第2話 アンジェロのお誘い

 海岸に沿って椰子パルマの木やサボテンが立ち並び、白い浜辺には赤や黄色の花が太陽を浴びて元気に咲いている。色とりどりのブーゲンビリアが家の白壁に映え、庭には檸檬リモーネの木が生い茂る。


 いち年をとおして温暖な気候のマーレは、町全体が色鮮やかで生命力に満ち溢れていた。


 町の中心部から外れているこのあたりに貴族の姿はない。マーレでもとくに自由でエネルギッシュな、地元の若者の遊び場となっている。


 ルアーナは浜辺に降りた。

 砂に描いたコートを囲んでゲームに熱狂する集団のなかから、幼なじみを見つけだした。


「ゲームはどう?」

「パッツィ領のご子息さまに敵う相手はいないわね」

「あっちにいる上級生が、あんたの恋人見てポーっとしてたわよ」

「うそ、あの人去年も誰かの恋人奪ったんじゃなかった?」

「心配しないで。ルアーナのかわりに思いっきり睨んでやったから」

「やるー!」


 ハイテンションでおしゃべりする友人に、感謝をこめて果汁水ジュースを配る。


 ゲームに決着がついたところで、アンジェロがルアーナに気づいて手をあげた。仲間になにかを告げこちらにむかってくる。

 開放的とはいえ、貴族である彼はほかの若者よりしっかり服を着こんでいる。それでも隠しきれない色気に憧れている娘は多い。


 かくいうルアーナも幼いころからアンジェロのことが大好きだった。

 彼から告げられたときは、自分がおとぎばなしのお姫さまになったようで嬉しかった。それからずっと、貴族と平民という「許されざる恋」に溺れている。


「ルアーナ、俺の雄姿見てた?」

「ええもちろん。とても素敵でしたわ。喉乾いてません? 冷えた果汁水ジュースをお持ちしました」


 ルアーナは鞄のなかから果汁水ジュースを取りだして手渡した。

 アンジェロはルアーナの頭にキスをすると、そのたくましい腕を彼女の腰にまわし声をはりあげた。


「みんな、勝利の女神から差しいれだ! 早いもの勝ちだぞ!」


 ワーッという歓声があがって、みんながルアーナに群がった。あっという間に鞄のなかの果汁水ジュースがなくなっていく。


「アンジェロさま!?」

「お代はパッツィ男爵家につけておいて」


 ちゃめっ気たっぷりのウインクとともに耳打ちされて、ルアーナはますます彼にメロメロになってしまう。


 友人たちに空になった果汁水ジュースの器をロンバルディ商会へ持っていくようにお願いすると、二人は集団を離れて歩きだした。


 乾いた風が二人の頬を撫でる。


「今日はなにか楽しいことあった?」

「アンジェロさまに会えました。それ以外はいつもとかわりませんわ」

「そう。バカンスシーズンだけど不自由はない?」

「ええ。おかげさまで」

「ならよかった」


 アンジェロは会うたびにルアーナを気遣ってくれた。


「俺たち……つきあってずいぶん経った」

「ええ、今日でちょうど一年と三〇〇日よ」

「君にはすごく感謝してる。それで……そろそろ真剣に将来を考える時期かなって。来年にはきみも教会学校を卒業だろ?」


 来年には二人とも十六になる。

 そうしたら一人前の大人として認められ、結婚もできるようになるのだ。


「アンジェロさまは騎士になられるのよね。きっと似合いますわ」


 ルアーナはパッツィ騎士団の制服を着た、アンジェロの凛々しい姿を思い浮かべた。ついでに、貴婦人のように着飾った自分を隣に並べてうっとりする。


 うん。いいかもしれない。


「君は商会を継ぐんだろう?」

「まだ先ですが、いづれはそうなると思います。私の作った美容液、貴族の奥さまたちにもすごく評判いいんですよ」

「ああ母上も喜んでた。今度王都でも配ろうかってさ」

「本当ですか? あ、でも大量生産は難しくて……いえ、大丈夫です。男爵夫人のためなら全力でやりますわ」


 ルアーナの美容液はパッツィ領に多く見られるアロアロの実から作っている。


 はじめは父親に頼んで小遣い稼ぎに店先に置かせてもらっていたのだが、マーレの強い日射しに晒された肌が潤い白くなると口伝くちづてに広まった。

 そのためロンバルディ商会の正式な商品であることを示す「秤の紋章」はついておらず、人気になった今でも製造はルアーナひとりでになっている。


 たくさん作るとなると体力的にもきついが、アンジェロのためなら無理してでも役に立ちたい。


「そんなに評判なら値段をあげてみたら?」

「医者でも魔導士でもない私が作った美容液ですもの。買ってもらえるだけありがたいですわ」


 アンジェロは暑いのか、シャツのいちばん上のボタンを外してぱたぱたと空気を送っている。


「そういえばさ。明日は満月って知ってた?」

「そうなんですか? ぜんぜん知りませんでした」

「たしか、十八年にいちどの超満月スーパームーン……だったかな」

「十八年にいちど……? それって前回は私たちが生まれるまえでしょう。すごくロマンチックですね」


 ――でも、どうしてそんなはなしを?


 ルアーナがたずねるまえに店についてしまった。

 立ち止ったアンジェロが熱い視線とともにルアーナの両手をとった。そのままその手に唇を運ぶ。


 夕方でよかった。真っ赤になった顔をごまかせる。


 貴族全般がそうなのか、アンジェロがそうなのかは分からないが、彼の愛情表現は刺激が強い。初心なルアーナは、いつも動揺をどられないようついていくのに必死だ。


「ルアーナ。明日、夕方からでてこられる?」

「ええ、もちろんよ」


 決意を秘めた瞳に見つめられて、ルアーナは反射的に答えていた。「屋敷に迎えにいく」という言葉をうわの空で聞いて、ルアーナは店のなかにはいった。


 ふらふらと夢見心地でカウンターに座ると、マリラが仁王立ちになって怖い顔をした。


「お嬢さま、往来であのようなことはおやめください」

「あのようなことってなによ?」

「ですから、あんなに近くで見つめあって……手の甲に――」

「……キス?」

「――するなんて。婚約者同士がするような行為ですよ」

「やっぱり、私たちってそう見える?」

「お嬢さま!」


 マリラはちょっと口うるさい。

 普通なら政略結婚があたりまえの、貴族のアンジェロに求められているのだ。


 しかもアンジェロは男爵の三男。爵位を継ぐわけでもない。パッツィ領で騎士をしながら、ルアーナとロンバルディ商会を継げば将来は安泰だ。


「そんなことを言うのは今日までよ。明日の夜、デートに誘われたの。この意味分かるでしょう?」


 そう。アンジェロは明日、プロポーズしてくれるつもりなのだ。

 なんといっても十八年にいちどの超満月スーパームーン

 明日一緒に見て、次の十八年後も一緒に見ようと言ってくれるに決まっている。


 そしたら二人は晴れて婚約して、マリラのお小言ともおさらばだ。

 ルアーナが耳を塞いでマリラのお説教から逃げていると、店の扉が開いた。


「おーい、持ってきたゾ」


 男が背中で扉を押してはいってきた。

 ルアーナの幼なじみでありアンジェロの遊び仲間だ。先ほど配った果汁水ジュースの器を持っていた。みんなの分を回収してきたのか、両手で抱えている。


「ありがとう、助かったわ」

「いつもごちそうさん。本当にお代はいいのかい?」

「心配しないで。アンジェロさまのおごりよ」


 男は目を丸くしたあと、ルアーナの顔を見てなんとも言えない表情をした。

「へえ……なるほど。もしかしてデートに誘われた?」

「ええ」

「そのデート、心していけよ?」


 ルアーナは眉をひそめた。


「なによ? ふくみのある言いかたね」

「俺から言えるのは――ルアーナ、君はいい女だから自信持てってことだ」

「そう? ありがとう」


 その言葉で確信した。

 これは都合のいい思いこみなんかじゃない。ルアーナはいぶかし気な顔で器を受けとるマリラに、それ見たことかと視線を送る。


 ならば、こんなことをしているばあいではない。急いで明日着ていく服を選ばなくては。


 店が閉まるまであと一時間。

 ルアーナは、じりじりしながら時計の針がすすむのを見つめていた。

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