川上華子は……。
次第に頭がボーっとして、視界がグルグルと回り始めた。
目を開けていられなくなって瞳を閉じた。
「これからが本番って時に眠られては困るな」
言うなり根本が私の頬を思いっきり叩いた。
重い瞼を開ける。
「おっと、この子が大事なら君は動かないほうがいい。少しでも不穏な動きを見せれば、この子は無事ではいられなくなるよ。この子の顔にキズはつけたくないだろ? それは私も同じだ」
根本は私の頬にナイフを突きつけてきた。
倭斗くんは一歩も動けずに、ただギュッとくちびるを噛みしめていた。
そんな倭斗くんの姿もかすみ、意識を手放そうとする私を、根本は髪を引っ張って引き止める。
「さて、そろそろ本当のことを話してもいいのでは? もう薬が効き始めているんじゃないのかい?」
その言葉が合図となったのか、私はこれまでしまい込んでいた言葉を飲みむことができなくなった。
「……そうね……もう限界かな」
そう言うと、大きく息を吸い込み一気に吐き出した。
「ばっかじゃないのッ! あんたのような上っ面しか歴史を知らないヤツが歴史の教師を名乗るな! 歴史が汚れる。なぁ~にが結城晴朝の黄金伝説よ。川上華子の謎解きアドベンチャーが聞いてあきれるわよ。川上華子さんの名が汚れる! もしかして迷路に出てきた問題、あんたが考えたんじゃないわよね。小学生並みの問題、いや小学生以下ね。小学生でももっとましな問題作れるわよ。謎でも何でもないじゃない!」
私の豹変ぶりにたじろぐ根本。
しかし、まだ気がおさまらない。
「西郷隆盛の征韓論者の事もそう。いろんな見解があって然り。視野が狭すぎんのよ。徳川埋蔵金の事だって、『かごめかごめ』がお宝の在処を示しているなんて、今じゃネットで調べればトップ記事で出てくるネタを得意そうに言うな! 服部半蔵が松尾芭蕉だっていう俗説くらい歴史の教師なら知ってて当然でしょ! それを知らないなんてありえないから!」
一気にまくしたてたおかげで眠気も吹っ飛んだ。
そもそも麻酔の類が効きにくい体質の私の意識は、次第に鮮明になってきた。
見れば倭斗くんは必死に笑いをこらえている。
それとは対照的に、根本は怒りのあまり顔が赤くなっている。
「黙れ黙れ黙れッ! 教師なんぞやりたくてやっているわけじゃない。俺はトレジャーハンターだ。歴史なんぞ詳しくなくてもお宝が手に入ればそれでいいだよッ!」
怒鳴り散らす根本に一瞬のスキが生じた。
倭斗くんはそのスキを狙って私を助け出そうとしたけど、根本はそう簡単に私を手放してはくれない。
「動くなッ! こいつがどうなってもいいのかッ!」
根本は私の首元にナイフを突きつけた。
ピタリと倭斗くんの動きが止まる。
「どこまでもゲスな野郎だな」
「さっさとお宝の在処をはけばいいものを、頑なに意地を張るのが悪いんだよ」
根本が顔に当てたナイフが怖くないと言えばうそになるけど、相手に食って掛かるしか手はなかった
「だから、私は川上華子じゃないし、お宝の在処なんか知らないわよ」
言い返した私の言葉に、倭斗くんが驚きを露わにする。
「もしかしてお前、勘違いされて捕まってんの?」
「そうなの。ホントありえないんだけど」
クックックックと喉を鳴らして笑う倭斗くん。
「あんた、あの結城晴朝の黄金が本当にあると思ってんの?」
嘲笑もあらわに倭斗くんが尋ねた。
「貴様に何がわかる。あの川上華子が解読したんだぞ」
根本は何の疑いもなくそう断言した。
「だがそれは公には発表されていない」
淡々とした倭斗くんの問いが続く。
「あの和歌はお宝を示した暗号ではなかった、という事は考えなかったのか?」
「川上華子がひとり占めしようとしているからだ。それを証拠に和歌の一節が削り取られただろ。あれは川上華子がお宝を独り占めしようとしたからに違いない」
その言葉に倭斗くんは何の反応も示さなかったけど、私は黙っていられなかった。
「そんなわけないでしょ。あんたホントにバカッ! マジでバカ! 救いようのないバカ! 川上華子さんがそんなくっだらない事するわけないでしょ! あんたの脳みそじゃ、そんなことも分かんないの?」
すさまじい勢いで口撃する私に、根本は顔を真っ赤にして反論する。
「おおお、お前は黙っていろ。死にたいのか!」
根本の言葉に食って掛かる私を、根本がナイフを押し付けて黙らせるが倭斗くんの口からは毒が吐かれる。
「まあ、黄金があると信じて夢見るのは勝手だけどさあ、人様に迷惑かけちゃあダメでしょ。センセー」
先生と言ったわりにはその言葉に全く尊敬の念が見えない。それどころか小バカにしているようにさえ聞こえる。というより実際にバカにしているのだけど……。
鉄仮面の貴公子ならぬ毒舌の貴公子だ。
すっかり倭斗くんに取り込まれた根本は、私の耳元で怒鳴り声をまき散らす。
「はっ、素人が何をほざいている。あの徳川家康も掘り起こしているんだぞ。あるに決まっているだろ」
「そうかなぁ。晴朝が亡くなったのは慶長十九年だろ。和歌が彫られている金光寺の山門って四百年も経っているようには思えないんだけどな」
さも見てきたような言い方である。
冷静に考えれば、倭斗くんがでたらめなことを言っていると疑うことができたかもしれないのに、今の根本はその冷静さを欠いていた。
だから、倭斗くんの言葉にのせられる。
「あの山門を見たことがあるのか?」
「あんたは見たんだろ? 山門に書かれた和歌を。でもって信じたわけだよな、お宝があるって。俺にはあの和歌がお宝の在処を示しているようには思えなかったけどな」
「貴様に何がわかる。いくら秀才だとはやし立てられているお前でも、あの和歌を読み解くことはできないだろ。あの和歌はお宝の在処を示しているんだ。黄金は私のものだ」
「は? 和歌を解読できないのはお前の方だろ?」
「和歌ならこいつが解いただろ」
根本が私にナイフを突きつけながら叫んだ。
「結局人頼みか。マジでゲス野郎だな」
「う、うるさい。人頼みではない。私がこいつを利用しているんだ」
物は言いようだけど、倭斗くんは根本の言い訳にいっさい興味を示さなかった。
「ふーん、別にどっちでもいいけどさあ、言っとくけど、そいつ川上華子じゃないぜ」
「お前ごときに何がわかる。こいつが川上華子だという証拠はちゃんとあるんだぞ」
「ああ、あれでしょ、結城紬の人形」
その言葉に、根本が息をのんだ。
「なぜお前が人形のことを知っている? 人形の話は私しか知りえない情報だ」
「あの人形がなんで川上華子の証拠になるんだよ、マジありえねー」
あきれたように言う倭斗くんの言葉に、根本が焦りを見せる。
「何故お前がその人形のことを知っているのかって聞いてるんだッ!」
烈火のごとく怒る根本。それに対して倭斗くんは飄々と答える。
「川上華子本人なら、その人形のことを知っていて当然だろ」
倭斗くんが言った言葉の意味がよくわからなかった。
それは根本も同じみたいで、戸惑いもあらわに倭斗くんに尋ねる。
「お前は何を言っている?」
一瞬だけど倭斗くんが躊躇した。が、すぐに倭斗くんは自分を指さした。
「川上華子は……俺ってこと」
んなわけあるかッ!
と誰もがツッコミたくなるそのセリフを、平然と言ってのけた倭斗くん。
ものすごく真面目な顔をして言っているけど、はいそうですかってすぐに信じられる話じゃない。
「お前なわけがないだろ。バカも休み休み言え」
ものすごく真面目な顔で言うものだから、私でさえ信じてしまいそうになるけど、あまりに突拍子もない話に、当然、根本の視線も疑り深いものになる。
「えー? この期に及んで信じてくれないの? 人形を持っていただけのヤツをなんの疑いもなく信じたのに?」
そうだそうだ、と私も声を出して言いたいところだけど、今は黙っておくことにする。
「そもそも川上華子は女だぞ。男のお前が川上華子なわけがない」
そう、倭斗くんが川上華子さんだと言い切るには、根本的に無理がある。
けれど、当の倭斗くんは一向にひるむ様子がない。
それどこらか、ニヤリとほくそ笑む。
「でもさぁ~、川上華子って正体不明だろ。なんで女って決めつけてんの?」
「川上華子はモデル並みのスタイルでとびきりの美人って噂だ」
「モデル並みのスタイルでとびきりの美人なら、どう見てもそいつは当てはまらないだろ」
「そこが解せないところだが、噂は脚色されるものだ。とは言っても川上華子は女だ。華子だぞ、女に決まっている」
おいおい君たち、何気に失礼なことを言っているがわかっているかい? とツッコみたくなるが、その余地はない。
根本の言葉に倭斗くんは、はっはっはと、わざとらしい笑い声をたてた。
「あんた仮にも歴史を教えている教師だろ。蘇我馬子とか小野妹子も男だ。そんなの小学生でも知ってるぞ」
「そんなふざけた事を……そんな言い訳が通ると思っているのか?」
根本は唇を噛み忌々し気に吐き捨てたけど、倭斗くんはあっけらかんと言い放つ。
「いわゆるペンネームってやつだ。どうつけようが勝手だろ」
一瞬言葉を失った根本だったけど、なおも食い下がる。
「百歩譲ってお前が川上華子だとしてもだ、和歌の謎を解いたのは女性研究者だ」
「どっかのバカが、寝ぼけて俺のことを女だと勘違いしたんだろ」
これがごく普通の男なら、そんなアホな、と一蹴するところだけど、相手が見目麗しい倭斗くんなら、それっぽい恰好をしていたら見間違われても不思議じゃないと思えてしまうから怖い。
悔しいが、自分よりも倭斗くんのほうが、モデル並みのスタイルでとびきりの美人という噂にも信ぴょう性がでてくる。
失礼なことに根本も否定しきれず、さらに疑問をぶつける。
「それならあの人形の事はどう説明するんだ?」
「さっきから不思議に思ってるんだけどさ、それって、どこからの情報? あの人形は人形作りが趣味の知り合いのばあちゃんが作ってくれた、ただの人形だ。たったそれだけのこと」
倭斗くんがあきれたように言うが、根本は諦めきれないのか、なおも食い下がる。
「そんな戯言が通じるとでも思っているのか? 川上華子が結城晴朝の黄金の謎を解いたというのは、トレジャーハンターの間では今や確信になりつつある。しかも、お宝を狙っているのは俺だけじゃない。お宝の在処を聞き出すためには手段を選ばない奴らもいる。今のうちに白状しておいた方が身のためだぞ」
あたかも自分は優しいとでも言いたげな口調だが、根本がやっていることも相当姑息な手段だ。
でも、不幸なことに本人はまったくその事に気づいていないらしい。救いようがないとはこのことか。
倭斗くんもいい加減うんざりしたように言葉を吐く。
「だーかーらー、白状するも何も、お宝なんかどこにもないって、さっきから何度も言ってるじゃん。マジで頭わりーなこのおっさん」
倭斗くんのこの言葉でようやく真実だと認識したのか、根本がガックリと肩を落とした。
「そんな……」
「じゃ、そういうことで。そいつ返してもらっていい?」
落ち込んだ根本の声とは逆に、倭斗くんの声が明るく響いた。
「だ、ダメだ。お前が川上華子だっていうなら、川上華子の見解とやらを聞かせてみろ」
往生際が悪いというのはこういう事をいうのかとしみじみ思った。
倭斗くんも同じことを思ったのか、すごくイヤそうに顔を歪ませた。
「さっきも言っただろ。お宝の在処なんて示していないって。三つの和歌の共通点は『次代に繋ぐことが自身の幸せだ』って言ってることくらいだ。あれはただ栄華を羨んだだけの和歌だ」
倭斗くんにそう突きつけられ、項垂れる根本。
「じゃあ、私は何のためにこんなことを……」
「知るかッ! あんたが勝手に勘違いした結果だ」
倭斗くんの言葉が刃となって突き刺さったのか、根本は半ば半狂乱になって叫び声を上げた。
「ウオォォォォォォ――!」
叫びながら根本はナイフ振り上げた。
刺される!
逃げようとしたけど、体に力が入らず動けずに、ただ身構えるしかできなかった。
目をぎゅっと瞑ってその時を待ったけれど、来るはずの衝撃がこない。
恐る恐る目を開けてみると目の前に倭斗くんがいて、根本が私に向けたナイフを握りしめていた。
握りしめた手からはポタポタと血が垂れている。
その血を見た瞬間恐れをなしたのか、根本は短い悲鳴を漏らしナイフを手放した。
カランと音を立てて、血に染まったナイフが床に落ちた。
一歩二歩と後退った根本の顔面を、倭斗くんが思いっきり蹴飛ばした。
根本は人形のように吹っ飛び、そのまま動くことはなかった。
ようやく危険が去ったのだと思ったとき、膝から崩れるように倭斗くんがその場にうずくまった。
「っ痛」
私は重い体を引きずるように、倭斗くんの元へ駆け寄った。
「何やってるの!」
違う。
言いたいのはこんな言葉じゃない。
自分のためボロボロになって助けに来てくれたのに、ケガまでして助けてくれたのに、そんな倭斗くんに言いたい言葉はこんな言葉じゃない。
けれど、口から出る言葉は意に反して可愛くない言葉ばかり。
「なんでこんなになってまで、私のこと助けたりするのよ」
私はただのクラスメイトなのに……。
街ですれ違っても気づかないクラスメイト……。
なのに……。
溢れだす涙。
急いでバッグからハンカチを取り出して、倭斗くんの手に巻き付けた。
でも、白いハンカチはすぐに赤く染まっていく。
早く……早く何とかしないと。
気持ちが焦るばかりで何もできずにいる自分が情けない。
「ごめんね……ごめんね」
必死で守ってくれた倭斗くんに何もしてあげられない。
ただ泣きじゃくることしか能がない役立たずの自分に、倭斗くんは微笑みを返してくれる。
「大丈夫、こんなのただのかすり傷だ」
倭斗くんはそう言ってくれたけど、血を抑えられなくなったハンカチからはポタポタと血が滴り落ちている。
「大丈夫じゃないよ……血が止まらない……どうしたら……、ああ、私ホント役立たずだね。ごめんね……ごめんね」
「乙羽……」
倭斗くんがとても優しい声で名前を呼んだ。
これまで見たこともない真剣なまなざしで倭斗くんが見つめてくる。
倭斗くんはケガをしていないほうの手で私の涙を拭う。
そして諭すようにゆっくりと、優しく語りかける。
「乙羽、聞け。俺は大丈夫だ。華のマズイ弁当を食わされるよりましだ。だろ?」
そう言って倭斗くんは優しく微笑んだ。
スッと心が落ち着くのが自分でもわかった。
鉄仮面の貴公子なんて、誰が言い出したのだろう。
こんなにも表情が豊かで、優しい笑顔を見せる人を……。
安心したら急に眠気が襲ってきた。
こんなところで意識を手放すわけにはいかない。
これ以上、倭斗くんに迷惑をかけるわけにはいかないのだから……。
けれど、眠気は容赦なく襲ってくる。私の意思に反して瞼は閉じられてしまう。
すると、突然倭斗くんが私を包み込むようにギュッと抱きすくめた。
「もう大丈夫。俺がお前を守るから……もう誰にもお前を傷つけさせない、絶対に。だから安心しておやすみ」
倭斗くんの言葉が、温もりが心地よくて、私は意識を手放した。
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