルディ夫妻にしても、ルアーナが商会の歩く広告塔になるのを承知で甘やかしている。


 アンジェロという防波堤がなくなったら、有象無象がいっせいに押しよせるのは間違いない。あとはルアーナがその気になるかどうかだ。


 傷心のルアーナには申し訳ないが、これはこれでよかったのかもしれない。


 不誠実な男に大切なルアーナを任せるわけにはいかない。

 手塩にかけて育ててきたお嬢さまには、心から愛し愛される殿方と結ばれてほしい。そう願ってやまないマリラだった。

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