三首の和歌
「君は『真実の血清』を知っているかい? まあ、君の事だ。これを君に射せばどうなるかはわかるだろ?」
真実の血清。
ナチス・ドイツが開発したとされる自白剤で、成分はベラドンナ。
ベラドンナは毒性の強い薬物で、大量に摂取すると死に至ると言われているほどの猛毒だ。
そんな物騒なものを根本が所持しているとは考えにくい。
たぶん小説などでも良く使われる自白剤だと思うけど、私にはその成分が何なのかは分からない。
こんなことなら、ミステリー小説や推理小説も読んでおけばよかったと後悔したけど、今見当はずれの後悔の念にふけったところでどうにもならない。
隠すべき秘密なんて何もないけど、根本の言いなりになるのは癪に障る。
でも今すぐにでもこの場所から逃げ出したいのに、身体に力が入らない。
ジタバタする私を見て、根本はふてぶてしい笑みを浮かべた。
「ようやく置かれている状況を理解したようだね。できれば私も手荒な真似はしたくない。今すぐ宝の在処を言えば君を解放してあげよう」
すると根本は胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
「さあ、君はこの和歌をどのように解読したのかね?」
突きつけられた紙には三首の和歌が書かれていた。
根本はけん制するように注射器を突き付けてくる。
脅されても和歌なんて解読できないし、お宝の在処なんて私がわかるわけがない。
自白剤を撃たれたところで、口から出てくるのは根本への暴言くらい。
いや、自白剤をうたれるまでもなく、根本への暴言なら立て板に水がごとく出てくる。
目の前にいる根本をメッタメッタに口撃して打ちのめしてやりたいというのが本音だけど、今のこの状況で根本を怒らせるのはいい考えだとは思えない。
おとなしく和歌を訳したほうが得策なんだろうけど……。
悔しいことに、古文や和歌といったものの訳がめちゃめちゃ苦手だ。
百人一首や古文は好きだけど、好きと得意は別物である。
結城晴朝の黄金伝説といえば、三首の和歌はあまりにも有名だ。
だからこのイベントに来るってなった時に、自分なりに解読しようと試みたけど結果は言うまでもない。
当然といえば当然だけど、解読するどころか和歌の訳さえ満足にできなかった。
でも素直に『わからない』と言ったところで、根本は信じてくれないだろう。
なかなか口を開かない私に、根本は注射器を首元に近づけた。
「残念だがあまり時間がない。君が口を閉ざし続けるというのであれば仕方ない」
根本は私の頭を押さえつけ、針を首に当てた。
「私がこの和歌を訳したところで、お宝の在処なんてわからないわよ」
事実なのに、やっぱり根本は信じない。
「いいから訳せッ! 時間稼ぎしたところで状況は変わらないぞ」
有利な状況にもかかわらず、短気な性格ゆえか根本は声を荒げる。
別に時間稼ぎをしているつもりはない。
ただ、根本が欲している情報を持っていないだけだ。
自白剤を注入されても同じなら、痛い思いはしたくない。
「わかったわよ。訳せばいいんでしょ! でも、あんたが望んでいる答えじゃなくても怒らないでよ」
「嘘をついたらどうなるかくらい、わかるだろ」
すると、それまで黙ってみていた男が、握りこぶしを机にたたきつけた。
頑丈そうな机が、ベコンとへこんでいた。
最初から嘘なんか言ってないっってば!
思わずそう叫びたくなったけど、グッと声らえた。
「私はウソは言わない。私の訳をあんたがどうとるかはあんた次第ってこと」
「御託を並べてないでさっさと言えッ!」
別にもったいぶってるわけじゃない。
でも相当じれているのか、根本の機嫌は悪くなる一方で、自白剤を注入されるだけでは済まなそうだ。だから、仕方なく和歌を訳すことにする。
結城晴朝の三首の和歌は――。
きの芋かふゆうもんにさくはなも みどりをのこす万代のたね
こふやうにふれてからまるうつ若葉 つゆのなごりはすえの世までも
あやめさく水にうつろうかきつばた いろはかはらぬ花のかんばし
「えっと、『きの芋かふゆもんにさくはなも』は、さといものようなものに咲く花も次代に継ぐ種を残すって意味で、『こうやうにふれてからまるうつ若葉』は、梅雨の時期に花を咲かせるつる植物にテチアオイっていうのがあるんだけど、それは天に向かって蔓を伸ばし、その花はいくつもの種を実らせる。で最後の『あやめさく水にうつろうかきつばた』は自生する場所は違くても、同じ色の花を咲かせて立派だってことかな……」
何やら根本の表情が曇ってきたけど、知ったことじゃない。
最初にちゃんと言ったし、勘違いした根本が悪い。
「先祖代々から受け継がれてきた土地も家名も失った晴朝が、さといもでも次代へ繋げる種を残し、ジメジメする梅雨の時期に花を咲かせるタチアオイはたくさんの種を実らせるが自分はすべてを失ってしまった。でも名前も自生する場所もちがうあやめとかきつばたのように、住む場所も名前も変わるけど、頑張って生きるぞって歌かな」
テヘッと、吹き出しがつきそうな表情で笑って見せた。
これが華さんのような美人がやれば効果があったんだろうけど、残念ながらここに居るのはとびきり美人でもなければ、女子力高めの女の子でもない。オシャレよりも歴史に萌えるヲタクであった。
当然といえば当然の反応だけど、私の見解を聞いた根本は怒りに震えていた。
「なんなんだ、その幼稚な訳はッ!」
「失礼だな! これでも私なりに一生懸命考えたんだからね。幼稚とは何よッ!」
「幼稚以外の何ものでもないだろ。何が頑張って生きようだ。アホかッ!」
「アホとは何よ。あんたなんかに言われたくないわよ。このニセ教師!」
「なっ、なんだと!」
根本が手を振り上げた。
叩かれると思ってギュッと目を瞑った時だった。
バキンという音がその場に響いた。
「乙羽! 無事かッ!」
騒音と一緒に聞きなれた声がした。
目を開けると、真っ先に飛び込んできたのは傷だらけでボロボロの倭斗くんの姿だった。
大人の男の人何人も倒した時でさえ息を荒げていなかった倭斗くんだったけど、今は肩で荒く息をしている。
倭斗くんのところへ駆け出そうとしたした私の腕をつかみ、根本は乱暴にソファへと投げ飛ばした。
ジロッとすさまじい視線で根本を睨みつけた倭斗くん。
「あんたが黒幕か」
「だったらどうした」
「こんなしょっぼいイベント考えたヤツってどんなヤツかと思ったら、あんたかよ」
「なっ、何!」
無事とまでは言い難いけど、倭斗くんの姿を目にした途端目頭が熱くなっった。
涙が頬をつたう。
よかった……無事で。
けれど、口から出てきた言葉は、心とは裏腹な言葉だった。
「何しに来たのよ。桐谷倭斗」
私のことなんか放っておいて、逃げてくれればよかったのに。
あんなにボロボロになって……、何やってんのよ……。
「どんくさいヲタクが迷子になっているから探しに来てやったんだよ。ありがたく思え」
二人の会話に根本が割り込む。
「あ、あいつらは何をやっているんだ」
突然の倭斗くんの乱入に根本は、落ち着きなく叫んだ。
「人相の悪いオジサン達の事か? あいつらならこないぜ。あっちの部屋でお昼寝しているからな」
「なっ、十人以上はいただろ。みんなお前ひとりで倒したってのかッ?」
「だったらどうした? 次はお前の番か?」
倭斗くんの言葉に根本は動揺したけど、もうひとりの男は挑発されたのかゆっくりと立ち上がる。
「いいや、お前の相手は俺がしてやるよッ!」
言い終わらないうちに、男は倭斗くんめがけて座っていたパイプ椅子を投げつけた。
倭斗くんはその椅子を軽くよけ、ファイティングポーズをとる。
パイプ椅子はけたたましい音を立てて壁に当たった。
構える倭斗くんを見て、男は不敵な笑みを見せると突進していった。
突進してくる闘牛をひらりとかわす闘牛士のように、倭斗くんは男を軽くよけると背中に蹴りを入れた。
男はバランスを崩したが何とか体制を整えると、先ほど投げつけたパイプ椅子を拾い再び倭斗くんに投げつけた。
スレスレでよけた倭斗くんにすぐさまパンチを繰り出したが空振りしてしまう。
何度も何度もパンチを繰り出すが、ひとつも倭斗くんに当たらない。
倭斗くんが優勢だけど、これまでの戦いで倭斗くんの体力は限界に違いない。
倭斗くんはよけているのが精いっぱいのようだった。
ちょこまかと逃げ回る倭斗くんに、業を煮やした男が大声を張り上げた。
「クソがぁぁぁぁぁ――ッ!」
男は叫びながら倭斗くんに突進していった。
突進してくる男を軽くかわし、その横腹を蹴り飛ばす。
軽く蹴ったように見えたのに、倭斗くんよりも倍以上は重そうな男は二メートルほど転がった。
うずくまる男に慌てた根本は、私の髪を引っ張り立ち上がらせる。
「大人しくしろッ! コイツがどうなってもいいのか?」
私を盾に、根本は倭斗くんを脅す。
「こんなやつの言うことなんか聞かなくていいよッ」
そう叫んだ私の顔を、根本は容赦なくひっぱたいた。
すると、倭斗くんの動きがピタリと止まってしまった。
うずくまっていた男がむくりと起き上がると、ニタリと笑いながら倭斗くんへとゆっくりと近づいていく。
倭斗くんは逃げもせず、ジッと根本をにらみつけていた。
「お願い……止めて……」
何もできずただそう叫ぶことしかできない私に、根本は下品な笑みを見せる。
「礼はたっぷりさせてもらうぜ」
倭斗くんにやられっぱなしだった男は、手出しができない倭斗くんに容赦なく襲い掛かる。
男は倭斗くんを壁に叩きつけると、腹に一発パンチを食い込ませすぐさま膝蹴りをする。
グフッとうめき声を漏らすと、倭斗くんは膝をつきそのまま崩れ落ちた。
「倭斗くんッ!」
倭斗くんの元へ駆け出そうとした私を、根本はさらに身動き取れないように腕を後ろにねじり上げた。
「ッツ……」
痛みに声を漏らした私に、根本は笑い声を漏らす。
「大人をバカにした罰だ」
見れば男は動かなくなった倭斗くんを必要以上に蹴り続けている。
「もうやめてッ!」
涙ながらに叫ぶ私を根本があざ笑う。
「ナイト気どりもそこまでだな。おとなしく逃げ帰っていればいいものを、カッコつけて助けになんぞ来るからそういう目に合うんだ」
ピクリとも動かなくなった倭斗くんを見て、根本は高らかに笑った。
倭斗くんを蹴り続けていた男は息が切れたのか、ようやく蹴ることを止めた。
「……くん、倭斗くん……お願い……桐谷倭斗……起きてよ……、まだ……あんたに言いたいこと……あるんだから……、桐谷倭斗ぉ~」
泣き崩れる私を根本がようやく解放し、蔑むように見下ろす。
そして、男は勝負がついたとばかりに倭斗くんに背を向けた。
その時、すでに力尽きたと思った倭斗がむくりと起き上がると、男に飛びついた。
必死で倭斗くんの腕から逃れようともがくが、逃れるどころか倭斗くんの腕が男の首を絞めつけていく。みるみる男の顔が赤くなり、白目をむいてだらりと腕を垂らした。
倭斗くんはその場に男を放り投げた。
「し、死んだのか?」
だらしなく横たわる男を見て、根本が恐る恐る尋ねた。
「まさか、失神しているだけだ。お前も試してみるか?」
そう言って笑って見せる倭斗くんの表情は、少し狂気を帯びているように見えた。
汚れた袖で口元の血を拭った倭斗くんと目が合った。
「いい加減……フルネームで呼ぶのやめろよ、奥村ヲタク。さっさと帰るぞ」
倭斗くんが一歩近づくと、根本が私の背後にまわりこみ首に注射針をあてた。
「これが何だかわかるか?」
「真実の血清とでも言いたいのか? あんたのことだ、どうせ睡眠導入剤ってとこだろ」
図星か、根本の鼻息が荒くなった。
「睡眠導入剤も大量に摂取すれば自白剤と同じ効果が得られるんだ、よ」
「よせッ!」
倭斗くんの制止はむなしく響き、根本のクツクツと笑う不気味な笑い声がじっとりと耳に張り付いてきた。
首元に痛みを感じたのと同時に、冷たい液が体内に流れ込んでくるのがわかった。
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