第3話 夜のデート

 アンジェロから夜のデートに誘われて、ルアーナは体の隅々まで念入りに磨きあげていた。


「ルアーナお嬢さま、後生ですから今晩はお屋敷にお戻りくださいませ。もしものことがあれば、マリラは旦那さまに顔むけできません」

「分かってるわよ。私だって結婚まえにそんなことになるつもりないわ」

「その言葉、信じておりますよ……」

「あーでも、アンジェロさまに誘われて断れる女なんているのかしら……?」

「やめてください!」


 マリラは悲鳴をあげた。

 こういう日にかぎって、ロンバルディ夫妻は商業組合の集まりで隣町にいっている。いや、アンジェロのことだから、それも分かったうえでのお誘いかもしれない。


 ルアーナが人生の一大イベントに選んだのは、深みのある青いドレスだった。桃金色ピンクゴールドの髪が映えるのはもちろん、アンジェロの瞳の色でもある。


 恋人同士がお互いの髪や瞳の色で着飾るのことはよくあって、深愛をあらわすのだ。


 夕方迎えにきたアンジェロがルアーナを見て息を飲んだ。

 そのようすに満足して、ルアーナは手を差しだした。今日のルアーナは内側から輝いていた。


 いっぽうのアンジェロは砂浜で遊ぶときとおなじくらいの軽装で、はみかみながらルアーナの手をとった。


「ではお預かりします。遅くならないようお送りしますので」

「ぜひそのように。お嬢さまをよろしくお願いいたします」


 仏頂面のマリラにもいやな顔ひとつせずエスコートする。まさに貴族然とした態度であった。


 ――主に恥をかかせる気か。


 逆にルアーナのほうがふりむきざま、マリラを睨んでけん制する。


 ルアーナはてっきり町の中心にあるおしゃれなレストランにでもいくものだと思っていたが、馬車は貴族の別荘が立ち並ぶ森へとはいっていった。

 マーレで生まれ育ったルアーナでも、このあたりはあまりきたことがない。


「今晩は雲もなくて月が綺麗に見えるそうだよ」

「まあ、楽しみですね」


 寝そべる二人の頭上に燦燦さんさんと降りそそぐ月の光を想像した。なんとロマンチックな夜だろう。


「だが、君の美しさには敵わないな」

「もう、冗談はおよしになって」

「冗談なんかじゃない。今日のドレスすごく似合ってる」

「ありがとうございます。アンジェロさまの瞳の色ですわ」


 ルアーナは心のなかで十字をきった。今夜、アンジェロにすべてを捧げる覚悟だった。


 ――ごめんなさいマリラ。


 だってこんな魅力的な貴公子、拒むなんてできるわけがない。


 馬車はどんどん森の奥にすすみ、別荘どころか人っ子ひとり見あたらないところまできて静かに停まった。

 ここにきて、ルアーナはようやく我にかえる。


「アンジェロさま……? ここは?」


 手を引かれて馬車を降りた。


 深い森のなかにぽつんと一角だけ開けた場所があった。だれかいるのか、近くの木に馬が二頭繋がれていた。

 馬を横目に足をすすめると、木に囲まれて大きな湖が横たわっていた。すでに夜のとばりが降りて、大きな月が皓皓こうこうと湖面を照らしていた。


 ルアーナのなかで、幼いころの記憶がかすかに蘇る。ここはまさか――?


 アンジェロに連れていかれたのは、小さな湖にかかる桟橋。やっと二人が乗れるほどのボートが一艘だけ繋がれている。

 アンジェロはまるでダンスを申しこむかのようにおじぎした。


「月の女神さま。俺と一緒に乗っていただけますか?」

「アンジェロさま。私、ボートはちょっと……」

「俺がついてる。さあ――!」


 強引にルアーナをボートに乗せて座らせると、オールを手に漕ぎだした。

 ルアーナは真新しいドレスを汚れないように抱えて訴えた。


「でも、ここは……ッ」


 有名な湖だ。



 かつて、月の女神が人間の男と恋に落ちた。

 しかし貴族の娘が男に横恋慕し、魔力によって湖面の月に女神を閉じこめた。

 姿を見せなくなった女神に、男は自分が捨てられたと思いこみ、貴族の娘と結婚してしまった。



 以来、この湖で恋人同士がボートに乗ると、月の女神の怒りによって引きさかれると言われている。

 古い言い伝えではあるが、マーレの若者なら恋人同士でここへはこない。


 アンジェロは物語りを知らないのだろうか。しかしそれならなぜルアーナを「月の女神」と呼んだのか。

 不安と緊張で動悸がはげしくなる。


 お互いに一言もしゃべらないまま、ボートは湖の真ん中まできた。

 大きな月の白い光が、アンジェロのうしろから照らして表情はよく見えない。


「ルアーナ、もしかして緊張してる?」

「え、ええ……すこし」

「じつは俺も緊張してる。君の美しさをまえに怖気づきそうだよ。けど、これだけは言わなくちゃいけない」

「アンジェロさま……愛しております」


 ルアーナは泣きだしそうな声で告げた。アンジェロはオールから手を放して彼女の両手を握った。


「来年、俺は王都のグラーヴェ魔導学院に入学する」


 いやな予感が確信にかわって全身の力が抜けていく。喉が締めつけられるように痛い。それでも力をふり絞って口を開く。


「ここで騎士になるのではなかったのですか?」

「魔導士の排出は一族の悲願なんだ。そのために王都へゆく」

「それなら私も……私も王都へいきます。そしてあなたの力になりたい」

「君のご両親が許すはずないだろ」

「ひとり娘のためなら、お父さまだって分かってくれますわ」


 ルアーナは手を握りかえしてすがった。

 しかしアンジェロはあっけなく首を横にふる。


「そんなことはさせられない」

「ならば魔導士になって戻るまで待ちます。それならいいでしょう?」

「グラーヴェ魔導学院で認められたら宮廷魔導士になれる。そのためにも俺は貴族令嬢と婚約するつもりだ」


 その言葉にルアーナは凍りつき、頭のなかが真っ白になった。


 ――今彼は、なんと言った? 貴族令嬢と婚約?


 だんだん理解が追いついてくると、今度は問いたださずにはいられなかった。


「私を愛してるんでしょう?」

「誤解しないでほしい。君を嫌いになったわけじゃないんだ。ただ……ロンバルディ商会のおかげで領地が潤っても得するのは父上か兄上だ」

「それは……私を商会の付属品アクセサリーとでも思っていたのですか?」

「もちろんアクセサリーだって魅力的さ。だけど、それだけじゃ父上たちを見かえせない。分かるだろう? 俺はこんな田舎で終わる男じゃないんだ」

「アンジェロさま。出世のために愛を諦めるなんて馬鹿げております」

「お願いだから分かってくれ。宮廷魔導士に必要なのは愛じゃない。実力と家柄なんだ。ルアーナ……愛しているなら俺の夢を応援してほしい」


 アンジェロは手を伸ばしてルアーナの頬をさらりと撫でる。ルアーナはその手をふり払っていやいやと頭をふった。


 彼は信じられないくらい甘い声で囁いた。

 一年と三〇一日まえ、ルアーナを口説いたときとおなじ顔をして、突き放したのだ。


 ルアーナの瞳から零れ落ちた涙を、アンジェロがそっと拭う。そのまま頬を撫でながら顔を近づけた。あとほんのわずかで唇が触れようとしたとき、ルアーナのなかでなにかが弾けた。


「こんなこと、許されるわけないわ……ッ!!」


 ルアーナは叫んで勢いよく立ちあがった。

 不安定な足場に体がゆらりとぐらつく。慌てて目のまえのアンジェロに手を伸ばすが、すんでのところで空をきった。彼が体をうしろに引いてけたようにも見えた。


 ルアーナの体はそのままゆっくりとボートの外へ投げだされ、水のなかに落ちていった。

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